[ファイトクラブ]31年前の両国暴動事件、藤波はケーフェイを告白していた!?

[週刊ファイト1月3-10日合併号]収録 [ファイトクラブ]公開中

▼31年前の両国暴動事件、藤波はケーフェイを告白していた!?
 by 安威川敏樹
・今年も訃報が多かったプロレス界
・ベイダーの日本デビュー戦で起きた、両国暴動事件
・ビートたけしが仕掛けた『たけしプロレス軍団(TPG)』
・お笑い芸人が絡んだプロレスに、新日ファンは断固拒否
・あの両国暴動は藤波のジョブ拒否から始まった?
・藤波がジョブ拒否説に大反論!
・ケーフェイを否定しながら、暗にケーフェイを認めることに


 2018年も暮れようとしているが、今年は我が阪神タイガースが17年ぶりの最下位に転落するなど、散々の年だった。新元号となる来年は矢野燿大新監督のもと、必死のパッチでぜひ巻き返してもらいたいものだ。
 それはともかく、プロレス界は今年もまたというべきか、訃報が多かった。今年亡くなったプロレスラーを、思い付くまま列挙してみる。なお( )内の数字は享年で、全て敬称略だ。

 ジョニー・バリアント(71)、ブルーノ・サンマルチノ(82)、渡辺えりか(39)、ビッグ・バン・ベイダー(63)、マサ斎藤(75)、ニコリ・ボルコフ(70)、ブライアン・ローラー(46)、ジム・ナイドハート(63)、ビジャノ3号(66)、亜利弥´(45)、Ray(?)、李王杓(64)、フランク・アンダーソン(63)、輪島大士(70)、ドン・レオ・ジョナサン(87)、ディック・スレーター(67)、ホセ・ロザリオ(83)、ダイナマイト・キッド(60)、ラリー・ヘニング(82)、ジャック・デ・ラサルテス(91)……。プロレスラーではないが他にジャイアント馬場夫人の馬場元子(78)、山本“KID”徳郁(41)、ビクトル古賀(83)らもこの世の人ではなくなった。あまりにも物故者が多くて「このレスラーを忘れている」という書き落としがあるかも知れないが、そこはご容赦いただきたい。いずれにしても、故人のご冥福をお祈り致します。

 人間は誰でもいつかは死ぬのだから仕方のないのだが、それにしてもプロレスラーは若くして命を落とす人が非常に多い。実に哀しいことである。
 ビッグ・バン・ベイダー(本名:レオン・アレン・ホワイト)もその一人だ。彼の追悼記事は既に書いたのだが、そのときには追悼記事として相応しくないと思い、カットした部分がある。
 今回は年の瀬、そして今年最後のファイトクラブ記事として、31年前の暮れに起きた事件について書いてみたい。

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ベイダーの日本デビュー戦で起きた、両国暴動事件

 ビッグ・バン・ベイダーで忘れられないのが日本デビュー戦である。新日本プロレスにとって黒歴史とも言える事件が起きた。
 事件が勃発したのは今から31年前、1987年12月27日の東京・両国国技館でのことだ。昭和で言えば62年、昭和が終わったのは64年1月7日だから、平成が始まる約1年前のことである。
 ベイダーの登場は、単に外国人レスラーが日本デビューした、というものではない。そこには、ややこしい事情があったのだ。

 事の発端は、1987年9月にお笑い芸人のビートたけしが、東京スポーツの後押しで『たけしプロレス軍団(以下、TPG)』を設立し、新日本プロレスに挑戦しようという企画である。実際には、ケンカ状態にあったビートたけしと東スポを和解させるために、アントニオ猪木が仲裁に入ったらしい。新日本プロレス側はTPGに対して「プロレスをナメるな!」という態度で、両団体の間に不穏な空気が流れたが、もちろんこれは抗争を盛り上げるためのアングルだった。
 TPGのコーチ役は、奇しくも今年、ベイダーが亡くなった約1ヵ月後にこの世を去ったマサ斎藤。ベイダーを売り出すため、日本に連れてきたのもマサ斎藤だったのである。

▼ケン・片谷『メシとワセダと時々プロレス』㉚原点 その2:たけしプロレス軍団が現在のプロレス界にもたらしたもの[ファイトクラブ]ビッグ・バン・ベイダー

ケン・片谷『メシとワセダと時々プロレス』㉚原点 その2:たけしプロレス軍団が現在のプロレス界にもたらしたもの[ファイトクラブ]ビッグ・バン・ベイダー

 迎えた運命の12月27日、両国国技館のセミ・ファイナルは藤波辰巳(現:辰爾)&木村健吾(現:健悟)vs.マサ斎藤&ビッグ・バン・ベイダーのタッグ・マッチ、メイン・エベントはアントニオ猪木vs.長州力が予定されていた。
 しかしセミ・ファイナルで、斎藤&ベイダーと共にビートたけしとたけし軍団のガダルカナル・タカおよびダンカンが入場、控室にいる猪木に対してアピールしたのだ。
「挑戦状を受け取ったのは猪木さんなのだから、ベイダーと闘うのは猪木さんのはずです!」
 たけし軍団の挑発に対し、猪木もリングに上がって、マイクを取った。
「受けてやるかコノヤロー!お客さん、どーですか!?」
 もちろん、これらは全てアングルだが、当時のプロレス・ファンはアングルなんて知らない。両国国技館に集まっていた新日信者、猪木信者にとってTPG(もちろん、ビートたけしを含むたけし軍団も)は、神聖な新日マットを汚す不届き者としか思ってなかったのだ。

▼アントニオ猪木に対してビッグ・バン・ベイダーとの対戦を要求した、たけし軍団のダンカン
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 結局、試合は突如変更されてセミは藤波辰巳&木村健吾vs.長州力&マサ斎藤、メインはアントニオ猪木vs.ビッグ・バン・ベイダーとなった。
 しかし、収まらないのは猪木と長州の一騎打ちを観に来たファン。この日は、1ヵ月前に起きた前田日明の顔面襲撃事件により、負傷欠場していた長州の復帰戦だったのだ。藤波組と長州組のタッグ・マッチが行われている最中も、ずっと「やめろ!」コールの大合唱。試合が終わっても、リング上には物が投げ込まれた。
 しかも長州は、消滅したはずの猪木とのシングル・マッチを要求。やむなく急遽、猪木vs.長州が復活した。しかし、2試合目の長州と、次にベイダーとの試合が控えている猪木とのシングルは、長い時間闘うわけにもいかず、ほとんどやっつけ仕事のような形で猪木の反則勝ちとなった。
 さらにメインの猪木vs.ベイダーも、猪木は全くいいところがなく、僅か2分49秒でベイダーのフォール勝ち。怒りの頂点に達したファンは大暴動を起こした。

 今のプロレス・ファンなら、ビートたけしほどの超大物がプロレスに絡んだら大喜びだろうが、当時のプロレス・ファン、特に新日ファンはプロレスが全てで、余計なモノはいらない。神様のアントニオ猪木に比べればビートたけしなど足元にも及ばず、ましてやたけし軍団など(敢えて悪く言えば)チンピラの集まりぐらいにしか思っていなかったのである。
 しかも、この日はビートたけしファンも両国に詰め掛けており、新日ファンとビートたけしファンとのケンカも暴動に拍車をかけた。
 たけし軍団を取り込んでいればプロレスも、もっとメジャーになったかも知れないが、結局はビートたけしを呆れさせ、プロレス界から撤退してTPGは消滅した。TPGの登場は、時代が早すぎたのかも知れない。この日は、強さのインパクトを残したベイダーの独り勝ちと言ったところか。

あの両国暴動は藤波のジョブ拒否から始まった?

 以上が両国暴動の顛末だが、当時はもう少し複雑な事情が絡んでいたようだ。それは元々、ベイダーの相手は藤波が務め、ベイダーの売り出しのために藤波がジョブ役(負け役、お仕事役のこと)を務める予定だったというのである。

 このことを明かしたのは、当時この日のレフェリーを務めていたミスター高橋。ミスター高橋は後の自著『流血の魔術 最強の演技(講談社)』で、以下のように書いていた。

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