[週刊ファイト8月30日号]収録 [ファイトクラブ]公開中
▼唸るウエスタン・ラリアット打法!? 高校球児だったハンセンJr.
by 安威川敏樹
・元祖・二刀流!? 高校球児だったスタン・ハンセン
・ハンセンの野球好きは二人の息子に引き継がれる
・米国選抜チームの一員として来日した二人のハンセンJr.
・現:中日の大野雄大投手とハンセンJr.が対決
・ハンセンJr.がイチローとチームメイト!?
今年の夏は異常な酷暑となり、各地で記録的な気温を観測した。また世間では、ボクシング連盟の会長がテレビ画面で吠えまくるわ、留置場から被疑者が脱走するわ、てんやわんやの大騒ぎ。
私事で恐縮だが、筆者は富田林警察署の管轄内に住んでおり、最近はずっと家の周りを警察官がうろついている。しかし、筆者の家に警察官が来て手配書を渡されたのは逃走してから3日後。今ごろ来ても遅いわい! と怒鳴りたくなる気持ちを抑えたが、警察も逃走犯もボクシング連盟会長も、この暑さでおかしくなったのだろうか。
さて、そんな中で熱い闘いを行っているのは高校野球。先日、筆者は高校球児だったプロレスラーについて書いた。
▼[ファイトクラブ]今年も熱い夏がやって来る! 元高校球児のプロレスラーは?
実は、彼ら以外にも高校球児だったプロレスラーがいた。あの『不沈艦』スタン・ハンセンである。
元祖・二刀流!? スタン・ハンセン
ハンセンが行っていたスポーツといえばアメリカン・フットボールのイメージが強いが、実は高校時代までは野球もやっていた。もっともアメリカでは、スポーツはシーズン制なので、高校生ぐらいまでは複数のスポーツを行うことも珍しくはない。
漫画『プロレススーパースター列伝(原作:梶原一騎、作画:原田久仁信)』には「スタン・ハンセンは高校に進学すると、誰からも文句を言われずケンカできる方法を見つけた。無類に荒っぽい二大スポーツのアマレスとフットボールである!」と書かれているが、アマレスの方はウソ。ハンセンが高校時代に行っていたのはアメフトと野球である。
つまり、ハンセンも高校球児だったわけだが、もちろん甲子園を目指していたのではなかった。では、『アメリカの甲子園』を目指していた? いやいや、アメリカの高校野球には全国大会はない。
ハンセンは大学卒業後、プロ・フットボーラーになったが、野球好きは変わらなかった。阪神タイガースに在籍していた『史上最強の助っ人外人』ランディ・バースとは仲が良く、よく甲子園へ行っていたという。実際にテレビ画面で、甲子園のスタンドに座っているハンセンとザ・デストロイヤーの姿が映し出されていたこともあった。
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ハンセンの野球でのポジションはピッチャーかファースト。つまり、ハンセンは二刀流だったわけだ。もっとも、日本の高校野球でも複数のポジションを掛け持ちするのは珍しくもないが。とはいえ、アメフトもやっていたのだから、大谷翔平(ロサンゼルス・エンゼルス)よりもよほど二刀流だったとも言える。
バッティングは本人によると「良かった」そうだが、これは自己申告だからわからない。ただ、スイッチ・ヒッターだったらしい。プロレスでの不器用なファイトぶりからは想像できないが、野球ではなかなか器用だったのかも知れない。ウエスタン・ラリアットでさえも、左腕しか使わなかったのに。あ、バグジー・マグロ―戦では、右腕ラリアットでピンフォールを奪ったか。
ピッチャーもやり、打撃も良かったとなると、メジャー・リーグに進めば大谷翔平よりも前に二刀流となるところだが、アメフトの道へ進むようになった。
▼阪神タイガースのユニフォームを着てロングホーンを決めるスタン・ハンセンのTシャツ
ハンセンの野球好きは二人の息子に引き継がれる
プロ・フットボーラーから教師、そしてプロレスラーとなったハンセンだが、高校卒業後も野球に縁がなかったわけではない。ハンセンの野球好きは、二人の息子に引き継がれた。兄のシェーバー・ハンセン君と弟のサミュエル(サム)・ハンセン君である。もう二人とも成人しているのだから『君』もないだろうとは思うが、本稿では『君』付けで書かせてもらう。
ハンセンは一度、離婚をしているが、シェーバー君とサミュエル君は後妻の息子。後妻は日本人のユミ・ハンセンさんだ。つまり、シェーバー君とサミュエル君はアメリカ人と日本人とのハーフということになる。しかも幼少の頃は日本で育ったので、日本語も話せるという。