[ファイトクラブ]今年も熱い夏がやって来る! 元高校球児のプロレスラーは?

[週刊ファイト8月9-16日号]収録 [ファイトクラブ]公開中

▼今年も熱い夏がやって来る! 元高校球児のプロレスラーは?
 by 安威川敏樹
・今年の夏の甲子園は第100回のスペシャルな記念大会
・元高校球児のプロレスラーとは?
・高校球児から巨人軍を経てプロレスラーになったジャイアント馬場
・『21世紀枠推薦校』で高校球児だった棚橋弘至
・ジャイアント馬場の後を継ぐ野球出身レスラー!? 越中詩郎
・『5打席連続敬遠』の教え子、松坂世代の関本大介
・マー君の愛人!? ブルペン捕手だったT-Hawk
・堂々たる甲子園出場、金丸義信! 当時から将来の夢はプロレスラー


 今年もまた、甲子園の季節がやって来た。全国高等学校野球選手権大会、いわゆる夏の甲子園は今夏で第100回のスペシャルな記念大会となる。全国の地方大会を勝ち抜いた史上最多の56校が阪神甲子園球場(兵庫県西宮市)に集い、メモリアルな大会で日本一を争う。

 実はプロレスラーにも、高校時代は甲子園を目指していた元高校球児は多い。いくらプロレスラーを志望していても『プロレス部』なんてクラブがある高校など無いから、高校時代は野球部に入って甲子園を目指そうというわけだ。
 あるいは、純粋に野球少年だったのが、高校卒業後はプロレスラー志望になった選手もいる。

 それでは、高校時代は甲子園を目指していたプロレスラーを見てみよう。

高校球児から巨人軍を経てプロレスラーになったジャイアント馬場

 野球選手からプロレスラー転向と言えば、ジャイアント馬場の名を挙げぬわけにはいくまい。
中学時代からピッチャーで鳴らした馬場は、新潟県立三条実業高校(現:新潟県央工業高校)に入学。しかし、当初は野球部には入らず、美術部に入部した。野球部に入らなかった理由は『16文の足に合うスパイクが無かったから』。
 だが、野球部長の先生が馬場のために特注でスパイクを作ってくれて、二年の春に野球部に入部した。

 馬場は入部していきなりエースで四番打者、練習試合では連戦連勝。1試合で18奪三振という記録も作った。当然、夏の甲子園出場への期待も高まる。
 主催の朝日新聞の新潟版も『全国高校一の巨漢の馬場投手を擁する三条実業が優勝候補』と書き立てた。

 しかし、地方大会の初戦で馬場は好投したものの、新潟県立長岡工業高校にサヨナラ負け。甲子園の夢はアッサリと潰えた。
 来年こそは甲子園! を目指すはずだったが、馬場は二年途中で高校を中退し、プロ野球の読売ジャイアンツ(巨人軍)に入団。結局、馬場が甲子園を目指したのは二年の夏だけだった。

▼巨人軍時代、一軍戦で登板するジャイアント馬場

 馬場は巨人軍を戦力外になった後は、大洋ホエールズ(現:横浜DeNAベイスターズ)のキャンプに参加したものの、風呂場で転倒してケガを負ったためプロ野球を引退。プロレスに新天地を求めた。
 ただし、高校時代は甲子園の土を踏めなかったとはいえ、プロ野球では大阪タイガース(現:阪神タイガース)との一軍戦で、甲子園のマウンドに立っている。

▼高校球児からプロ野球の巨人軍、そしてプロレスラーへと王道を歩んだジャイアント馬場

『21世紀枠推薦校』で高校球児だった棚橋弘至

 プロレス界では『100年に1人の逸材』と呼ばれる棚橋弘至も、かつてはバリバリの野球少年だった。岐阜県出身の棚橋は、名古屋を本拠地とする中日ドラゴンズの大ファン。剛速球投手だった小松辰雄や郭源治に憧れて、岐阜県立大垣西高校では迷わず野球部に入部した。
 当然、高校ではエース投手を目指したが、実際には左翼手で二番手投手。小松や郭のようなオーバースローの速球投手になりたかったが、それでは通用しないのでサイドスローの技巧派になったんだとか。案外、自分を冷静に見つめる目を持っているようである。

 三年の夏は岐阜大会の三回戦で大垣日大高校と対戦。大垣日大と言えば今年(2018年)の夏の甲子園に出場する強豪校だ。2007年の春のセンバツでは準優勝を果たしている。監督は愛知の名門・東邦高校でずっと指揮を執っていた名将・阪口慶三である。

 ただ、棚橋が対戦した頃の大垣日大は、阪口監督が就任する前で、大して強くなかったらしい。棚橋の大垣西は6回終了時点で8-0と大垣日大を一方的にリード。
 ところが、あと1イニングを1点以内に抑えればコールド勝ちという7回の守りで、大逆襲に遭ってしまう。
 8-10と逆転された大垣西の最後のバッターは、あろうことか棚橋。ランナーが1人いたので同点ホームランを狙った棚橋だったが、結果はセカンドゴロ。棚橋にとって最後の夏は終わった。

▼甲子園を目指した最後の夏、最後のバッターとなった棚橋弘至

 高校卒業後の棚橋はプロ野球選手の道を諦めて、スポーツ記者を目指すべく立命館大学(本誌ライターであるターザン山本氏の母校)に進学したが、そこのプロレス同好会に入会してプロレスラーへの道を歩むようになる。もし、棚橋が甲子園に出場し、プロ野球の道に進んだら、現在のプロレスラー・棚橋弘至は存在しなかったかも知れない。

 今年(2018年)のセンバツでは、棚橋の母校である大垣西は21世紀枠推薦校となったが、残念ながら選に漏れ、甲子園出場はならなかった。

ジャイアント馬場の後を継ぐ野球出身レスラー!? 越中詩郎

 かつては高校球児だったジャイアント馬場が興した全日本プロレスに、野球少年が入門した。後の“ド演歌ファイター”越中詩郎である。
 越中は日本工業大学駒場高校で野球部、四番打者でキャッチャーという、まるで高校野球マンガの敵役として登場するようなシチュエーションの選手だった。

 しかし、高校時代からプロレスラーに憧れていて、特に全日本プロレスのファンだった。高校卒業後は電気工事関係の会社に就職するも、プロレスラーへの夢は諦めきれず、高校時代の野球部監督のツテによりジャイアント馬場に紹介されて、1978年に全日本プロレスに入門する。

「越中は絶対に、ジュニア・ヘビー級の世界チャンピオンになれる! なれなければオカシイだけのセンスが越中にはある」と、馬場は越中の素質を絶賛していた。馬場の期待どおり越中は、若手レスラーの登竜門であるルー・テーズ杯争奪リーグ戦で優勝し、出世街道を驀進した。
 その褒美として、メキシコ遠征に旅立ったのである。

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