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寺内1/2兵衛のviva素晴らしきプロレス#4ユニバーサルレスリング連盟初の遠征・愛知県体育館へ

 ユニバーサルレスリング連盟初の遠征・愛知県体育館へ「また、トラブル発生」。名古屋で名勝負が誕生、でも:::格チャン収録せず残念。花も嵐も乗り超えて:::^^。
 1990年3月2日、JR東京駅発、昼過ぎの名古屋行き新幹線「ひかり」にmexico勢と一緒に乗り込み、さすが、と関心せざるを得ないほどラテンパワー全開のはしゃぎぷりで、君達は修学旅行生か^::.と突っ込みをイレタクなるが「皆さんも思い出して下さいー、初めての新幹線乗車を」。確か昔は、「夢の超特急ひかり号」なんてキャッチフレーズだったと思うけど。
 何て想像力を掻き立たせる表現なんだろう。昭和40年代のSFアニメの『スーパジェッター』が個人的に好きで、番組冒頭の♪流星号応答せよ、流星号応答せよの歌詞は、未来って速く来ないかなあーって創造するだけで楽しかったねぇ。YouTubeで観られるよ。

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当時ケンドーからプレゼントされたキーホルダー

 僕は、1970年8月の大阪万博へ行き、当時大ブームの月の石を見たく2時間半もアメリカ館に並んだのに、余りの混み具合と暑さに、予定を変更し泣く泣く断念した苦い思い出が鮮烈に残っている。アストロもケンドー達も勿論だが、来日経験のあるぺロ・アグアヨとブラックマンは、笑顔の中にも品がある雰囲気をかもし出していて和気あいあい、目的地の名古屋駅に午後3時頃到着し、taxiで分散し、愛知県体育館に到着。「とにかく会場が^広いのは当たり前ですが、backstageも広くおどろき^。サアー、ここで連載シリーズ「なぜ(porque)::2」
自分の経験した、日本-USA-Mexicoの会場or体育館のイメージのギャップ^^とは::。

1) 田園コロシアムは元来テニス会場でしたが、全体はすり鉢状で2階席はコンクリート作りのひな段になっていて、昔の野球の球場もイス席とコンクリート席に別れている。長時間座るとお尻が痛くなりきつかった^^・・。FC誌「エル・アミーゴ」時代、1977年8月25日のジャンボ鶴田とのUNヘビー級戦の試合前に騎馬を担ぐ為に、初めて控え室側で待機していたら、マスカラスが、当時のジョー樋口レフェリーや若手レスラーを引き連れて登場して来た時の「オーラ」が凄かった! もう超が付くほどカッコよく、体中を天使ならぬ星の妖精「ティンカーベル^^・・」が守っている様で、衝撃度は今も忘れられない程に凄い。現在のレスラーで万人が認める「オーラ」を放出している選手が世界で何人いるのか・・・。ちなみに控え室はドアでなく引き戸だったのも覚えている。

2) レベルは違えど、2010年2月に初観戦した新木場1st ringの控え室も凄く、2つあり、やはり狭く、トイレもシャワールームも他の場所まで行かないと無いなんて。この小さな小屋に過去、仮面貴族が試合したなんて・・・。10月11日にも登場しました。

3) 名古屋、愛知県体育館。本年は野球賭博問題でお騒がせの大相撲夏場所が7月4日から開催された殿堂です。昔の名勝負は1968年6月25日プロのジャイアント馬場vs.ボボ・ブラジルのインターヘビー級戦で、まさかのブラジルが2−1で馬場を破り第4代王者に就く。しかし、2日後の蔵前国技館での再戦で、2−1で馬場が王座奪還し、第5代王者に輝くが、3本目のブラジルのカウントアウト負けは衝撃で、ブラジルの首がトップロープとセカンドロープに挟まりグイグイと首が締めつけられ・・・今も、大木金太郎の耳そぎ流血シーンは、子供ながらに怖く忘れられない。因みに、当時の馬場がインター王座戦で負けたのは、この黒い魔人とジーン・キニスキーとの1970年12月3日大阪府立体育館、2−1でキニスキーが第6代王者になり、初めてのタイトルの海外流失。3本目は、バックドロップでのフォール勝ち。

 そして、同年12月18日ロスで再戦し、馬場が2−1で勝ち、第7代王者に返り咲く。日プロ時代の愛知県体育館名勝負は1971年8月5日のUNヘビー級王座戦だ。”若獅子”アントニオ猪木vs.”南部の麒麟児”ジャック・ブリスコ戦は、2−1で猪木の勝利。3本目はコブラツイストがフィ二シュ。2度目の王座防衛だった。両者の再戦は、8年後の1979年5月10日、福岡スポーツセンターでのNWFヘビー級王座戦。これは61分1本勝負で、16分49秒、首固めで猪木の勝利となり22度目の王座防衛である。

 ブリスコは地味なイメージがあったが、1974年1月の全日プロ『NWAチャンピオンシリーズ』は、ドリー・ファンク・ジュニア、ハ―リー・レイスとの対戦が、当時の本場セントルイスマットのハイクオリティ技の攻防と起承転結の構成で、もう、言葉も無く唸るだけ。やはり、世界最高峰はNWAがNo.1だった時代のこと。当時のゴング誌を読むだけで、なんだかvery happy.今年の春、天国に旅立ったブリスコさんにアーメン。YouTubeに何試合かあるかも。

 あと、王者ブラジルを馬場さんが48時間ぶりにタイトル奪還した、かの試合。なにせ2日前の蔵前国技館で、馬場さんが破れびっくり!! だって、当時の馬場さんは、無敵の王者で日プロ時代にタイトルマッチで負けたのはキニスキーだけで。
 タッグのインタータッグ王座パートナーは勿論アントニオ猪木で、負けたのは1969年2月のダニー・ホッジとウイルバー・スナイダー戦、札幌中島体育センター大会他1試合だけ。

 愛知県体育館に話を戻せば、次は1978年8月、マスカラスvs.エル・ハルコンのへアー&マスクマッチ。この当時は、まだカベジェラ・コントラ・マスカラと言ったスペイン語表記は無かった。勝者は、勿論マスカラス。そして、メインのジャンボ鶴田vs.キム・ドクのUNへビ−級戦60分3本勝負1−1のフルタイム時間切れの引き分け激闘の好勝負で、戸口は強かったなぁ。
 また、1985年3月14日、ブロディがキラー・ブルックスと組み、G馬場、J鶴田組との試合中に謎の試合途中放棄。これはYouTubeにも無いのが寂しい。2010年の7月でブロディ死して22年;;生きていて欲しかった。アーメン! 凄いインパクトで、正しく名優の1人だったねぇ。 1週間後に、新日プロの後楽園ホールにスーツにチェーンを振り回しBGMベートーベンの「運命」で衝撃の登場。リング上の猪木との視殺戦は「運命の出会い」だった訳だ。
 本年の7月で23回忌とは。amen.-burodyyyyyyyyy:::.「涙のレクイエム」

 因みに、名古屋大会のメインは、ロード・ウオリアーズのAWA世界タッグ王座に、長州力、キラー・カーン組が挑戦して王座移動なし。観客数9200人の満員だった。今夜は、CDで久々『運命』を聞こう。−サッカーW杯の合間をぬって^^。
 それにしても、ここ最近の名勝負、愛知県体育館はリストに無いに等しいね。残念でならない。

 ここで、「なぜporque」シりーズに戻ると、名古屋大会当日のメインだった浅井vs.ネグロ・カサスのシングルマッチは、今も忘れられないムイビエン「最高」な内容で記憶に残る。浅井君のアステカ式スープレックスでfinish. 残念ながら格チャンは収録しておらず、当時のUWA直輸入試合のレベルの高さと技の攻防は、実数400人位でしか目撃されなかった。これは非常に勿体無く、全盛期の2選手に多くのファンが見守る中での試合をさせたかったが…。
 なぜなの:::と首を傾げた、入りの悪さにショック。後に宣伝PR不足だった訳で、プロモーション活動の重要性を再認識させられたという次第です。
 逆に、関心させられた場面は、事前アップの重要性。数多くの団体と関わり、試合前の練習風景を目撃した中で、これは特に記憶に残ること。因みにユニバ、全日女子、WING、FNW、パイオニア戦士、JWP、新格闘プロレス、オリエンタルプロ、IWA、バトラーツ、PWC、みちのく、TAMA拳心館、世界のプロレス、イーグル、WCW、ECW、WWE、EMLL・・・いろんな団体のお客を入れる前の会場風景を見てきた訳であるが…。練習熱心な選手は、ネグロ・カサス、故エル・テハノ、シルバー・キング、バイソン木村他にも多くいるけど、すぐ思い出すと言う事で、これらの名前を紹介したことご了承ください。
 今NHK-FM[music plaza]を聞き、大好きなシャナイア・トゥエインの♪upを聴きながら書いている。Canadaの美人singerでカントリーもgoodだよ。次いでオリアンチイ登場で気分はmuybuen.「皆さんもcheckしてね」

 話は戻り、メインの浅井とカサスのmuybien(最高)の試合が終わり、夜のmexico店で、またトラブルが:::。全選手とスタッフで打ち上げ。村川(のちのグレート・サスケ)がビール、テキーラをガンガン飲まされ、もうダウン一歩手前::。「盛り上がるのもいいが、これはいじめに近く救急車が出動なんてしゃれにならず、早く終わって欲しいと思った時、浅井君がカウンターに呼び一言「やってられないですよ」と呆れた顔で。
 村川も僕も飲まされ、どうにか歩けたが、村川はダウン。明日のあとに東村山大会では、何も起きない事を祈り、ホテルに戻った。

 翌日の新幹線も、車内は、またも大騒ぎで、もう大変。でも本職の試合では、皆、いい仕事する。この東村山大会でケンドーが右肩負傷し、浅井も右足首負傷で翌日の後楽園大会のカードは一体どうなるか。そして、シリーズ終了後にまたハプニング。
 そして、成田空港での涙の別れ:::amigoたちよ。
 次期シリーズ6月1日開幕戦の後楽園大会でまさかの一言が。
 「もうこの人に付いて行けないよ!」

 詳しくは、次回に。あなたのハートにはアストロとケンドーとミルホンネット。アディオス・・アミーゴ。

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1995年5月のIWAジャパンに来日したスペル・アストロとシルバー・キングと。今は無き、池袋の「タコス・デル・アミーゴでの飲み会で、アストロに貰ったTシャツを着て^^・・。シルバーからは、メヒコから持参した、テキーラをご馳走されて^^^・・。「店内は、日本とは、思えない佇まい」・・ファッション誌の「メンズクラブ」の取材でも利用し、デートでも・・・。良い雰囲気の店だった。

*15日昼頃発売の『マット界舞台裏10月21日号』には、寺内さんが秘蔵写真を大量提供した「マスカラスの知られざる素顔」が、10・9NOSAWA論外興行のルポと合わせて収録されます。ご期待下さい。
#1「格闘チャンプフォーラムのMC決定の真実」
#2 「格闘チャンプフォーラム始動とデビュー戦」
#3ユニバのリングアナ時代に経験した悔しさと、あの代表への怒りを初公開
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海の日の灼熱・情熱・白熱 寺内1/2兵衛+FACE OFF

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2010年10月14日 17:04に投稿されたエントリーのページです。

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