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寺内1/2兵衛のviva素晴らしきプロレス#2 「格闘チャンプフォーラム始動とデビュー戦」

現在YouTubeでも観られる北尾光司vs.バンバン・ビガロ戦は、先ず、北尾の入場場面はマサ斉藤がセコンド役で隣に付き、故ルー・テーズが激励の握手で迎えとVIP待遇でGATEに登場するところから。1990年2月10日の新日本プロレスである。

スポーツ刈りで黄色のメッシュが入り、黒のサングラスに皮ジャンで黄色と赤の2本線があるショート・タイツに同色のレガースタイプのシューズ。”超人”ハルク・ホーガンのパクリは一目瞭然。全くもってカッコ悪く東京ドームは騒然。このコスチュームにファンはビガロに大歓声の応援。一瞬にしてホームからアウェイ状態とはことのことか。
ゴングが鳴り、巻き投げ2発からタックル2発は、互角。場外にラリアット気味のパンチで落ち、やっとリングに戻ってもビガロのペースで試合は進む。

北尾の苦し紛れのサモアンドロップから、ロープになぜか2度走ってのギロチンドロップ1発でまさかのフォール勝ち。「そりゃ無いよ」と当時の悪夢が甦った。「試合前のインタビューで隣にいた故スティーヴ・ウィリアムスとこの日のスタン・ハンセンとの度迫力マッチで今も色褪せない。名勝負ライバルのベイダーとビガロは、当時の外国人3強なのに刺青獣のyouは相手に合わせすぎ」〜モンスターファクトリー出身だろって〜試合レポートはここまで。

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エル・カネックと『月刊プロレス』のルチャのフォトに笑顔の2人〜昭和53年3月京王プラザホテルの部屋にて。写真右は帰国前のバスの前で〜昭和53年8月当時の銀座東急ホテル

第一回でもコメントした様に試合VTRはテレ朝との兼ね合いなのか使用出来ずに、2時間のSP番組は菊池さんと2人で週刊ゴングと、東京スポーツの記事とphotoで構成して、約10時間に及んだ収録〜高級中華料理店での打ち合わせも入れてですが〜が続く。その後は吉野家かマックのテイクアウトを応接間でゲストを交えて食べながら打ち合わせ。収録は殆どpm9-10入りで、終りは平均して深夜1時頃でスタッフと飲みに行ったり、直ぐ宅送だ。局の手配してくれたタクシーか、当時格チャンのファンであったamigoの新宿のバーに行き、始発のJRで家まで帰ったりする。翌朝の仕事が早いとき、新幹線か飛行機の場合は、今は無い銀座のオフィスに泊ったり、ウォーリー宅に泊ったり…。ハードな日々だけど、好きなことで生活出来る喜びで疲れたなんて思わず、もっと忙しくてもokって燃えてたね。今もこの気持ちは変わらない^。

でも拘束時間約10時間は後にも先にもこの1回限り。
「信じられない!」、「格チャン史上、最高収録時間は第1回で樹立」
疲れの中にもスタッフ一同協力して作品(番組でなく作品とかっこつけてる訳でなくニュアンスとして::)に没頭したのである。しかしデビュー戦の成功例は、過去を振り返れば、マスカラスの日本デビュー戦の星野勘太郎との昭和46年2月19日の後楽園ホール、ドス・カラスの日本デビュー戦の渕正信との昭和53年8月の鹿児島県立体育館、佐山タイガーマスクのダイナマイト・キッドとの昭和56年4月23日蔵前国技館、の3試合は、しっかり記憶にインプットされているが・・・。
微妙なのが、長州力のエル・グレコとの昭和49年8月の日大講堂。
谷津嘉章の日本デビュー戦の猪木とタッグを組んだ対ブッチャー、ハンセンとの昭和56年6月の蔵前国技館は強烈。「外国人2人の容赦ない拷問のような痛ぶりは、谷津に同情したほどの残忍さ」でしたね。

番外編で、ロード・ウォリアーズの日本デビュー第二戦でのジャンボ鶴田、天龍源一郎とのインタータッグ両国国技館でのプロレス初使用戦の昭和60年3月。賛否両論はあれど、皆さんの意見も聞かせてね。
その後のレスラー人生を左右すると言っても過言でない大事なデビュー戦。貴方も一度好きなレスラーのデビュー戦思い出すのも楽しいかも^。

話は戻り、格チャン1回目のオープニングは緊張感もろだしでスーツにネクタイで登場。

「ボーダレス時代の今日、内外の格闘技に焦点を当て国境は無し。格闘技大好き人間のMC格闘spice boyの寺内1/2兵衛です」と話してpower channelからSVNに変りGaoraで途中2度の休みがあり7年半のハチャメチャ番組も今年で成人式。「思えばファンの応援と、レスラーと関係者の皆さんと格チャンスタッフの熱意の賜物であり、心から感謝でいっぱいです。Gracias」
ここで初公開秘話〜
1、初めは格闘championship forumでした。
2、テッコンドーもあった。
3、今の六本木ヒルズの側にあった港信用金庫が1階で2階から上が確かJCTVでしたが今は無く2003年5月から六本木アマンドの近所のsports-bar“peak”の店長になり、新崎人生、足立知也、元WJの大森隆男、talk-liveでウォリー山口、木原リングアナ、ジミーヤン、ケン・片谷、志茂田景樹、jdの皆さん、黒田哲広、星川尚弘他が来店。ただし、懐かしく散歩したら、跡形も無く寂しさと残念な思いが入り混じり悲しさにheatは:::。4階のトイレの窓から旧テレ朝がよくみえていたね。「喜びと悲しみの繰り返し::」
(ちなみに1990年10月から1年、新宿歌舞伎町、末広亭そばのカラオケpub “101”の店長になったことも。ウォーリー、清水さん、浅井選手、格チャンstaff来店してます)

緊張感を和らげるには、人それぞれ有るでしょうが、僕は今でも十字を胸の前で2度切ると心が落ち着く。「昔から、手の平に人と一文字書いて口に飲み込むと緊張しないとまことしやかに格言の如く言われていて、思い出すのは、いまは引退した女子フィギュア・スケートの恩田さんが良く試合前のリンク上でこの御まじないをしていたのが印象的だったね。
十字を切るサッカープレイヤーは数多くいるけど、知ってる範囲では、メキシコはアレナ・メヒコの中に祭壇が有り「1996年6月、この場所に行き祈りを捧げた」のが自慢かも。
次にサッカー好きのファンなら知っているバルセロナのホーム・スタジアム=カンプノウにもピッチに出る途中の階段の側に祭壇があるよ。
人それぞれの儀式なのかおまじないは、あっても無くても本番に自分の力を100パーセント出せればgood.
皆さんも思い出の体育館、昔住んでた家。アパートやお店が今、現存していたら何て素晴らしい事か:::」  正しく「時を駆け抜ける自分探しの旅」。たまには時間を作ってゆっくり自分を見つめるのもいいかも^。忘れていた何かを発見できるかも^:::」
なんてキャラが違うって声がきこえそうだが、こう見えてロマンチックで涙もろくbeerとbarとjazz「特にチェット・べーカーとアニタ・オディ、やっぱりjazzは心に染みて自分の素顔に帰れる至高の喜び。
でも「8年隣に座るladyはいないけど^」トホホーjesus!
他に映画とドラマとノンフィクションは大好きで良く泣いた姿みたamigoの皆さん覚えてるかな^。
ところで「キャラクターって何なの^」
正しくはマスクマンの素顔と仕事の顔。
女性なら化粧前と後の顔かな^。人間の素顔ッて何だろうかな^。::^。ドス・カラスは2つの顔で、マスカラスは1000の顔を持ち、ビリー・ミリガンは24の人格って::人は謎が多く繊細で難しく皆同じ人は、世界いずこ・・・何て厄介な生き物なのか^::。
話が横道に逸れてしまいsorry.
「人生、生きて生き抜いてこそ答えを模索する旅ではないかなんてたまに考えてもいいよね^。」

次回は日本初のルチャリブレ団体「ユニバーサル・レスリング連盟」旗揚げシリーズ!
3試合「1990年3月後楽園ホールの2試合と東村山大会」の秘話でお届け。
あの浅井嘉浩の日本凱旋試合でのラ・ケブラーダ初公開、さらにメキシコのスペル・エストレージャ(スーパースター)揃い踏みの本場直輸入・日本上陸でした。レフェリーはウォーリー山口。因みにリングアナは僕でした^^・・。

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昭和53年8月、新潟から福井へ移動中のブラザースたち。確か向かい席はエル・ハルコン。特急名は・・・何だっけ?

スペル・アストロ、ケンドー、ネグロ・カサス、ぺロ・アグアヨ、ブラックマン、グラン浜田、脇田、村川、秋吉、高山、アジャ・コング、バイソン木村、前田薫、ソチ浜田ほか。

また次回にお付き合いの程よろしくね。皆さん。
[あなたのheartにmiruhon.net, adios amigo]

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海の日の灼熱・情熱・白熱 寺内1/2兵衛+FACE OFF