[週刊ファイト11月09日号]収録 [ファイトクラブ]公開中
▼馬場と猪木との確執、その根本にあったのは宗教戦争だった!?
by 安威川敏樹
・エリートの猪木、叩き上げの馬場
・恋愛でもライバル、馬場と猪木
・『金曜夜8時』の男2人と結婚した倍賞美津子
・蔵前国技館での、10周年ガチ対決
・馬場と猪木、今度は宗教対決
衆議院総選挙が行われ、与党の圧勝に終わった。もはや日本は1党独走時代に突入したのか(おっと、与党は2党の連立政権だったか)。
そしてプロ野球ではドラフト会議が行われ、超目玉の清宮幸太郎(早稲田実業高)が7球団競合の末、北海道日本ハム・ファイターズがクジ引きで見事に引き当てるという、マンガみたいな展開である。これで日本ハムは、来年にはメジャーに行くであろう大谷翔平の後釜をキッチリ確保できたわけだ。ダルビッシュ有や斎藤佑樹、有原航平を引き当てるなど、ことドラフトに関して言えば日本ハムの独走状態である。
そのドラフトでは、我が阪神タイガースが1位指名したのは馬場(皐輔)投手。馬場投手といって思い出すのは、かつて読売ジャイアンツ(巨人)の投手だった馬場正平だ。
そう、後のジャイアント馬場である。
馬場は巨人を戦力外になった後、大洋ホエールズの春季キャンプにテスト生として参加したが、キャンプ中に風呂場で転倒してしまい大ケガ、プロ野球を引退したのは有名な話だ。
その大洋の後継球団である横浜DeNAベイスターズがシーズン3位から下剋上を果たし、日本シリーズに進出したのは感慨深い。ベイスターズが、パシフィック・リーグを独走で制した福岡ソフトバンク・ホークスを阻止できるのだろうか(と、この記事を書いている時点でホークスが第1戦で圧勝)。
YouTubeキャプチャー画像より https://www.youtube.com/watch?v=u-LBUn76E7c
馬場が設立した全日本プロレスが10月21日、創立45周年を迎えた。その記念大会がベイスターズのお膝元、関内にある横浜文化体育館で行われたのである。馬場の後、全日本プロレスのエースに君臨したジャンボ鶴田は生前、
「俺は横浜(文化体育館)じゃ負けないよ。だって俺は、横浜市の住民税を払っているからね」
と語っていた。横浜と全日本プロレスは相性がいいのだろう。ちなみに現在の全日本プロレスのオフィス兼道場は横浜市内にある。
しかし、現在のプロレス界はライバル新日本プロレスの独走状態。この日、全日の横浜大会に集まったのは1,870人。全日本プロレスの黄金時代、同会場のキャパシティ約5千人を超満員にしていた頃から見れば、45周年興行にしては寂しい入りだ。
同じ日に同じ首都圏の千葉・東金アリーナで行われた新日大会は2,050人を集めた。せっかくの45周年記念大会だったのに、全日は新日に敗れてしまったのである。
だが、この老舗両団体を遥かに凌駕する観客を集めた男がいた。ジャイアント馬場の最大のライバル、アントニオ猪木である。
アントニオ猪木の『生前葬』が、やはり首都圏の東京・両国国技館で行われ、7,000人という満員札止めの中で行われた(主催者発表)。つまり、全日はおろか、自らが創設した新日すらも圧倒したのだ。まあ、この7,000人という数字にはロジックがあるようだが、その件についてはこちらをご覧いただきたい。
▼[ファイトクラブ]アントニオ猪木『生前葬』両国札止め発表の怪~闘魂成仏できず彷徨う亡霊追跡
それにしても、なぜ猪木はわざわざ全日本プロレス創立記念日の10月21日に『生前葬』を行ったのだろうか? ただの偶然だったのだろうか??
エリートの猪木、叩き上げの馬場
前述したように、馬場は大洋をクビになって路頭に迷うハメになった。残されたのは2m9cmという、野球では役に立たなかった巨体のみである。それでも馬場は、食っていく道はこの巨体を活かす職業しかないと考え、力道山が興した日本プロレスの道場を訪ねる。
しかしその時、力道山は不在だった。ちょうどその頃、力道山はブラジル遠征中だったのだ。
そのブラジルで、力道山が惚れ込んだ若者がいた。それが猪木寛至、のちのアントニオ猪木である。
力道山は猪木を連れて帰国、その際に馬場の入門も許し、記者会見を行った。
「もと巨人軍選手の馬場正平と、ブラジルで獲れた猪木寛至。この力道山の跡を継ぐのはコイツらだ!ワハハハハ!!」
と力道山は豪快に笑う。
ちなみにこれは漫画『プロレススーパースター列伝(原作:梶原一騎、作画:原田久仁信)』からの情報であり、本当にこんな記者会見が行われたのかどうかは定かではない。
問題は馬場と猪木の、入門の時期だ。
馬場が力道山道場を訪れたときは力道山がいなかったのだから、入門は許されていないはずだ。しかし猪木はその頃、力道山に強引にスカウトされて、事実上の入門を果たしている。
つまり猪木は、馬場よりも先にプロレス界入りをしていたわけだ。
野球界ではプロ入りの時期とは関係なく、年齢が先輩・後輩の差を分ける。高卒でプロ入りした3年目の選手よりも、たとえ新人でも大卒の方が先輩になるのである。
しかし、プロレス界は違う。落語界と同じように、先にこの世界に入った方が、たとえ1日でも先輩となるのだ。そこに年齢は関係ない。
猪木は間違いなく、馬場よりも先に力道山の弟子になっていた。つまり猪木の方が、5歳年上の馬場よりも先輩なのである。
しかも馬場は、大ケガをしてやむなくプロレス界を志願した、悪く言えば落ちこぼれだった。
それに対し猪木は、力道山に惚れ込まれて、本人にはその気はなかったのにもかかわらず強引にプロレス界に引き込まれたのである。
「馬場がエリートで猪木は叩き上げ」とよく言われるが、実際には全くの逆だったのだ。本当は「エリートの猪木、叩き上げの馬場」である。
しかし、入門してみると馬場が先輩、猪木が後輩という序列だった。猪木は馬場を兄貴のように慕い、馬場は猪木を弟分として面倒をみた。
それでも、猪木は同期入門にもかかわらず、力道山から厚遇される馬場を羨んでいたのだろう。新弟子は普通、先輩の付き人となるのだが、馬場はそれを免除されて給料をもらいアパートから通う。
一方の猪木は力道山の付き人にされて、理不尽なまでの暴力に悩まされるのだった。