[ファイトクラブ]追悼チャボ・ゲレロ!昭和プロレス真の頂点だった藤波辰巳戦

[週刊ファイト2月23日号]収録 [ファイトクラブ]公開中

▼追悼チャボ・ゲレロ!昭和プロレス真の頂点だった藤波辰巳戦
 タダシ☆タナカ+シュート活字委員会編
 photo by 藤井敏之 猪俣謙次 タダシ☆タナカ

―― 週刊ファイト的には今週はチャボ・ゲレロ追悼ですかね? それにしても西尾智幸さんが伝説の藤波-チャボ戦、寝屋川市民体育館に行かれていて、撮影までしていたというのはビックリでした。

オフレコ 訃報の速報ブログでも書いたけど、1978年1月23日、大雪のMSGからの新日本『ワールドプロレスリング』中継にて、藤波辰巳がカルロス・ホセ・エストラーダにドラゴン・スープレックス炸裂させ、WWWFジュニア級王者に認定された中継番組が、「やる側・作る側」に与えた筆舌に尽くし難い大きな影響は何度強調しても足りない。
実際、そこから自衛隊駐屯地もある大阪・伊丹を拠点とした社会人プロレスの元祖JWAが一挙に活気づき、そこの下部組織みたいな恰好でDWA(同志社プロレス同盟)が、文化祭には前代未聞の学生らによる「プロレス大会」をやろうじゃないかという、当時の状況を鑑みればありえないような斬新な発想が芽生えた。

―― 今でこそ学生プロレスは後楽園ホールで大会やったりしますが、1978年にプロレスを研究する大学のサークル始動というだけでも前例がなかったのに、お客を集めて大会を開催するなどという宇宙人か悪魔の企画がいかにトンデモな事件だったことか。そこにさらなるトドメを刺したのが、藤波が大流血となった同年10月20日のチャボ・ゲレロ戦の衝撃だった。

チャボ・ゲレロさん天国へ!

オフレコ しかも不動のメインであるアントニオ猪木がトリではなく、藤波の王座防衛戦がテレビでは生中継という、テレ朝にとっても決死の覚悟の冒険回だった。闘っていたのは選手だけではないんです。裏方だってこの試合に賭けていた。但し、映像は現在倉庫に残ってないらしい。
世界で最初の学生プロレス団体DWAにせよ、JWAと合わせて関西からすべてが始まったのも、このカードが大阪の会場だったことや、生観戦した「やる側」予備軍も少なくなかった点で画期的な昭和プロレスの真の頂点だった。

08.6.13fujinami.jpg 撮影:猪俣謙次(DWA特約)

―― 現夫人かおりさんの恋心をくすぶっただけではなかったんですね。むしろ、のちの人生狂わされたプロレス少年が続出した契機だった。

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