美城丈二のセミファイナル

 全ての掲載稿が未だどこにも発表されてはいない、書きおろし新作ばかりをセレクト。【時代を超え、息づく論調】お馴染み美城丈二のただの回顧趣味には留まらない“あの頃の格闘浪漫”最新論考が全69ページ。ミルホンネット発足3周年記念出版作として、貴重資料を補足して感謝価格にてここに上梓。
『シンvs上田、狂虎と金狼の競演!!両者が対立した夜』
『もしや、人生の暗転劇場!?雪の札幌・長州襲撃事件 “テロリスト”があの男でなかったら!?』
『“時代”の影で暗躍する、“暗闇の虎”歴代ブラックタイガー・変遷史』

『あんな、弱弱しきハンセンは見たくはなかった!?“風雲登り龍”天龍源一郎の痛みの伝わるプロレスの正道』
『“黒い魔術師”と“インドの狂える虎”ブッチャーとシンが得られなかった新転地での【頂点】』
『カール・ゴッチ杯〜次代のヒーロー達が研鑽していた頃』

 優勝の栄誉を手にしたものには3大会全て優勝ジャケットなるものが進呈された。以後、「リングコスチュームとして着用することが許される」とのなんとも往時の新日本マットを思わす“手厳しい”特典が付いた。
 前座戦線に留まるレスラーにはリングコスチュームなど必要無い、と言われた時代である。「若手には大技を禁止していた」とされる、試合の構成を少ない技のみで表現させながら感情を前面に出すことを学ばせるといった手法。前座、中座、高座ともいうべきメーンにかけて徐々に華やかさが増してくる「ひとつの興行として魅せる」エンターテイメントという観点からも意義が見出せた、“手厳しくも嬉しい” 特典ではなかっただろうか?

 この一点においても当時を懐かしく振り返れる次第ではあるが、こういった“若手レスラーの登竜門”といった按配のリーグ戦は言わずもがな、次代のスターとして活躍してほしいとフロント側が願う選手をより世間に強く知らしめたいという思惑が如実に現れてしまったりするものだから、時に興ざめものの星取表になったりする。
 だが、純粋に一ファンとしてその闘い模様を眺めることが出来るならば、いかにもきびきびとした動きでフレッシュ感が漂い、楽しめるものだろう。当時としてはまだまだ“新たなる試み”とも評する方もおられたから、その背景まで踏み込んで見ようという層も多くはなかった(実際には日本プロレス時代に登竜門的若手のリーグ戦はあったが……)。「明日のスターを夢見る候補生」そういう暖かい視点でリングを見つめるファンがほとんどであった。今更ながらに“古き良き時代”を回顧できるリーグ戦でもあったのだなと言えまいか?

 
 その出場選手を改めて覗いてみよう。第1回からのちのプロレス史実を鑑みた場合、そうそうたる面子が出場していることが伺える。だが、若いファンには少々注釈が必要ではないだろうか?
 荒川とは荒川誠、大城とは大城大五郎、小沢とは小沢正志、のちのキラー・カーン、木村とは木村たかし、のちの木村健吾、栗栖とは栗栖正伸、タケシとはドナルド・タケシのことでシンガポールからのプロレス留学生、藤波とは藤波辰巳(現・辰爾)、藤原は現リングネームのままで藤原嘉明、そして浜田はこのときリトル浜田での出場、のちのグラン浜田のことである。
 第2回大会では後年、初代タイガーマスクの好敵手となる小林邦明が出場し、第3回大会では魁、魁とは魁勝司のことでのちのリングス、北沢幹之レフェリーと言った方が判りいいだろうか?
 そして特筆すべきは佐山、そう佐山聡、のちの初代タイガーマスクが出場している。もちろん、この時は素顔での出場だが、佐山はこの年の5月に魁とのデビュー戦を飾ったばかりであり、当時としても抜擢のリーグ戦参加であった。片や、魁はこのとき既にキャリア15年。専門筋で「若手の登竜門」という意義に対しての当然とも言うべき物議を生み、必然の「優勝候補筆頭」でもあった。
【本編『カール・ゴッチ杯〜次代のヒーロー達が研鑽していた頃』より抜粋】

『美城丈二のセミファイナル』筆者よりの謹告

美城丈二のセミファイナル

商品コード yoshikijyo010

価格 315 円

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