ある極悪レスラーの懺悔 親父の死、大相撲入門、プロレスとの出会い 2017-02-16 01:562020-08-26 14:09 ミスターポーゴ, 著者別:復刊本_写真集_教材 ツイート "極悪プロレスラー"ミスター・ポーゴ、本邦初の自叙伝、配信作。その第2章として『親父の死、大相撲入門、そしてプロレスとの出会い』篇をお送りする。 著者、畏敬の実父の選挙期間中の急逝、その実父が生前、描いていた著者、大学卒業後の西部グループ入社を蹴ってまでの大相撲二所ノ関部屋への入門の動機と経緯、そこから何故、プロレスラーとしての"運命"の入門を果たしたのか?、今回もこれまで語られることのなかった、或いは風聞として間違って喧伝されてきた著者にまつわるエピソードを著者渾身の肉筆によって、余すことなく告白していく。 治療法としては膝に出来た軟骨を取り去る手術が必要。 それ以外の方法は…無し! 主治医が続けて俺様に冷酷に言う。 「この手術をした場合、最低3年は相撲は無理だよ!」 3年も休業すれば俺様は、23才。 今の歳(当時20歳)でも大相撲の力士としては遅すぎるのに…。 というか、みんなから置いてけぼりを食らってしまうという、 何とも言えない焦りが俺様の脳裏を横切る。 一番、恐れていた結果が出てしまったのだった。 学生時代に柔道で膝を痛めたり、 また無理な正座のシゴキ等から、 俺様の膝の傷を補助すべく軟骨が出来あがったのだ。 しこ名・関川 大相撲・廃業 (本編より抜粋) 天龍源一郎、坂口征二、芳の里、吉村道明、グラン浜田・・・名だたる人々との織り成す人間模様。大相撲力士、プロレスラー、としてではなく、一己の人間・関川哲夫としての苦悩は続く。 俺様が後楽園ホールにて 新弟子として入門が決定になったその時期は 日本プロレスに波乱の波が押し寄せていた。 俺様が大好きなアントニオ猪木は日本プロレスを除名され、 すでに脱退していた。 あのジャイアント馬場も 日本プロレス興行株式会社を自ら辞めて 新団体を発足させようとしていた。 日本プロレスにとって、 残された看板レスラーといえば坂口征二に上田馬之助、 そして売り出し中の高千穂明久ぐらいだった。 (本編より抜粋) 激動の日本プロレス界にあって、文字通り、裸一貫で世間と勝負しようとした一己のひととしての叫び。ミルホン・ネットが自信を持ってお送りする、"極悪日本人プロレスラー"ミスター・ポーゴ、自叙伝・第二弾配信作。どうぞ、引き続きお愉しみください。 母と一緒の貴重な20歳当時。大相撲時代! 【驚愕の接点の数々】 財界:堤義明 政界:椎名悦三郎 荒船清十郎 内閣総理大臣・田中角栄 角界:大鵬親方 嶋田こと天龍源一郎 琴風、大徹、小沼 プロレス:芳の里 コミッショナー門茂男 吉村道明 【目次】 親父が選挙中に殉死 大鵬部屋入門と憧れの天龍先輩 皆から置いてけぼりを食らうのか 警備員としての、プロレス中継との出会い 椎名悦三郎コミッショナー、田中角栄からの激励 契約金は5万円? 芳の里代表に挨拶 激動期にあった末期の日本プロレス グラン浜田との再会とプロレス勧誘 ある極悪レスラーの懺悔 親父の死、大相撲入門、プロレスとの出会い商品コード misterpogo002価格 315 円 ウィッシュリストに追加する » 投稿ナビゲーション これが2009年デスマッチの今だ!ある極悪レスラーの懺悔 誰にも言わなかった新日退団の真実