「ちょっと一息ブレークタイム」昭和プロレス望郷の旅 byプロレス美術館:三沢光晴番外編

 プロレス美術館は開館以来10周年を迎えるが、当館のポリシーのひとつとして、一切の営業活動を行わないことにしている。
そのため,昼間は、まじめに勤務に勤しんでいる。よって開館時間は平日夜と休日が中心。そんな中、勤務中も含め、さまざまな内容の電話が入ってくる。
「京都観光のついでに美術館立ち寄りたいのですけど」
「○○選手の▲▲を探しているのですが」
「制作会社ですが、何か面白いことをされる予定はありませんか」などであるが、残念なことに昼間は留守電が中心で、着信に折り返すことしばしば。

 そんな中、今週ほど着信記録が残った1週間はなかった。そのほとんどが三沢選手の展示品に関する問い合わせである。先週、日本一の三沢ファンが、好意で貸してくれた三沢選手本人愛用のガウンが、当館に7月15日まで公開予定であることが大きい。
 だが彼は今も三沢選手の死が受け入れられないで悩んでいる。本当に心の底から、彼のことが心配で、気の毒だ。私も含め、まわりの友人も彼に、励ましのメール等を送って元気づけている。

 そこで今週は「従来の企画」は縮小させていただき、彼が励ましの手紙にお返しした「お礼文」と「観戦記」を紹介させていただきたい。もし、これを読んでいただいて、少しでも何かを感じる部分がありましたらメールをいただければ幸いです。

(事故発生後、翌日)
メール、電話等で、ボクを励ましてくれた皆様へ
本当にご心配をおかけいたしました。ボクは、日にちが経つにつれ徐々に元気になってきましたが、今の心境は、正直、まだ複雑です。
昔話をしますね。
当初、二代目タイガー・マスクが嫌いで、三沢タイガーの試合は好んで観ていなかった。でもマスクを脱いだ三沢光晴のファンになった。脱ぎ捨てた瞬間・・・若手選手だったころのイメージしかない、素顔の三沢選手が別人のように大きく変身していました。
全日本時代のファン交流会として、ぶどう狩りに参加して、その三沢さんと初めて言葉を交わし、今度は全日本の名物企画であるハワイツアーに参加し、覚えていてくれた三沢さんは、他の参加者には内緒でランチをご馳走してくれました。
それだけではなく、足の不自由な俺の荷物を運んでくれたり、試合のオフにはリング上の厳しい三沢さんからは想像できない笑顔と接することができました。本当にいろんな事でお世話になって、兄貴分ような存在だっただった三沢さん、試合を通じてもいろいろなメッセージを下さった三沢さん、あまりにも 思い出が多くて困っています。
最近、「何となく、元気ないなぁ」と心配していたけど、日テレ問題(日本テレビの放映打ち切り)で心労もあるだろうと思っていた。その矢先・・・・。あまりにも、急で、事が大きすぎて、今も現実を受け止められないのです。リングに仰向けになって倒れている三沢さんが、頭から離れません。
よくレスラーが口にする台詞があります。「俺たちレスラーはリング上で死ねたら、それは本望です。幸せです」と。よく、この叫びを耳にしますが、それは絶対に違います。リングでの死はきっと無念だったと思います。あんなに酷使したリングが最後なんて、本当に無念でなりません。幸せなわけ、ないですよね、三沢さん。
なぜ、これほどまでに、レスラー三沢光晴を見せなければいけなかったのか。ファンがそれを求めてしまったのか? あれだけ受け身の天才だった三沢さんがリング上で死ぬなんて、今も現実を受け入れられないままです。もう少し時間をください。

(6/22後楽園大会観戦記)
悲しみの(6・22NOAH)後楽園大会に行って来ました。皮肉なもので、こんな事故があった直後の大会で「本日のチケットは完売」との張り紙。
後楽園ホールのエレベーター前をみると、19: 00開始の試合にも関わらず、16: 00の時点で人・人・人の長蛇の列!
いつも、このように満員になっていれば、三沢社長の心労はもっと少なかったはずだ!怖いものみたさか? 本当に、三沢さんが好きで集まったのか? 単なる話題に吸い寄せられたのか? この異常な反応をみると、本当に、疑問である。複雑な気持ちになった。
献花用に設けられた展示場の前に来て、写真を見たら、我慢していたものが、一気に爆発して、泣き崩れてしまった。
ウルトラマンの本とビールを置いた!
今日、本来は三沢さんのサイン会の予定だった。こんな事故がなければ、特撮物好きの三沢さんに渡す予定だった。
それが献花台に供えるなんて、惨い・・・・。
試合前の10カウント。また、泣いてしまう。もう自分をコントロールできない。
試合が始まっても、リングに集中できない。選手は頑張っているのだから、観なくては、と思うが、どうしても無理だ。
選手みんなが寂しげに見える。いや「見える」ではなく実際に寂しいだろう。
メイン終了後にはスパルタンXが流れ三沢コールと紙テープが飛んだ。またまた泣いてしまった。
「三沢ぁ、また来るぞ!」「ノアを応援するぞぉ!」との声援が飛んだが、今の自分は、それをストレートに受け取ることができないくらい心は乱れていた。それを聞いて、「本当だな、その言葉、ウソではないだろうな。今、叫んだ奴、今日泣いた奴、本当に来いよ!」と心で叫んだ。
そろそろ現実を受け入れようとしている自分がいる。その一方で、「なぜ、今日はスパルタンXのテーマが鳴らないのか?」と考えると、ボーッとしてしまう自分がいる。夢が覚めて今にも、三沢さんが「ニャっ」と出てきそうで、仕方がない。
ということだが、本当にプロレス団体、あるいは選手個人に愛情を持つことはすばらしいことだと思う反面・・・悲しみも並大抵ではない。

最後にグッズ紹介として、二代目タイガーマスクのデビュー戦の興行用ポスターを紹介しておきたい。18misawa-tjgerpop090701.jpg
鶴田倉朗 前・海外特派員 1998年の決断、12・10丸藤vs三沢の秘話 『世界のスポーツ見聞録』②
週刊マット界舞台裏’09年6月25日号 追悼 三沢光晴、テッド・タナベ
週刊マット界舞台裏’09年7月02日号~新生ノアの将来