プロレス黄金狂Act29「90年代プロレスの変容・グレート・ムタ登場と闘魂三銃士の“煌き”」

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美城丈二の“80’S・プロレス黄金狂時代 ~時代の風が男達を濡らしていた頃”』
Act29「90年代プロレスの変容・グレート・ムタ登場と闘魂三銃士の“煌き”」
 (今回の稿は90年代からそれ以前へとアプローチする形で、プロレス界の、スタイルの変容を要綱として記させていただきました)
 
 ザ・グレート・ムタが登場したとき、日本のプロレスも随分様変わりするだろうなと思ったことがある。
 それまでの猪木イズムに代表される、精神論に根ざした猪木のプロレススタイル、それはひとことで荒く示せば“喧嘩プロレス”であったのだと定義付けできようか?
 猪木いわく「プロレスこそ最強の格闘技である」「いつ、なんどき、誰の挑戦でも受ける」この精神主義は、格闘技世界一決定戦へと昇華し、ストロング小林や大木金太郎といった大物日本人レスラーとの対戦、シン、ハンセン、アンドレ、ホーガン・・・・・・一連の来日異人レスラーとの対戦でも猪木がその根底に置くプロレス哲学は“怒り”だったのであり、そこから「すわ?喧嘩まがいか?」とされる猪木の受ける前にどんどん仕掛けていくスタイルが確立されていったようにも思える。
 この精神主義は形は違えど、もう一方の雄・ジャイアント馬場とてその範疇の外ではなかったようだ。馬場イズムとは“王道”なのであり、その指標は「シュートを超えたものがプロレスである」という定義に成すものだ。
 リング上の闘い模様はかつてよく「ショーマンプロレス」だとか「ストロングスタイル」だとか全日本プロレスと新日本プロレスを対比させ、揶揄されもしたが、この闘い模様はあくまでも新日本側から定義付けしたものであり、全日本側にとっては無論、異論のあるところであったことだろう。
 往時、全日本の選手が「どちらも同じプロレスだから」と反発していたが、誤解を怖れず記せば、根本はどちらもそれまでのプロレス界が脈付いてきた様式美に則ったものであり、受け継がれてきた技と技の繋ぎ、間というものはどちらもしっかり踏襲していたのだ。
 ようは受けを前面に押し出し、“溜めのある”プロレスを見せるか、或いは先に先にと仕掛けていくスタイルを押し通すか? 表現方法の違いこそあれ、その底ではどちらも似通ったプロレススタイルであったのだとの見方が出来ないか?
 こういった、精神主義的なものをリング上へと持ち込みつつも、それまでのプロレススタイルを踏襲して展開された80年代までのプロレス世界に対し、今度はそれまでとは違った形でファンを魅了しようと計った最初の日本人プロレスラーは誰か?と考えた際、私が思いついたのは武藤敬司の存在である。
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 武藤はUWF旋風が吹き荒れる、vs新日本時代のリング上においても誠に異質の存在のように思えたプロレスラーだ。
 関節技とキックを織り交ぜた、いわゆるUWFスタイルが新日本マットを席巻している状況においても、宇宙飛行士を連想させるヘルメットやブルゾン系ガウン、ラメ入りの青いスパッツに白のリングシューズを纏(まと)って入場、トップロープを一回転してのリングインは当時“スペース・ローン・ウルフ”という固有名が付されており、異質の存在であった。
 vsUWFという殺伐なリング上であっても敢えて自らは関節技やキックに拘らず、フィニッシュにはラウンディング・ボディ・プレスを見せるというスタイルを貫いていた。当時のファンには受けは良くなかったが、再渡米後、ゲーリー・ハートの命を受け、ザ・グレート・ムタへと“変身”を遂げた。
 そこかしこで語られている通り、のちのアメリカンプロレスラーにも多大な影響を与えるほどの活躍を見せた武藤敬司ならぬグレート・ムタ。この“悪の化身”ムタの成功をそのまま日本マットに持ち込む形で、新日本マットでも度々の“変身”を見せた。
 グレート・ムタはその登場シーンから既にアメリカナイズされたものであり、おどろおどろしい、スモークの中から現れるといった登場シーンなどはやはりそれまでの古式ゆかしき、壮麗なガウンであろうとも全身を纏い、厳格な面持ちで登場するスタイルやガウン無しでただリングへと歩を進めてくるスタイルとは一線を画していた。
 マット上のスタイルにおいてもそうで、エルボー・ドロップひとつにしてもただ打ち込むといった按配ではなく、体全体を使って素早く大きなアクションをもって打ち込み、ムタのそれは“フラッシング・エルボー”と名付けられたものだ。
 技を受けてからのアクションも這(は)いながら場外へと逃げてみたり、ザ・グレート・カブキ直伝の毒霧を要所で見せて試合の緩急を付けるなどアクセントがふんだんに散りばめられた試合運びであった。
 見ようによっては縦横移動を駆使した試合展開(ロープに飛んだり、場外に飛び込んでいく)スタイルに加え、上下空間を用いた試合展開(毒霧を噴射したり、フラッシングエルボーに代表される技の多用)が加味されていたと言えよう。
 こういったグレート・ムタの“プロレス美学”に対し、当初、ショーマンシップが強いと拒絶反応を見せる往年のファンは少なくはなかった。ならばか、新日本はムタにアレルギーを示すファンに対しても、“技量”の蝶野、“闘魂伝承”の橋本といった按配でまさしく「闘魂三銃士」の色合いを鮮明に示し、往年のファンにも解釈ごととして楽しめる幾重ものスタイルを駆使させ、マット世界を構築しようと図ったように思える。
 蝶野正洋は三銃士結成当初、かのルー・テーズに師事し、へそ投げ式の低い軌道をもって放つバックドロップを見せていたり、或いは裏技として知られていたフェースロックの変形、STF(Step over Toe hold with Face lock)を得意とした。ケンカキック等に代表される“黒いスタイル”への移行は、首の損傷によるものであり、これはいまや多くのファンの皆さん、自明のことであろう。
 片や、橋本真也は“重爆キック”を持ち味とし、そこにDDTといった豪快な技を加味し、アクセントを付けた。橋本の“闘魂伝承”、その精神主義は往年の猪木信者たちの耳目を促すこととなり、非難・反論・異存はあったとしても興味をそばだてることには成功したと言えるだろう。
 闘魂三銃士によって新しい時代を迎えた、時のプロレス界盟主とも謳われた新日本プロレスマット。その結成に先立つこと、蝶野、橋本の台頭を待つ以前に、武藤敬司の存在が特異であった事実が、のちの新時代の到来を予感していたと今更ながらに感じ入る次第である。 
                                       筆記・美城丈二
美城丈二

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