W★INGという名の奇実 解説・美城丈二

 一九九一年八月、プロレス団体として産声を上げた『格闘技連合W★ING』から『W★ING同盟』(ユニット)へと連綿と変遷を続けた、負の連鎖。
 拠り良い従え方で論考するならば、プロレスという、見る者によっては幾様にでも変化する、「ジャンルにおける“デスマッチ”という格闘スタイルの終着場と化していた」と評しても過言では無いかも知れない。
 生まれては消え、消えては誕生するプロレス団体なる、その一興亡史に対して、まさしくプロレスというジャンルを衰退させたのは、そんな団体の過剰乱立化が原因だと揶揄する向きには、W★INGと名の付く団体が辿った変遷はまさしく苦渋を思わせるものであったのかも知れず。
 非にせよ、是にせよ、論じる識者の価値観においてどちらかに大きく振り子(論調)が分かれるという事実は、良くも悪くもW★INGという団体が日本の他の団体にあっても奇特な位置に存していたという証左であろうと考えられる。
 レスリング主体では無い、競技性うんぬんでも無い、プロレスという興行において、非日常性という「治外法権」としての場を更に掘り起こしていくとするならば、自ずと答えは“デスマッチ路線”そのエスカレート化ということになるのかも知れないのだ。
 ここに、まさしく筆者は“負の連鎖”を見出すのである。
 かつてあの国際プロレスが、「金網デスマッチ」という当時の禁断の試合スタイルに踏み込んでいった時、様々な場で「デスマッチなる過激なスタイルは見る者に過剰な刺激を与え、もっともっととその要求は募るばかりで、長い目で見れば団体の崩壊を早めるだろう」と揶揄されたものだ。
 「デスマッチ路線は団体最後の選択だろう」と論じる識者までおられた。
 事実、国際プロレスは通常の試合スタイルの際にはそれまで以下の観客減という空洞化を生んでしまい、崩壊する。デスマッチを見慣れたファンには通常の試合スタイルは物足りなくなってしまっていたのである。
 そういった先例もあって、国際プロレス崩壊後は沈黙のときを経ていた“デスマッチ”路線が突如、復活したのはFMWという大仁田厚が旗揚げしたリング上での出来事だった。
 “デスマッチ”路線に敢えて踏み込んでいかざるをえなかったというのが内情ではないだろうか?
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 FMWにしてもその成り立ちは「異種格闘技」路線であり、空手家の青柳政司との抗争が当初の主軸として従えられていたし、その後も度々「異種格闘技戦」は繰り返し、行われている。
 だがやはり時の一大ムーブ“UWF現象”に抗していくには後発の団体にとっては規定路線では敵わない。観客減にあえぎ、百八十度転換「デスマッチ」路線へとスライドしていくことになる。
“地雷爆破”
“有刺鉄線”
“電流爆破”
 「デスマッチが何が悪い!」
 大仁田厚のまさに開き直りとも思えるエゴイスティックな抗弁、リング上の恐れを知らぬ試合運び、マイクパフォーマンスの数々によって『涙のカリスマ』とマスコミ・ファンに絶賛・謳われるほどのムーブを見せ、一躍、大仁田厚は“時のひと”と成り上った。
 大仁田の“成功”はインディー団体の在り方に活路を開くことになり、その後はプロレスマスコミでさえ把握しかねるのではないのか?と思わせるほどの団体勃興・崩壊が繰り返される事態とあいなった。
 W★INGはまさにそんな“デスマッチ”路線のあだ花だったろう。W★INGとて当初は“格闘技”路線だったのだから、“デスマッチ”路線の行き着く先がなんであるか?察してはいただろうが、FMW以後は通常の試合形式自体が“デスマッチ”という禁断の掟破りどころではない、修羅を作り出してしまった。
 その“デスマッチ”路線のなんと過剰なことか!
 「公認凶器(有刺鉄線バット)が用意され、すべての反則が認められる」という“スクランブル・バンクハウス・デスマッチ”や、「地上7メートルのクレーン車の上で戦う」スキャフォード(処刑台)マッチ、さては往年のファンには懐かしいワフー・マクダニエルの登場で沸いたインディアン・ストラップマッチ、「南北に設置された合計8個のガス・バーナーを使用した」ポーゴと松永の“人間焼肉マッチ”、“人間生け花釘板デスマッチ”、“ボブワイヤーネット・デスマッチ”、“月光闇討ちデスマッチ”、「負けた方が棺桶にぶち込まれるという“アンダーテイカー〈棺桶〉デスマッチ”さてはさて「銃や刀を除くあらゆるモノを観客が凶器として持ち寄り、レスラーが自由にそれを使って戦う“エクストリーム・トルネード・デスマッチ”なるものまであった。
 もうここまで徹底すれば、立派に“治外法権”の場としては冥利に尽きるというものではないだろうか?
 団体運営という背景を鑑みるとき、規定路線である、たとえば全日本プロレスの如し、オーソドックスなレスリング展開では観客の興味を引かないし、保ち得ない。レスラー達もそこに着目して、大いに奮起、W★INGはプロレス界の恒、離合集散を繰り返しながらもファンの支持を獲得し続けた。
 ひとつだけだが、はっきりと断定出来る事柄がある。
 あまりにも易い言葉だろうが、「開き直って邁進する人間には何がしかのオーラがまとい、見る者にある“感銘”を与える」という、事実。後年、マニアの間で流布されることとなる、W★INGの“デスマッチ”路線がいまや伝説として“賞賛”されるのも、それゆえにであろう。
 「誰も好き好んで、火の海には飛び込まないだろう?」記者に試合後、そう語ったとされる著者・ミスターポーゴのこの一言に、私は賛辞を改めて贈る次第である。「ひとの歴史に意気地有り!」少なくとも、そういう歴史の影から目を背けない、私はまたひとりの論者でありたい。
第14章 W★INGへの寝返りは「不安感」から
第15章 W★INGのはらわたと闇討ち