『追憶のジャングルファイト』美城丈二・書評の頁“読み手研鑽”

  Act・2
 『鶴田倉朗 前・海外特派員 追憶のジャングルファイト:「世界のスポーツ見聞録」③』
 苦労が忍ばれる。
 果ては苦行か安楽か!?
 黄熱病、風土病、狂犬病、マラリア、
 “死に至る病”がその後ろ背に負ぶさってくる。
 鶴田倉朗氏の一文には、実際に現地へと赴かれ取材なされた方が記されたルポルタージュとしての“記録・記述”を超えた何かがあるように感じられた。
 読みやすい、飾りの無い文章の中に隠された、ある“何か!?” 虚飾を感じず、或いは装飾を纏わぬ文体の中に介在する、ひととしての息吹、息遣いのただ中で展開されている、私達が日常、もはや気にもかけぬであろう、とある“何か!?”
 氏が「猪木さんのお陰で」と語る、一時の文明から閉ざされたブラジルはアマゾンの奥地アリアウでの一夜は情景がありありと忍ばれて、だが想像するに心易いものであった。
 筆者は現在、田舎暮らしだが、一文にある文明から閉ざされているなどという感慨は無論無く、遙か国境を越えて進めば未だにそういう“聖地”が広がっているのかと思えば、なんとも心地良い、思いさえ至ってしまうのは何故だろう!? 
 そのことに思いが至っただけでも私は誠に僭越なる物言いとは思われるが、「読んだ甲斐があった」と感じた。
 “ジャングルファイト”は、実際にまず取材する会場までの道程が、いわば“遠き行脚路”なのであって、行き着くまでがいかに“遙かなる旅”であることか。仔細に語られる、経路の実態。船が漕ぎ出されすぐ岸が見えなくなり、四方が海原のようだと錯覚してしまう感覚に誰しもが襲われると伝えられる、大自然が作り出した世界最大の流域面積を持つ大河アマゾン川。
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アリアウ・ジャングル・タワー(本館) 撮影:鶴田倉朗
 「ネグロ川とソルモンエス川。その二大支流が合流してアマゾン川となるのがアマゾナス州の州都マナウスである。実際にアマゾンの川面を見てみると、見事に黒い川と茶褐色の川に分かれていた。」
 “ジャングルファイト”前夜、氏が一夜の宿を借りられた場所。手製の船着場、材木が並べられているだけの通路。手製の階段に木造建築物。渡り廊下も無論、手製。
 
 「文明のあるもっとも近い場所=マナウスまで船で2~3時間も要する。」
 見渡す全てが手製なのであり、その地では全てが自給自足であるとも語られておられる。電気は自家発電、飲料水は雨水。魚は川で釣り、野菜は栽培されている。
 ホテルで出されるもの以外、露店が2・3あって「ブラジル通過レアルのほかに独自の通貨“アリアウ・レアル”が使われており、軽食・スナック・土産物」購入の際に使用するのだとも記されておられる。
 
 無論、ひとの手が全く及ばぬという、一点の曇りすら無い未開発の場所では無いが、一歩、間違えば未開の荒野、人食いワニやピラニアがうようよと蠢く土地柄で生息している、そんな現地の人々。それら人々の協力無くしては成しえなかったであろう“ジャングルファイト”。
 そこに私は猪木浪漫うんぬん以前に現地にて育まれてきた、なんとも形容しがたい人としての性善、生まれながらにしての業“温もり”を氏の一文から垣間知ることが出来るのだ。
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これがピラニア。歯に注目
 「広くはないホールに人がギッシリと入ったため酸欠となり、低い天井から煌々と照らされたテレビ用照明(地元ブラジルではPPV中継された)の直下を受け、しかも当初の話とは違ってリングサイドにカメラマンが寿司詰め状態となったため、ただでさえジメジメした暑さが、サウナと化した。」
 こんな“格闘絵巻”を描けるプロデューサーは確かに現役時代、その生き方そのものが“バーリ・ツゥード=何でもあり”であったと称される元・プロレスラー、アントニオ猪木氏以外、居ないのかも知れぬ。
 「現地で何が一番辛かったかというと、暑さでも蚊対策でも不便さでもなく、湿気である。汗が止まらず、カメラのフレームをのぞいても曇ってしまって、ピントが合わせられない、というかわからない。」
 取材するスタッフもリング上で躍動するファイターと共に“格闘すること”こそ、氏が秘められておられる、もうひとつの我々へのメッセージだったのかも知れない。答えがそれであるかは判らないが、“何でも見てやろう”その精神は秀逸だ。
 
 ⇒『鶴田倉朗 前・海外特派員 追憶のジャングルファイト:「世界のスポーツ見聞録」③』