初心者の書くプロレスコラム『プロレス編 其の五』

 前回から引き続き、三沢のあの動きはなんなのか。自分なりの考察をしてみることにします。
 前回も述べたのですが、まずレスリングが関係してくるのかと思いましたが私がレスリングの試合を見た限りでは、違うのではないかと思う。
 ならばどこからあの動きはくるのか。
 もしかしたら、彼は彼の師匠からの動きを引き継いでいるのではないかと考え、次にジャイアント馬場とジャンボ鶴田の試合を見てみることにした。2人とも大柄な方なので軽い動きはしないのではないかと考えていたのだが、それは嬉しい形で裏切られた。
 まったく同じと言うわけではないが、彼ら二人ともが軽やかな動きをしていた。特にジャンボ鶴田のすごい体勢からのドロップキック。あれは本当にすごい。よくあの高さであのキックが放てるものだ。
 
 もっと書きたいところだがそれは又の機会と言うことで。話がわき道にずれてしまった。戻すことにしよう。
 三沢の動きは、多少異なれどジャイアント馬場やジャンボ鶴田の動きを引き継いでいるように感じられる。では、さらに彼ら2人の動きの原点はどこにあるのか。
 ジャンボ鶴田は、三沢と同じくレスリングをやっていたらしく、やはりレスリングになにかあるのかと思い直した。しかし、ジャイアント馬場はレスリングをやっていなかったどころか、元々はプロ野球選手であった(しかも狙ったかのように巨人軍)。ということはやはり違うのか。
 
 ここで立ち止まるのも癪なのでさらにジャンボ鶴田に影響を与えたものを探ってみた。すると、バックドロップの祖として有名なルー・テーズという人物が現れた。祖といわれるくらいの人だ。彼の試合を見れば何かわかるかもしれない。そう思ったのだが、あまりにも前の人過ぎて動画がない。資料を見れどそれらしいことは書いておらず、流石にそこで立ち止まることになってしまった。
 しかし、この話をプロレス通の知り合いに尋ねてみると、とあるヒントをいただけた。
「もしかしたら、ルチャリブレじゃない?」
 ルチャリブレ?なんだそれはと思い、早速調べてみることに。
 
 ルチャリブレとはスペイン語で自由な戦いと言う意味で、メキシカンスタイルのプロレスであるらしい。特徴も普通のプロレスとあまり変わりなく、一見、名前が違うだけではないかと思った。
 しかし、見ているうちにこれこそ探していたものだということに気付いた。
 彼らは三沢以上に飛んだり跳ねたりしている上、大道芸並みの動きをしてみせた。
 さらに調べてみると、三沢の来歴に1984年にメキシコに遠征していることが記されていた。
 きっとこれである。三沢がメキシコにいたのは4ヶ月程であるが、何かをメキシコのルチャリブレから得たのではないであろうか。
 自分なりの答えを見つけ、やっとスッキリすることが出来た。ヒントというか、答えそのものを教えてくれた知り合いに感謝である。
 さて、今回ルチャリブレという私の好きな動きをしてくれるプロレスに出会えたのだが、今の私の視点はあくまで受け。
 ルチャリブレについてはまた後日ということにして、次回からは再びそこに目を戻し、書いていくことにする。
 それでは今日はこの辺で。また次回。

梅季颯 山口敏太郎事務所
鶴田倉朗「1998年の決断、12・10丸藤vs三沢の秘話」