『美城丈二の“80’S・プロレス黄金狂時代 ~時代の風が男達を濡らしていた頃”』

Act⑧【異聞・“隔絶”としてのWWE】
 *「2008・2・10有明、2・11武道館、WWE日本公演に思う、私なりの“憂い”」
「最後のリック・フレアー」2月7日までaaa Pachinko-Liveサイト公開中
 筆者の幼い時分、“プロレスの本場”アメリカン・プロレスラーといえば華燭絢爛たる趣きがあった。NWA・AWA・WWWF、三大王者が暗黙の了解のもと、共存共栄を図っていた時代。時は流れ、いまやWWWF、現行WWE、一団体のみが誇大化し、まさに時代の趨勢を感じる次第だ。
 一概にそう、とばかりも論じきれぬだろうが、WWEが世論の意識の中にプロレス有志以後根ざしてしまっていた“胡散臭さ”という目に対し、プロレスは勝敗があらかじめ決している、エンターティメント・ショーですよと“カミングアウト”することによってはっきりとそう、断言し、演武としての競技なのだということを指し示したことは、のちの“隆盛”を見る限り、本国・米国内においては成功したと言い切れるだろう。株式を上場させ、様々なメディア・コンテンツに手を伸ばし、いまやひところの勢いほどは無いにしても、その是非はともかくプロレスという歴史を検証するにあたっては剋目すべき事実であった。
 誤解を怖れず記述すれば、作り物を“真剣勝負”だと誤魔化されるより、最初から“命がけ”で行なう作り物だと称される方が判りよく、現代ファンには通りが良かったのであろう。暗部を探ろうとする、そのジャンルの“深み”を掘り下げようと計る、昔からのファンよりもその日着こなすファッションの如く、“見たまま”を重視する現代ファンの気質にリンクしたという側面もあろう。いまやプロレスとはそういう時代の只中にある、わけです。
 WWE“カミングアウト”以後、筆者がちょっと口惜しく感じていた想いとは、そういう過程のもと誇大化してしまった“WWE”がいまや日本の団体と普通に交流、提携していないという“事態”。誇大化し過ぎてしまって、提携費用等、それこそ馬鹿でかくなり、日本の“脆弱化”してしまった団体にとっては手が出せない状況を生んでしまった。
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アメプロを代表するドキュメンタリー2作品には、舞台裏の仕組みが公開されている
 筆者においてはやはり、プロレスの“華”といえば華燭絢爛たるアメリカン・プロレスラーを迎え撃つ日本人プロレスラー、との“絵図”が心躍らせるものがあったし、そういう構図のもと、プロレスの他ジャンルには無いダイナミズムも生まれてきたと思える次第だから、海の向こうで活躍するリアル・プロレスラーが本国、日本のプロレスラーと絡まないという世界観はやはり、一抹のものたりなさを感じる所以だし、淋しいものがある。
 何もナショナリズムという語句を持ち出すまでもなく、同じ人種が他人種に歯向かっていくさまは思い入れが起き易いものだ。
 「プロレスから思い入れを盗ったら何が残る!?」とかつて訴えた識者がおられるくらいで、この対外人レスラーという構図は、見る者に様々な葛藤を生み出し、それがプロレスの渦、核になっていたりしたから、海の向こうで活躍する“世界に名立たるプロレスラー”との闘い模様はやはりプロレス世界においては必要な要素のひとつであったろう。
 メジャー団体・WWEのプロレスラーばかりが“本物”という意識は無論さらさら無いが、日本の団体の“矮小さ”をつとに感じる昨今、今後、この海の向こうの対トップ外人レスラーというものから生み出されてきたダイナミズム以上の迫力を打ち出していくには現行、日本の団体はどうした仕掛けを見せるというのだろうか?
 エンターティメント・ショーに反する、また時代はMMA隆盛時代、安易にそれらに傾斜していくだけではことは容易に好転はしないほど、いまや日本のプロレスマーケットは冷えきってしまっているのだが・・・?。
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