『美城丈二の“80’S・プロレス黄金狂時代 ~時代の風が男達を濡らしていた頃”』

  Act③【A・T・ジャイアントの深奥】
 私が初めて“人間山脈”A・T・ジャイアントを目の当たりにしたのは幼少時、TVのブラウン管に映し出されたS・小林氏との一戦であったような気がする。記憶が定かでは無い。何かのトピックスとしての国際プロレスの映像。当時から既に体躯では小林氏を凌駕しており、幼心にも“見上げれば遙かなる大巨人”という印象を抱いた筈である。
 B・ロビンソンをシリーズエースに従え、我が地方へと転戦してきた折り、会場で見上げたジャイアントの馬鹿でかさに肝が冷えた筈ではあろうのに、奇妙なことに、実際に目の当たりにした姿態に私はなんだか温かい気持ちが自身の中で湧き上がってしまったことが未だに強烈な陰影と共にこの心根に深く記憶として刻み込まれている。断片だけだが、思い起こす度に不思議とあのジャイアントの姿態が私に日本人気質、化け物見たさという勘考を植え付けず、邪魔をせず、いわば良い陰影でしか捉えていないのは何故なのだろう?
 もう自分には手に負えない、いわば後光がかった存在だとか、違う空気を吸い、放出しているだとか、いわゆる未知なるものに崇敬なる面持ちで接している、いたとでも言うべき按配だったのだろうか?
 ゆえに、私はのち長くジャイアントに対して終始一貫、彼が冥土に臥されるまで、いや臥されたのちも好感以外の感情で彼をものしたことは無かった。
 だから私は猪木氏の全盛時、vsジャイアント戦を好まなかった。コーナーに押し込められ、憤怒の形相で挑みかかる猪木氏に独特のうめき声を発し、苦痛の表情を見せるジャイアント。この“化け物退治”と言わんばかりの構図がなんとも厭(いや)であった。ジャイアントが力任せで猪木氏を押し返した時の館内ファンのどぉーと一気に辺りを支配するかのような溜め息。vs猪木戦では会場、誰ひとりとてジャイアントの味方など居ないのではないか?そんな想いで館内を見渡したことさえある。
 (この大巨人はどこへ行っても後ろ指を差される・・・)
 「なんだか(やられてる姿が)可哀想だね」
 往時の級友たちはTV放映の後日、そう呟いた私にきょとんとした眼差しで見つめ返してきたものだった。
 晩年、故・ジャイアント馬場氏に乞われ全日本に参戦、馬場氏とのタッグを結成し、前座戦線を賑わせていた頃、そんな想いは淋しさという哀感の情とも言うべき面持ちへと変化していった。
(あれほど強かったアンドレも・・・)
 だが以前、コラムにものした通り、馬場氏がジャイアントを前座戦線に置いたことは、衰えが誠に顕著、リング上でよたよた歩き回る嬌態のような光景さえ見せていたジャイアントへの“最高の賛辞”でもあったのだと私は今でも信じて疑わない。
 冥土に臥す1・2年前からは自宅に篭り、めったに顔を見せなかったとされるMr.アンドレ・ザ・ジャイアントの胸中を慮(おもんぱか)る時、私は未だに強烈な、なんとも計りがたい想いに囚われてしまう。
 ひとりの愛娘がおられたとされる、ジャイアント。霧深い森の館、そこに住む美貌の少女、その傍らでは恒に優しげに微笑を湛えた大巨人が控えている。物語のクライマックス、命を懸けて少女を救った大巨人は自らの最期を悟ったかのように静かに森の中へと消え入ってしまう。ふとそんな情景と共に、幾度と無く薄暗い地方の会場で見上げたうすぼんやりとした館内に映えていたジャイアントの陰影が何かしら遠い日のまるで幻影画のひとこまであるかのように、私の心根に負ぶさってくる・・・。
 何人でも無い、一己の人間としての尊厳を胸の奥底にしまいつつ、時には更に自らを大きく見せようとアフロ・ヘアーのかつらを被ってみたり、両手を挙げ奇声を上げ追い回すなど、プロレスファンの前では恒にプロレスラー“大巨人”、A・T・ジャイアントを演じていたアンドレ・レネ・ロシモフという稀有な存在を、私は今後もいついつまでも忘れることはないであろう。ジャイアント、多くの夢を有難う。今でもあなたがプロレス界最強の異人プロレスラーだったと私は思考致しておりますよ。合掌
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