活字プロレス熱中時代!全盛期のターザン山本の影響力と功績を讃えよ!

 13年前のことである。私はとあるプロレスショップに勤めていた。
当時は活字プロレスの黄金時代で、「週刊プロレス」は木曜日が発売日(現在は水曜日)である。ショップには1日早い水曜午前中には納品され即、販売して夕方の5時にはすさまじいほどの勢いで100冊が完売していた。それでも、まだ後を絶たず雑誌を買い求めに来るお客様がおり、お詫びを述べるのが常であった。毎週10人は事前の雑誌取り置き予約があったものだ。
 仕事や学校の昼の休憩時間に買い求めに来ていたお客様もいた。インターネットが普及する以前、そしてサムライTVが出現する前の話である。当時のファンは好きでたまらないプロレスの情報に飢えており、自分自身もその気持ちを共有できた。
 
 ちなみに売り上げにおいては「週刊ゴング」との差は歴然としていた。当時の「週プロ」は本当に刺激的で面白かった。活字を使って読者を空想の世界へいざなう魔法をかけていたかの様であり、プロレスの会場には行かないが週プロは隅から隅まで読んでいる中毒患者を大量に生み出していた。 
 本来触れてはいけない部分に浸食、小出しながら毒も注入していた。ターザン山本が良くも悪くも前面に出ており、別称「週刊ターザン山本」と陰口もたたかれた。この間の事情は『毒を食らわば皿までも②~勝てば官軍論』に詳しい。編集長という地位は好き勝手が許される世界なのであった。
 
 また「週刊プロレス」名義で魅力的な数々のビデオテープ(みちのくプロレス物、IWAデスマッチトーナメント、流智美監修のレトロプロレス物、ケンドーナガサキ特集など)も発売され、今ではお宝映像と言えるものが多数あった。プロレスファンにとってターザン山本の存在感、影響力はずばぬけており、プロレス史を語るにおいて氏の業績は十分に考察されねばなるまい。また身長も高く、帽子姿ともども独特の風体であり、プロレスマスコミ人では別格としてうつってもいた。
 レスラーにとっても週プロの表紙をとる事が栄誉とされており、インタビューにも他誌との違いがはっきりと表れていた。またキャッチコピーも最高だった。糸井重里以下、キャッチ文を考えるコピーライターという職業の存在がクローズアップされていたが、週プロの見出しセンスは90年代初期までダントツだった。大衆紙や写真誌と競合する駅の売店でも、ショッキングピンクをはじめとした表紙色調は異彩を放っていた。
  プロレスファンは”ターザン山本”を好きな者は好きだし、嫌いな者は徹底的に嫌いという両極端で、ある種スキャンダラスでもあるプロレスを自ら体現しているようでもあった。本人も「自分こそプロレスラー」だと公言している。感銘深い「ザッツ・レスラー」シリーズ、ごま書房からミスターⅩ(他名義もあり)として連作本を上梓してもおり、短期間で10冊以上も出版できたのは氏以外誰もいないだろう。
 
 「出る杭は打たれる」が世の常である。突出した存在のターザン山本の発言力に脅威を感じた連中によって、彼を無き者にしようと非常手段に出た長州力現場監督。その軋轢から氏は、週刊プロレス編集長の任を辞した。一時代が終わった。プロレスというジャンル自体も、不幸のスパイラルに突入した。団体の意向に従ったファンの大罪もまた糾弾されて然るべきだ。メディアとの共謀によって成立するジャンルであるにもかかわらず、スター病にかかった選手の意向を優先した新日本プロレスは、メディアに恩を仇で返し、自らの首を絞めたのである。
 その後インターネットの普及とあいまってかプロレス自体のファン離れが進みだし、タイミングよく出現したPRIDEなどのシュート格闘技に大衆の興味が取って代わられたように思える。いや、ターザン山本が「週刊プロレス」から追われた時点で、ずばり業界の命運は尽きたのだ。死んだのは地方興行では手を抜く某老舗団体の「ストロング・スタイル」という手垢にまみれたお題目だけではない、読者を大いに楽しませてくれた「活字プロレス」もまた、終焉の日を迎えたのである。
 後々、インターネットの自称事情通から、プロレスライターに転じた者やプロモーションを持つ者も出てきたりして、ますます格闘技プロモーションやユニットが細分化してゆく。レスラーやフロントの誰それとは親しいというのが特別な人種であるかのごとく振る舞う、勘違い野郎がこの業界には多くうんざりしてしまう。かつ、世間ずれしている輩も多く見受けられる有様だ。WWEとWCWの二強団体のテレビ番組激突スタイルに集約していった米国との、スポーツ・エンタテインメントとしての成功への分かれ道を指摘することもできよう。残念ながら我が国のプロレスLOVEの現状は、ますます村社会的になってしまった。
 
 T-1二見社長のように、かつて週刊プロレスの愛読者で「ターザン山本に素直に影響を受けました」と公言する新規の業界人はほとんどいない。ファンであった時代を忘れたかのごとく・・・。これぞ歴史の歪曲であろう。
 良くも悪くも「ターザン山本」は、トップ中のトップレスラーのお三方(長州、天龍、前田)に目をつけられ危険人物視されている。現在のライターではそれほどアクの強い存在は皆無である。まずファンに、この人の記事は読みたい!楽しみ!さすがプロだとうならされるというライターは現在どれだけいるのか! 私が思うに、また嫌われたくないからちょうちん記事しか書けない。そういうレベルのものは、いい加減淘汰されるべきである。まずプロは個性ありき!プロレス不況の時代だからなおさらつくづく思う。
 今こそいでよターザン山本!的存在よ。『毒を食らわば皿までも』は猛毒の集大成。必要のないメディアにお金を落とすより、『勝てば官軍論』を読めば、「勝利を信じよ」の方程式がよくわかる。井上義啓さんに捧げられた作品でありながら、氏の怨念と金言がちりばめられている不思議な味わい。週プロ愛読者だった者たちへの必読の書なのだ。
                                             (R3)