[ファイトクラブ]新宿FACEが21年の歴史に幕 プロレスの聖地9月30日ついに閉館

[週刊ファイト10月01日]期間 [ファイトクラブ]公開中

▼[ファイトクラブ]新宿FACEが21年の歴史に幕 プロレスの聖地9月30日ついに閉館
 編集部編
・2005年7月に誕生した新宿FACE 歌舞伎町の一角から21年
・なぜ新宿FACEがプロレスの聖地になったのか 独特の熱狂
・歌舞伎、舞台、音楽も受け止めた21年間 プロレスだけではなかった
・「特徴を作らない」新宿FACEが守ってきた会場としての哲学
・込められた思い 最後に残すのは会場ではなく記憶


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2005年7月に誕生した新宿FACE 歌舞伎町の一角から21年

 東京・新宿歌舞伎町のイベントホール、新宿FACEが2026年9月30日をもって閉館する。2005年7月の開業から21年間にわたり、プロレス、格闘技、演劇、音楽、伝統芸能などジャンルを限定しない数多くの公演を受け入れてきた会場であり、とりわけプロレス界にとっては、東京の中規模会場を代表する存在として長く親しまれてきた場所である。運営会社は2026年3月に9月末で営業を終了すると発表し、7月には最後のプロレス大会となる「SHINJUKU FACE COUNTDOWN SERIES『銘心鏤骨』」の開催を正式発表、9月30日の最終営業日まで数多くの団体が「新宿FACEで最後の試合」を迎える流れとなった。

 新宿FACEの歴史を振り返ると、最初から「プロレスの聖地」として作られたわけではないという点が興味深い。もともとこの場所にはライブハウスの新宿リキッドルームがあり、歌舞伎町の再開発に関連するプロジェクトの中で、新たなイベントスペースとして生まれたのが新宿FACEである。当初は5年間ほどの期間限定を想定した施設だったが、再開発の計画が変化したことで営業は継続され、5年が10年となり、20年を超え、気がつけば21年間という長い時間にわたって新宿のエンターテインメントを支える場所になった。

 現在の新宿FACEは東京都新宿区歌舞伎町1-20-1、ヒューマックスパビリオン新宿歌舞伎町の7階に位置している。客席数は大規模アリーナほどではないが、そのコンパクトさこそが特徴であり、リングを使用するプロレスや格闘技では観客と選手の距離が近く、試合中の打撃音や選手の声、観客の歓声が会場全体に直接響く独特の臨場感が生まれてきたのである。

 新宿FACEが現在のような形になった背景には、作家で経済企画庁長官も務めた堺屋太一氏の存在があったとされる。もともとこの場所にあった新宿リキッドルームは、音楽ライブの会場として知られていたが、営業を続ける中で振動などの問題が生じ、その後に空きテナントとなった。その場所をどう活用するかという話の中で、プロレスファンでもあった堺屋氏から「プロレスができる会場にしてはどうか」という発想が出され、現在の新宿FACEにつながっていったのである。

 ただし、プロレスだけで年間を通じて会場を埋め続けることは現実的ではない。そこで新宿FACEは、プロレスや格闘技だけに特化するのではなく、演劇、音楽、舞台、伝統芸能など幅広いジャンルを受け入れる施設としてスタートした。結果として、リングを設置して試合を行う公演が全体の半分ほどを占める一方、残りの時間は舞台を中心としたステージ公演などに使われるという独自のバランスが生まれたのである。

 この「一つのジャンルに特化しない」という考え方は、21年間を通して新宿FACEを支える重要な思想になった。プロレス会場として知られるようになったからといって、プロレス以外を排除することはなく、逆に演劇の会場だからといってプロレスを制限することもない。リングがある日にはリングが主役となり、翌日に舞台装置が組まれれば舞台が主役になる。会場そのものが主役になるのではなく、そこで表現する出演者や主催者を引き立てることを優先してきたのである。

なぜ新宿FACEがプロレスの聖地になったのか 独特の熱狂

 プロレスファンにとって新宿FACEが特別な存在になった理由の一つは、何よりも選手と観客の距離の近さである。大きなアリーナでは数千人、数万人を収容できる一方、新宿FACEの規模ではリングを囲む観客との距離が非常に近く、選手がリングへ入る瞬間から試合終了まで、観客の視線が選手へ集中する。

 プロレスという競技は、映像で見るだけでは伝わりにくい部分が多い。ロープが揺れる音、マットへ身体が落ちる音、コーナーへ選手が叩きつけられる音、技を受けた選手の息遣い、そしてリングサイドから飛ぶ声援まで含めて一つの空間を作り上げるからである。新宿FACEのサイズは、そうしたプロレスの「生の音」を観客へ直接届けるのに適していた。

 さらに歌舞伎町という立地も大きかった。新宿駅からもアクセスしやすく、周辺には飲食店や娯楽施設が集まり、仕事帰りや買い物の途中でも立ち寄りやすい。プロレス専門の大型会場ではなく、繁華街の中にあるイベントホールだったからこそ、さまざまな団体が興行を組みやすく、観客も足を運びやすかったのである。

 その結果、新宿FACEでは男子プロレス、女子プロレス、格闘技など多様なジャンルの大会が行われ、DDTプロレスリング、OZアカデミー、東京女子プロレス、プロレスリングWAVE、Sareee-ISMなど、数多くの団体や興行がこの会場を舞台としてきた。海外団体の興行も行われており、新宿FACEは国内だけでなく海外のプロレスファンにも知られる日本の中規模会場となっていった。

 新宿FACEと女子プロレスの関係を語る上で外せないのがOZアカデミーである。OZアカデミーは2005年12月の「第12回OZアカデミー興行~RE STARTING TO A GLORY~」を皮切りに新宿FACEで大会を開催し、2006年のOZアカデミー感謝祭、2012年の昼夜興行「学園天国」、2015年の正危軍初興行「BAD END」、2018年のAKINO20周年興行「Lucha Libre de ムチャリブレ」、2021年のAKINO誕生日興行「HAPPY BIRTHDAY TO ME」など、数多くの大会を積み重ねてきた。

 OZアカデミー側も新宿FACE閉館の発表を受け、「OZと言えばFACE、FACEと言えばOZ」と言われるほど長く深い関係を築いてきた会場だったと振り返っている。21年間という時間の中で、単に大会を開催したというだけではなく、記念大会や団体の歴史を刻む重要な興行を数多く行ってきたからこそ、新宿FACEの閉館は一つの会場を失う以上の意味を持つのである。

 プロレス会場には、それぞれ独特のイメージがある。後楽園ホールなら日本プロレス界を象徴する歴史的な大会場という印象があり、東京ドームなら大規模興行の象徴となる。一方で新宿FACEには、日常の延長線上にある歌舞伎町の建物の中へ入り、エレベーターを上がった先にリングが待っているという独特の感覚があった。その距離感が、団体と観客の双方にとって使いやすい会場として定着する大きな理由になったのである。

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