[週刊ファイト08月27日]期間 [ファイトクラブ]公開中
▼天山広吉「激レアさん」「パチンコ」「妖怪ウォッチ」まで愛された猛牛の素顔
Photo:HIROKI 編集部編
・天山広吉の引退セレモニーに盟友、恩人、レジェンドが集結
・飯塚高史が突然乱入 友情タッグから生まれた因縁が最後に動く
・なぜ「激レアさん」になったのか 極悪レスラーの裏側にあった優しさ
・天山広吉とパチンコ プロレスラーとは別の顔で愛された「猛牛」
・天山広吉と妖怪ウォッチ 「猛牛」とは思えない意外な趣味
・引退セレモニーで鳴り響いた10カウント 天山広吉が次の人生へ
▼F**k you, Tanahashi咲く前の悪、一輪だけ見えた華G1大田区連戦考
▼イリエマン独占手記:拝啓 アントニオ猪木様 偉大なる先人達へ愛をこめて
天山広吉の引退セレモニーに盟友、恩人、レジェンドが集結

新日本プロレスの「猛牛」天山広吉が、2026年8月15日の東京・両国国技館大会で35年7か月に及ぶ現役生活に終止符を打った。1991年1月11日に愛媛・今治大会でデビューして以来、新日本プロレス一筋でリングに立ち続け、IWGPヘビー級王座を4度、IWGPタッグ王座を12度獲得し、G1 CLIMAXも2003年、2004年、2006年の3度制覇するなど、長年にわたって新日本プロレスのトップ戦線を支えてきた天山にとって、最後の舞台となったのは数々の思い出が刻まれた両国国技館であった。
引退試合の相手に選ばれたのは、長年の盟友であり、「テンコジ」として数々の名勝負を生み出してきた小島聡である。当初は5分1本勝負として発表されていたものの、天山は入場後に「おいコジ、5分一本勝負じゃなく時間無制限でやろうぜ」と呼びかけ、最後の試合だからこそ時間を気にせず、とことん小島と戦いたいという思いをリング上で示した。
現在の天山は腰や下半身の負傷に悩まされ、思うように走ることさえ難しい状態であったが、最後のリングでは代名詞のモンゴリアンチョップを連発し、ブレーンバスター、アナコンダバイスなどを繰り出して最後まで戦い抜いた。さらにコーナーへ上がってムーンサルトプレスを狙う場面まで見せ、長年のファンを大いに沸かせた。
小島もマシンガンチョップ、串刺しエルボー、いっちゃうぞバカヤローエルボーなどを繰り出し、天山の攻撃を受け止めながら反撃を開始した。天山は小島のラリアットを一度ならず返して会場をどよめかせたものの、最後は小島の走り込んでのラリアットを浴びて3カウントを許し、9分22秒の激闘でリングを去ることになった。
最後の瞬間まで天山がこだわったのは、自身が35年間にわたって貫いてきた「受け」のプロレスであった。どれだけ体が動かなくなっても、最後まで相手の技を受け、真正面から戦う姿勢を崩さなかったことは、天山広吉というプロレスラーの生き方そのものだったといえる。
小島聡との引退試合が終わると、両国国技館では天山広吉の引退セレモニーが行われた。リングには永田裕志、小島聡、そして新日本プロレス社長の棚橋弘至が花束を手に登場し、長年にわたって新日本プロレスを支え続けた天山の最後のリングを祝福した。
さらに、同期生の金本浩二からVTRメッセージが届けられ、会場には天山と親交の深い人物たちが次々と姿を見せた。前横浜DeNAベイスターズ監督の三浦大輔、かつての新日本プロレス学校の同期生である金原弘光、ケンドー・カシン、秋山準、そして師匠でもある馳浩、武藤敬司、長州力、藤波辰爾、蝶野正洋らが登場し、35年以上に及ぶ天山のプロレス人生をねぎらった。
特に印象的だったのが、長州力と蝶野正洋による一幕である。長州が天山を羽交い絞めにすると、蝶野がその流れを受けて天山にビンタを叩き込むという、プロレスらしい最後のサプライズが展開された。リング上で数々の修羅場を経験してきた天山だからこそ、最後のセレモニーもまた、ただ静かに別れを告げるだけではなく、プロレスらしい笑いと驚きに満ちたものとなった。
そして天山が最後の挨拶に立ち、「本日は『G1 CLIMAX 36』にご来場くださいまして、まことにありがとうございます。本日をもって、私天山広吉は現役を引退いたします」と切り出すと、会場は静かにその言葉を受け止めた。
天山は少年時代にテレビでプロレスを見てプロレスラーに憧れ、新日本プロレスの門を叩いたこと、一度は道場から逃げてしまったものの、どうしてもプロレスラーになりたいという夢を諦められず再入門したこと、そしてデビュー後は同期や後輩、社員、関係者、スタッフ、ファンに支えられてここまで歩んでこられたことへの感謝を口にした。
最後に「本当に応援ありがとうございました!」とファンへ感謝を伝えた天山の姿は、35年7か月という長いキャリアの締めくくりにふさわしいものだった。
飯塚高史が突然乱入 友情タッグから生まれた因縁が最後に動く

引退試合を終えた天山を待っていたのは、さらなるサプライズであった。飯塚高史の入場テーマ曲が流れると、引退していた飯塚が観客席から登場し、リングへと上がった。
天山と飯塚には、2008年に結成された「友情タッグ」という深い関係があった一方、飯塚が天山を裏切った過去もあり、両者の関係は単純な友情だけでは語れないものになっていた。飯塚は天山に蹴りやストンピングを浴びせ、さらにアイアン・フィンガー・フロム・ヘルを持ち出すという、かつての飯塚らしい危険な展開を見せた。
小島聡が救出に入り、コジコジカッターを決めると、天山は小島を制止し、飯塚に向かって「飯塚さん、俺たち友情ありますよね?目を覚ましてください」と呼びかけた。その言葉を受けた飯塚は苦しむような仕草を見せた後、天山と握手を交わし、最後には何かを語りかけるという奇跡の和解が実現した。
35年7か月のキャリアを締めくくる場面で、過去の盟友との因縁までが一つの物語として回収されたことは、天山の引退セレモニーをより印象深いものにした。
引退試合を終えた天山は、盟友でありライバルでもあった小島聡との最後の戦いを振り返り、「自分にとって、仲間でもありライバルでもある、そして盟友でもあるコジと試合ができて。最後、首が折れるかと思いましたけど、本当にスッキリ。これで何も悔いはなく、次のスタートに立てるかなと思います」と語った。
さらに、試合については「今もう自分が持てる本当に出し切ったっていうか、とにかく受けもそうですけど、攻めもなかなかちょっと思うようにいかなかったんですけど。でもやっぱりお客さんの応援のおかげで、ここまでできることができたって感じです。本当に感謝します」と振り返っている。
天山にとって小島との最後のシングルマッチは、単なる引退試合ではなく、長年にわたって苦楽をともにした「テンコジ」の物語を最後にもう一度リング上で完結させる試合でもあった。天山が小島のラリアットを受け、小島が最後に天山を沈めるという結末は、勝敗以上に2人の関係性を感じさせるものとなった。
天山広吉が最後まで大切にしていたのが、相手の技を受けることだった。35年間のキャリアの中で、天山は自身のプロレスを「受けてナンボ」と表現し、「いくらでも受けきってやる。その倍返してやる」という戦い方を好んできた。
長年の激闘によって首、腰、下半身などに大きなダメージを負い、2024年12月27日の大阪大会では試合中に下半身がマヒするという深刻な経験もしている。その後も両足のしびれが続き、大好きな車の運転にもドクターストップがかかるなど、引退を決断せざるを得ないほど身体は限界に近づいていた。
それでも天山はプロレスラーとしての人生に後悔はないと語っている。「とにかくプロレスのすごさをお客さんに見てもらいたかった」という思いを最後まで持ち続け、満身創痍の身体で両国国技館のリングに立った。
引退後については治療とリハビリに取り組みながら、リングに立つことはないとし、新日本プロレスの若い世代を陰ながら応援していきたいという思いも明かしている。長年リングを守ってきた天山が、今度は次の世代を見守る側へと立場を変えることになる。