[週刊ファイト07月23日]期間 [ファイトクラブ]公開中
▼「ザ・ロック」54歳の素顔-祖父の遺産、隠した視力、そして一人で耐えた24時間
Mike Lano通信員提供 編集部編
・ロンドンのタワーブリッジで時間が止まった瞬間
・ピーター・メイビアとは何者か-マウイは祖父への捧げ物
・「俺はサングラスをかける嫌な奴じゃない」度入りレンズの秘密
・誰にも言えなかった24時間-恐怖を抱えながらカメラの前に立った日
・54歳のドウェイン・ジョンソンという人間
週刊ファイトの海外詳報はファイトクラブ
▼実話マーク・ケアー必見作『スマッシング・マシーン』 制作・主演Rock様にて実現
▼【みぶ真也・昭和プロレス回顧】 黒人レスラーの夢
▼RAW on Netflixロック ローマン Jシナ Rリプリー超人セス-CMパンク
ロンドンのタワーブリッジで時間が止まった瞬間

2026年7月、ドウェイン・ジョンソンはディズニーの実写映画『モアナ』(7月10日公開)のグローバルプレスツアーの一環として、ロンドンのタワーブリッジに姿を現した。世界的なスターが登場した瞬間、群衆が沸き上がる。握手、写真撮影、サイン。そのルーティンをこなしながら帰ろうとした瞬間、ドウェインの目に何かが飛び込んできた。
人波の中に、二冊の古びた雑誌を掲げて立つ男がいた。その表紙に印刷された顔に、ドウェインは思わず足を止めた。「見せてもらえますか?」。その言葉とともに、ドウェインは雑誌を受け取り、表紙を食い入るように見つめた。そこに写っていたのは、彼の祖父、ハイ・チーフ・ピーター・メイビアだった。
雑誌を持ってきたのはスティーヴンという男性とその妻だった。スティーヴンはドウェインに「これはあなたへのものではなく、お母さんのためなんです」と語りかけた。テキサス州ダラスで開催されたレッスルマニアの会場で、ドウェインの母親アタ・メイビア・ジョンソンと偶然出会ったスティーヴンは、「この雑誌を持っています、いつかお届けできれば」と約束していた。その日から機会を探し続けたが、世界的なスターに再び近づける保証はない。結局、ロンドンでの『モアナ』プレスツアーがその最短の機会となり、スティーヴンはそれを逃さなかった。
「これを彼女のもとへ持っていきます。厳かな形でお渡しします」とドウェインはスティーヴンに約束した。「これは本当に大きな意味を持つ。あなたにとっても、私にとっても」。そして彼はスティーヴンに向かって「カメラをこちらに向けてください。これはAIじゃない、本物の俺とスティーヴンの瞬間です。本当に心が動かされました」と語りかけた。この動画はInstagramに「INCREDIBLY COOL gift from an awesome fan(最高のファンからの信じられないほどクールな贈り物)」というキャプションとともに投稿され、世界中のファンの心を揺さぶった。
ピーター・メイビアとは何者か-マウイは祖父への捧げ物

雑誌は2冊あった。1冊はイギリスのプロレス雑誌「Wrestler」で、1964年頃の表紙にピーター・メイビアが掲載されていた。もう1冊はオーストラリア・ニュージーランド方面のプロレス誌「Sports Digest」で、1972〜73年頃のものだった。「祖父がここロンドンで試合をしていたんだ。信じられない」とドウェインは呟いた。
ピーター・メイビアは1930年代にサモアで生まれ、1960年代初頭にニュージーランドへ渡ってプロレスのキャリアをスタートさせた。南太平洋やハワイで活躍した後、1970年代にカリフォルニアへ渡り、各地でチャンピオンシップを重ねていく。1970年代後半には当時のWWWF(現WWE)に参戦し、「ハイ・チーフ(大首長)」というサモアのペルソナを引っ提げて人気を博した。1967年には映画『007は二度死ぬ』にも出演している。
ロンドンで活動した時代の雑誌が1964年のものであるとすれば、それはメイビアがまだキャリアを積み上げていた時代、南太平洋やイギリスのレスリング回路を渡り歩いていた頃の記録だ。その頃の対戦相手としては、当時イギリスのプロレス界で活躍していたカルロス・ロチャらとの試合が考えられる。その後メイビアはハワイに腰を落ち着け、1980年にNWA(ナショナル・レスリング・アライアンス)のハワイ事業に関与した。しかし1982年6月、がんとの闘いの末、45歳という若さでハワイで息を引き取った。
ドウェインが10歳の時のことだった。
