[ファイトクラブ]A猪木から50年―新日本プロレスの世界戦略 その中心に立つウルフ・アロン

[週刊ファイト07月02日]期間 [ファイトクラブ]公開中
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▼A猪木から50年―新日本プロレスの世界戦略 その中心に立つウルフ・アロン
 photo by 西尾智幸  編集部編
・猪木とアリから50年、再びFCCJに現れた新日本プロレス
・ウルフ・アロンとは何者か―柔道界の頂点からリングへ
・FCCJだからこそ飛び出した海外メディアの質問
・G1 CLIMAXシカゴ開幕とウルフの挑戦
・世界へ挑んだ猪木、世界市場を開こうとする棚橋、続く物語


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猪木とアリから50年、再びFCCJに現れた新日本プロレス

 2026年6月17日、日本外国特派員協会(FCCJ)で行われた新日本プロレスの記者会見は、単なるイベント告知の場ではなかった。

 1976年6月18日、同じFCCJでアントニオ猪木とモハメド・アリが歴史的な記者会見を行った。その場では、挑発を繰り返すアリに対して猪木が「雄弁は銀、沈黙は金」と通訳を介して冷静に返し、最後は猪木からアリへ松葉杖がプレゼントされて会見場が最高潮の盛り上がりを見せた。そして試合は6月26日、日本武道館で開催。世界34か国での同時中継、視聴者数は推定15億人という、全てが異例尽くしのスポーツイベントとなった。それからちょうど50年。その節目の6月17日に同じFCCJの壇上へ登ったのは、新日本プロレス代表取締役社長・棚橋弘至と、東京五輪柔道金メダリストからプロレスラーへ転身したウルフ・アロンだった。

 50年前の猪木は、世界最強を証明するためにアリとの異種格闘技戦へと挑んだ。当時の評価は「世紀の凡戦」と酷評するものが大半だったが、後年ルールをめぐって両陣営が試合直前まで対立し、猪木側に不利なルールで試合が行われた背景などが明らかになるにつれて評価する声も高まり、2016年には6月26日が「世界格闘技の日」に制定されるに至った。この異種格闘技戦が現在の総合格闘技の元祖になったと、歴史的価値を認められた形だ。そして2026年、棚橋社長が同じ場所で語ったのは「戦い」ではなく「世界戦略」である。G1 CLIMAXの米国シカゴ開幕、NJPW WORLDを軸とした海外ファン獲得、英国や台湾を含むグローバル展開――時代が変わっても、新日本プロレスが世界へ向かおうとする衝動は50年前から変わっていない。

 だが、この会見で外国メディアの視線を最も集めた存在は、棚橋ではなくウルフ・アロンだった。ウルフはこの日、棚橋弘至社長と日本外国特派員協会で団体の世界戦略に関する会見に出席した。柔道金メダリストがプロレスラーとなり、新日本プロレスの未来を担う存在として壇上に立つ。その物語は海外記者にとって理解しやすく、同時に強い興味を引くものだった。会見冒頭でウルフは「父親がアメリカ人なのに英語があまり話せない」と自虐的なジョークを飛ばし、会場の笑いを誘った。しかし、そのユーモアの裏側には、オリンピック金メダリストという圧倒的な実績と、新日本プロレスが世界へ向かうための新たな象徴としての期待が静かに存在していた。

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ウルフ・アロンとは何者か―柔道界の頂点からリングへ

 ウルフ・アロンの経歴は、いくつもの意味で特異である。父親がアメリカ人、母親が日本人という国際的なバックグラウンドを持ちながら、日本の柔道界で頂点を極めた男だ。2021年東京五輪柔道男子100キロ級金メダリストであり、五輪2大会連続メダリストでもある。柔道界での戦いを終えた後、彼が選んだ次の舞台は意外にも、あるいは必然的に、プロレスのリングだった。

 ウルフは「大学生の頃、録画した『ワールドプロレスリング』を見るのが毎週日曜日の楽しみで、選手の皆さんが裸一貫で戦ってるカッコよさ、また柔道とは違った見せ方に魅力を感じ、いつか柔道で思い残すこと、やり残すことがなくなったらプロレスやりたいと思っていました」と入団の動機を語っている。棚橋によるとウルフ側からのアプローチがあったといい、「ウルフ選手から入団の強い希望をいただいた。熱意と誠実な態度を見て、新日本プロレスとしても歓迎しますとお答えしました」と経緯を説明した。日本人のオリンピック金メダリストがプロレスに転向するのは史上初の出来事であり、その入団会見は大きな話題を呼んだ。

 そして迎えた2026年1月4日、WRESTLE KINGDOM 20。ウルフ・アロンがプロレスデビュー戦にしてNEVER無差別級王座を奪取するという、前代未聞の快挙を成し遂げた。前日会見にて対戦相手のEVILから「負けたら丸刈り、柔道着禁止」という理不尽な要求を突きつけられていたウルフは、なんと入場ゲートに姿を現した時点で坊主頭、柔道着を脱ぎ捨てた姿で登場し、約4万6913人の大観衆を沸かせた。試合は逆三角絞めによるレフェリーストップという柔道家らしい結末で決着し、柔道界でメダリストのデビュー戦としては1997年のバルセロナ五輪銀メダルの小川直也以来の衝撃だったが、小川はノンタイトル戦での勝利だったのに対し、ウルフは初陣でベルトを奪取する大快挙を果たした。

 棚橋は「今日、東京ドームで棚橋がアウト、ウルフがインしたわけなんですけどね。これからもっと伸び代があるんじゃないですか。びっくりしました」と大型新人に期待を寄せた。王者として歩み始めたウルフのその後のキャリアは、順風満帆とはいかなかった。2026年2月の大阪大会でキャリア初黒星を喫し、成田蓮にベルトを強奪された。しかし6月14日の大阪城ホール大会で、ウルフは裏投げからのアングルスラムで完璧な3カウントを奪い、成田蓮に雪辱を果たして第52代NEVER無差別級王者に返り咲いた。勝利から敗北、そして奪還へ――デビューから半年足らずで、ウルフ・アロンは既にプロレスラーとしての起伏を経験していた。

なぜ新日本はウルフ・アロンを世界戦略の最前線に置くのか

 今回のFCCJ会見で興味深かったのは、棚橋社長が単独ではなくウルフ・アロンを同席させたことである。仮に海外メディアへのアピールだけを考えるなら、歴代IWGP王者や人気レスラーを登壇させる選択肢も当然あった。しかし、新日本プロレスが選んだのはウルフだった。

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