ボビー・ダンカンの訃報が飛び込んできた。カリフラワー・アレイ・クラブ(CAC)が献身や貢献、タフさと並んで、ユニークな声に触れていたのが印象に残った。テキサス州オースティン出身。ウエスト・テキサス州立大学ではアメリカンフットボールの選手であり、NFLのセントルイス・カージナルス(現アリゾナ・カージナルス)にドラフトされるが、プロレスラーに転向した。新日本プロレス時代はスタン・ハンセンともタッグを組んだが、ボビーの場合カーボーイはギミックであり、古舘伊知郎は実況で「アーバン・カウボーイ」だと区別していた。

日本での新日本プロレスだけでなく、ブルーノ・サンマルチノが推してWWWF(当時)のMSGで王座挑戦、記者(タダシ☆タナカ)がリングサイドで撮った時期でもボブ・バックランド戦が何度かあったので直接挨拶していたから感慨は深い。但し、今のデジタル・カメラしか知らない世代にはわからないのかもだが、フィルム時代は現像だけで高いし2日かかるからそのまま大阪にAir Mailでロールごと送っていた為、撮影者本人が1枚も持ってない。しかし、つまらん肉体ギミックの選手と比べて、バックランドとちゃんとしたレスリングやっていたから撮りがいはあった。もっとも、ビンス・マクマホンSr.にしたら、普通にレスリングする奴はニューヨーク向きではないと判断されたかと。

重ねて田舎者ではなくインテリであり、確かハルク・ホーガンの全日移籍に仲介した張本人だったと思うが、これが不発に終わったため新日から呼ばれなくなった。ただ、現場記者にとっては大酒飲みのアル中の記憶も残る。
息子のボビー・ダンカン・ジュニアはWCW時代が印象にあるが、鎮痛剤の過量投与により34歳の若さで先に天国に召されている。
合掌