[ファイトクラブ]名勝負は永遠に!アントニオ猪木対アブドーラ・ザ・ブッチャー

[週刊ファイト01月22日]期間 [ファイトクラブ]公開中

▼名勝負は永遠に!アントニオ猪木対アブドーラ・ザ・ブッチャー
 編集部編
・1982年1月28日東京体育館:猪木対ブッチャー初対決の血塗れ乱闘
・1985年1月25日徳山市体育館:猪木対ブッチャー闘魂が呪術師を沈めた
・猪木とブッチャーの対決!時代の匂いを残す2戦である
・闘魂と狂気を褒めちぎるファンの反応が示す「神々のプロレス」


▼映画『栄光のバックホーム』と『アントニオ猪木をさがして』

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▼黒い呪術でプロレスの楽しさを教えてくれたアブドーラ・ザ・ブッチャー

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1982年1月28日東京体育館:猪木対ブッチャー初対決の血塗れ乱闘

 1月という節目の月に、アントニオ猪木とアブドーラ・ザ・ブッチャーは2度、シングルマッチで相まみえた。日本プロレス界の象徴と最恐の破壊者が激突したその舞台は、単なる異種対決ではなく、時代の緊張感を映し出す闘いでもあった。本稿では、その2試合を軸に両者の対決を振り返る。

 1982年1月28日、新日本プロレス「新春黄金シリーズ」東京体育館大会のメインイベントとして行われた アントニオ猪木 vs アブドーラ・ザ・ブッチャー の一戦は、両者の初シングル対決として、今なお語り継がれる新春の名勝負である。

 この試合は14分52秒、セコンド乱入による反則裁定で猪木の勝利となった。しかし、単なる反則決着にとどまらず、「闘魂」と「狂気」が真正面から衝突した象徴的な一戦として、新日本プロレス史に強烈な爪痕を残した。

 当時の新日本プロレスは、全日本プロレスとの激しい引き抜き抗争の真っただ中にあった。ブッチャーは1981年末、猪木の熱烈なオファーを受けて全日本から新日本へ移籍。ジャイアント馬場の宿敵として名を馳せた“黒い呪術師”が、猪木のリングに足を踏み入れること自体が、大きな話題となっていた。

 そのブッチャーの新日本での初シングルが、いきなり猪木とのメインイベントで組まれたのである。前哨戦ではタッグ戦での乱闘の末、猪木が流血する場面もあり、この東京体育館大会は因縁の清算の場として注目を集めた。時間無制限1本勝負という設定も、両者の激突に拍車をかけた。

 試合は開始直後からブッチャーが主導権を握る。地獄突き、ヘッドバット、噛みつきといった凶器じみた攻撃で猪木を追い込み、場外戦では額を狙った執拗な攻撃で再び流血に追い込んだ。巨体に似合わぬ機動力と容赦のないラフファイトは、ブッチャーの新日本デビュー戦にふさわしい狂気そのものであった。

 しかし中盤以降、猪木は闘魂を前面に押し出した反撃を開始する。アリキックや延髄斬りでブッチャーの動きを止め、寝技や関節技も交えながら流れを引き戻していく。反則を厭わないブッチャーに対し、猪木は感情を爆発させるのではなく、冷静さを保ったままダメージを蓄積させていった。

 終盤、ブッチャー側セコンドの介入をきっかけに事態は一気に崩壊する。リング内外で大乱闘が発生し、猪木側のセコンドも加わる混戦の末、レフェリーはブッチャー陣営の乱入を反則と裁定。14分52秒、猪木の反則勝ちが宣告された。

 決着後も猪木は怒りを収めず、延髄斬りでセコンドを排除。血にまみれながらもリングを制圧する姿は、「闘魂」という言葉を視覚的に刻み込む光景であった。

 この試合は、ブッチャーの新日本定着を強く印象づけると同時に、猪木の不敗神話をさらに補強する役割を果たした。クリーンな勝利ではなかったが、それ以上に「猪木が簡単には屈しない存在である」というメッセージを観客に叩き込んだのである。

 後に両者は1985年の徳山大会で再び激突することになるが、その原点がこの1982年東京体育館の初対決であった。引き抜き抗争、流血、反則、乱闘という当時の新日本プロレスらしさが凝縮された一戦であり、猪木というレスラーの闘争哲学が最も生々しく表出した試合の一つと言っていい。

 1982年の新春、闘魂が黒い呪術師と真正面から噛み合ったこの夜は、今なお新日本プロレスのDNAとして語り継がれている。

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1985年1月25日徳山市体育館:猪木対ブッチャー闘魂が呪術師を沈めた

 1985年1月25日、新日本プロレス「新春黄金シリーズ」徳山市体育館大会のメインイベントとして行われた

 アントニオ猪木 vs. アブドーラ・ザ・ブッチャー のシングルマッチは、両者の因縁にひとつの区切りを与える一戦となった。

 試合時間は14分8秒。延髄斬りからのブレーンバスターで猪木が3カウントを奪い、明確なピンフォール決着がついた。1982年の初対決、流血と反則が支配した荒々しい戦いを経て、闘魂が狂獣を完全に沈めた瞬間であった。

 当時の新日本プロレスは、猪木を中心にIWGP構想を進めながら、全日本プロレスとの引き抜き抗争の余韻を引きずっていた。その象徴的存在がブッチャーである。1981年末、猪木の熱烈なオファーによって全日本から移籍したブッチャーは、「血の帝王」として新日本マットに上がったが、猪木のシュート色の強いスタイルとは必ずしも噛み合わず、全日本時代ほどの絶対的ヒールにはなりきれなかった。

 この徳山大会は、ブッチャーにとって新日本マット最後期の試合のひとつであり、事実上の区切りとなる一戦であった。翌日の岩手大会を最後にブッチャーは新日本を離れ、再び全日本へ戻ることになる。その意味で、この試合は引き抜き抗争の終章を告げるカードでもあった。

 試合はゴング前からブッチャーが主導権を握る。フォーク、チェーン、地獄突きといった凶器攻撃を織り交ぜ、猪木を徹底的に追い込んでいく。場外戦ではフォークで額を狙い、猪木は早い段階で流血。観客席からはブーイングと同時に「猪木」コールが沸き起こった。

 中盤に入ると、猪木が徐々に反撃を開始する。空手チョップ、ローキック、ハイキックを的確に叩き込み、ブッチャーの動きを削いでいく。ブッチャーは目潰しや凶器で流れを断ち切ろうとするが、猪木は冷静さを失わず、延髄斬りを要所で決めて主導権を奪い返した。

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