[ファイトクラブ]映画『栄光のバックホーム』と『アントニオ猪木をさがして』

[週刊ファイト12月18日]期間 [ファイトクラブ]公開中

▼映画『栄光のバックホーム』と『アントニオ猪木をさがして』
 by 安威川敏樹
・引退試合で魅せた、横田にとって生涯最高の『奇跡のバックホーム』
・動けなくなった横田が、引退を覚悟した先輩選手に説教
・『アントニオ猪木をさがして』が、あれほどつまらなかった理由とは?
・『アントニオ猪木をさがして』の興行収入と総観客数
・『栄光のバックホーム』で浮き彫りになった、プロレス界の問題点


 現在、公開中の映画『栄光のバックホーム』を観に行った。これは2023年7月18日、28歳という若さでこの世を去った元:阪神タイガースの横田慎太郎さんの短い生涯を描いたドキュメンタリー映画である。
 ぜひ皆様にも観ていただきたい映画なので、ネタバレにならない程度に紹介したいと思う。
(本文中敬称略)

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引退試合で魅せた、横田にとって生涯最高の『奇跡のバックホーム』

 まず、最初に記しておきたいのは、この映画は横田慎太郎の死について描こうとしたわけではないという点だ。実は、横田の生前から既に映画化のプロジェクトは始まっていたのである。横田自身もそれを了承し、脚本の制作も進んでいた途中で、横田は永眠した。
 そして、この映画は母親の視点から描かれている。原作は、横田の自伝である『奇跡のバックホーム』と、母親の心情を書いた(実際の著者は中井由梨子)『栄光のバックホーム』だ(いずれも幻冬舎)。

 横田の父親は、やはりプロ野球選手だった横田真之。父譲りの素質を開花させた横田は高校野球の名門・鹿児島実業を卒業後、阪神タイガースからドラフト2位指名を受けて入団した。
 3年目には開幕スタメンを勝ち取り、プロ初安打を放つも、プロの壁は厚くその後は二軍落ち。来年こそはと意気込む横田の身体を病魔が襲った。

 脳腫瘍である。二度の手術は成功したものの、目が見えなくなってしまったのだ。2ヵ月ぐらい経って何とか目が見えるようになり、復帰に向けてリハビリを開始したものの、目の状態は完全には元通りに戻らない。
 病気が全快するかどうかも判らない状態で、クビを覚悟した横田だったが、球団は育成選手という形で横田を阪神に残した。現状では戦力にはならないと判っていても、横田の回復と、戻ってくれば活躍してくれるはずと横田のポテンシャルを信じたのだ。

 しかし、トレーニングで体は元に戻っても、目の状態は良くならない。ボールが二重に見えてしまうのである。野球選手としては致命的だ。横田はボールが怖くなり、以前のようなプレーができない。
 横田は、遂に引退を決意する。阪神は、横田に引退試合を用意した。二軍戦とはいえ、一軍での実績がない選手の引退試合は異例である。そして、あのあまりにも有名なシーンが生まれた。

 8回表、二軍監督の平田勝男から選手交代を告げられ、慣れ親しんだセンターの守備位置に就く横田。走者二塁で、相手打者がセンター前ヒットを放った。
 ボールが怖くなっていた横田が、この日は前に突っ込んでバウンドした打球をグラブで掴む。三塁を回った走者をホームで刺すため、横田は大遠投した。

 横田の送球はノーバウンドでキャッチャー・ミットに収まり、本塁寸前でタッチアウト。今まで、練習ですら投げたことがなかったノーバウンド送球が、引退試合で飛び出したのだ。
 所謂『奇跡のバックホーム』である。映画では触れられていなかったが、相手チームの福岡ソフトバンク ホークスの選手たちは、危険なので横田の所へ打つのはよそう、と申し合わせていた。でも、そうはいかないのが野球で、不思議なことに打たないつもりだったセンター前ヒットが、結果的には横田の引退に花を添えたのだ。

▼横田の引退試合での実際のテレビ中継。奇跡のバックホームは2分57秒頃から

 ただ、言わせてもらうならこれは『奇跡の』バックホームなどではない。子供の頃から野球に打ち込み、病魔に襲われてからも地獄のような手術と抗癌治療に耐え、復帰に向けて懸命なリハビリとトレーニングを行った結果が見事なバックホームに繋がった。その一つでも欠けていれば、こんなプレーは生まれなかったのだ。もちろん、周囲の協力があったことは言うまでもない。
 よく、このバックホームについて『野球の神様が見ていた』と言う人がいるが、それも違う。本当に神様が存在するならば、横田のような実直な人間に脳腫瘍という厳しい罰は与えなかっただろうし、若死にもさせなかっただろう。逆に、陰で悪いことをしている人間がのうのうと生きている。横田の死は、この世に神様など存在しないことを証明した。

▼横田の引退試合が行われた、阪神タイガース二軍の本拠地だった阪神鳴尾浜球場(現在は閉鎖)

動けなくなった横田が、引退を覚悟した先輩選手に説教

 少しネタバレになる部分を書く。横田が引退後、しばらくは講演活動などをしていたものの、やがて体が動かなくなり、病院からホスピスへ移動する。ホスピスとは、治療が目的ではなく、人生の最後を安らかに迎えるための場所だ。つまり、横田は既に治る見込みがないと診断されたのである。
 そんな横田を、普段から仲良くしていた1年先輩の北條史也が見舞った。北條自身も怪我で一軍に定着できず引退を覚悟し、寝たきりの横田につい弱音を吐いてしまう。すると横田は、
「何をグチグチ言ってるんですか。僕は動けないんですよ。北條さんは動けるじゃないですか」
と先輩に対して説教を始める。このシーンに、筆者は1人の男を思い出した。

 山際淳司である。作家として、スポーツ・ノンフィクションというジャンルを確立した人物だ。筆者も、山際さんがいなければスポーツ・ライターになろうとは思わなかっただろう。なお、冒頭では『本文中敬称略』と書いたが、山際さんはさん付けでないとしっくりこないので、敢えて『山際さん』と書かせていただく。ジャイアント馬場のことを『馬場さん』と呼ぶようなものだ。
 余談ながら、山際さんの奥さんも我が夫とのことを『山際さん』と言っていた。これも馬場元子夫人が呼ぶ『馬場さん』と同じだが、山際さんの場合はペンネームだから余計におかしい。ちなみに、山際さんの本名は犬塚進だ。全くピンとこない名前である。

 山際さんは1995年に癌により46歳という若さで急逝したが(ちなみに、横田はその約1ヵ月後に生まれた)、体調を悪くして病院で診断してもらったときに、医者に対して「長いものが書きたいので、病名を教えてくれませんか?」と頼んだという。
 癌だと告げられると、今度はその治療方法を詳しく訊き、治療時間以外に仕事のスケジュールを決めていった。ノンフィクション・ライターとしての冷静な目が、自らの病に向けられたのだ。

 仕事は自分の意思でやっていて、病気は自分の意思とは関係ないところからやってきた。だから僕は自分の意思でやっているものを優先して、意思とは関係ないものに対しては、それ以外で埋めていけばいい。山際さんはそういう考え方だった。
 実際、亡くなる2週間前まで、レギュラーだったNHKの『サンデースポーツ』のメイン・キャスターを務めていたほどだ。最後のTV出演で画面に映し出された山際さんは、激しく痩せていた。

 横田は、若かっただけに脳腫瘍が初めて見つかった時はかなり取り乱していたが、ホスピスに入る頃になると既に落ち着いていたという。それどころか、入院中には絶えることのなかった辛い治療から解放されたためか、体の数値自体は良くなっていた。本来なら有り得ないことだ。
 そんな横田も、もはや一軍に上がることが難しくなっていたとはいえ、まだ野球ができる北條が羨ましかったのだろう。この年、横田は亡くなり、北條は阪神から戦力外通告を受けた。

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