[ファイトクラブ]野球列島と化した日本で見え隠れした、プロレス界と共通の問題点

[週刊ファイト11月13日期間] [ファイトクラブ]公開中

▼野球列島と化した日本で見え隠れした、プロレス界と共通の問題点
 photo:George Napolitano/他 by 安威川敏樹
・日米加のプロ野球に共通する、強烈な地元ビイキとフランチャイズ制
・野茂英雄とイチローが開拓した、日本人メジャー・リーガーの道
・アメリカではマイナー・リーガーでも、NPBで大活躍できた時代
・日本のプロレス界はNPBと同じ穴のムジナか!? 問題点を検証


 野球、野球、野球ばっか。
 今秋の日本は完全に野球列島と化した。朝はメジャー・リーグ(MLB)のワールド・シリーズ、昼は日本人メジャー・リーガーの活躍を伝えるワイドショー、夜はプロ野球(NPB)の日本シリーズ、深夜は野球の結果を伝えるスポーツ・ニュースと、テレビ電波がベースボール・ジャックされている。30年以上も前から日本では野球離れ、野球人気の低下が叫ばれていたが、我が国は未だに野球が無ければ夜も日も明けない状況だ。

 そんな中で、日本野球もこのポスト・シーズンで課題が明らかになった。それは、日本のプロレス界にも通ずる問題点である。

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日米加のプロ野球に共通する、強烈な地元ビイキとフランチャイズ制

 今年のワールド・シリーズは圧巻の一語に尽きた。延長18回の死闘を含んで最終戦までもつれ込み、ロサンゼルス・ドジャースが4勝3敗でトロント・ブルージェイズを振り切り2年連続世界一。特に日本人選手の活躍がなければ、この連覇は有り得なかった。
 大谷翔平は打者として3本塁打をマーク。投手としては0勝1敗だったものの、2度も先発登板してドジャースの苦しい先発台所事情を助けた。佐々木朗希はレギュラー・シーズンこそ故障で棒に振ったものの、ポスト・シーズンに入るとリリーバーに転向して覚醒。ブルペンに無くてはならない存在となった。

 そして何よりも、白眉だったのが山本由伸である。山本はドジャース4勝のうち、3勝も挙げた。しかも、第6戦に先発して96球を投げ勝利投手となった翌日の第7戦にもリリーフ登板、見事に締めくくり勝利投手として有終の美を飾ったのである。もちろん、文句なしのワールド・シリーズMVPだ。
 さらに、山本はポスト・シーズンで2試合連続完投勝利を飾っている。96球を投げた翌日も登板したり、2試合連続完投勝利したり、分業制が確立したMLBでは稀有の存在だ。

 一方、ほぼ同時期に行われた日本シリーズはどうか。こちらも福岡ソフトバンク ホークスと阪神タイガースという人気チーム同士の対戦とあり、非常に盛り上がった。ワールド・シリーズと違い、ソフトバンクの4勝1敗でアッサリ決着がついたとはいえ、全試合で超満員の観衆を集めたのである。
 西日本での対決だったが、お互いに地元では熱狂的なファンが存在するのが特徴だ。特に阪神甲子園球場では、スタンドのほとんどがトラキチで埋め尽くされたのである。

 ワールド・シリーズと日本シリーズでは、1つの共通項があった。優勝を決めたのが、いずれも敵地だったということだ。
 ブルージェイズの本拠地であるロジャーズ・センターも、甲子園も、ビジター・チームが優勝を決めた瞬間、お通夜のように静まり返ったのである。特にロジャーズ・センターはカナダにあるので、ファンの地元意識は格別だった。

 日米加(加=カナダ)のプロ野球はフランチャイズ制である。MLBではそれが徹底していたが、NPBもようやくMLBっぽくなってきた。
 20世紀のNPBは『巨人あってのプロ野球』。読売ジャイアンツが圧倒的な人気を誇り、東京が本拠地というより、日本中が巨人の本拠地だったと言えよう。全国ネットのテレビ中継も、巨人戦しかなかったのだ。だが、2004年の球団削減騒動をキッカケに、NPBの各球団は地元密着をより強く意識したファン・サービスを行っているように思える。

野茂英雄とイチローが開拓した、日本人メジャー・リーガーの道

 ただ、NPBとMLBで、明らかな違いがあった。違いというよりは、日米が逆転した感がある。
 ドジャースは前述の通り、大谷、山本、佐々木という日本人トリオの活躍があってこその世界一だった。今やMLBでは日本人選手が不可欠な存在となり、MLBのスカウトもNPBのみならず社会人や大学、高校野球にまで熱視線を送っている。

 一方、今年の日本シリーズでは、昨今のNPBを象徴する出来事があった。第1戦の両チームのメンバー名に、カタカナが無かったのである。即ち、オール日本人だった。そして第4戦の先発メンバーにも、外国人選手はいなかったのだ。
 巨人のV9時代は日本人ばかりだったが(ただし王貞治は台湾積で、他にも在日韓国人は存在した)、それ以降は外国人選手の存在がペナント・レースの行方を左右するようになったのである。

 しかし、近年のNPB球団は外国人選手に頼らなくなってきた。その理由として、NPBのレベル上昇が挙げられる。
 2006年から始まったワールド・ベースボール・クラシック(WBC)では日本は5大会中3回というダントツの優勝回数を誇っており、日本人メジャー・リーガーも珍しくなくなった。

 1980年代以前、日本人メジャー・リーガーは、1964、65年にサンフランシスコ・ジャイアンツに所属したマッシーこと村上雅則ただ1人。村上の場合はMLBを目指していたわけではなく、南海ホークス(現:ソフトバンク)の留学生としてジャイアンツの1Aチームに所属していたところ、親球団の目に留まり、MLBに昇格した。
 それ以降、数々の日本人がMLBを目指したが、いずれも失敗に終わっている。1980年前後では日本最高のクローザーだった江夏豊ですら、MLBに挑戦したものの、36歳という年齢の壁もあったとはいえキャンプの段階でふるい落とされたのだ。

 そんな中で、日本人メジャー・リーガーの道を切り拓いたのが野茂英雄だった。近鉄バファローズのエースとして活躍していた野茂が、MLBに挑戦したのが1995年。マッシー村上から実に30年後のことだった。
 当時は、日本球界を代表するエースだった野茂ですら、MLBでは通用しないと思われていたのである。つまり、それほど日米のレベル差は大きかったのだ。だが野茂は、ドジャースの一員になるとたちまち頭角を現して、ナショナル・リーグの奪三振王と新人王を獲得した。

 日本人投手がMLBで通用しても、日本人打者は無理ではないか、と思われていた頃に真っ向からそれを否定しようとしたのがイチローだ。2001年、オリックス・ブルーウェーブ(現:オリックス・バファローズ)からシアトル・マリナーズに移籍したイチローは、いきなり首位打者と盗塁王、そして新人王にゴールド・グラブ賞を獲得、さらにアメリカン・リーグのMVPに選ばれた。
 野茂とイチロー、この2人のおかげで日本野球のレベルの高さが証明されたのである。

アメリカではマイナー・リーガーでも、NPBで大活躍できた時代

 NPBで外国人選手が最も活躍したのは1980年代だろう。代表的な選手は、阪急ブレーブス(現:オリックス)に在籍したブーマー・ウェルズと、阪神タイガースで活躍したランディ・バースだ。ブーマーは1984年に、バースは1985、86年の2年連続で三冠王に輝いている。
 だが、この2人はMLB経験があるとはいえ、ほとんど3Aでプレーしていた。つまり、実質的にはマイナー・リーガーである。マイナー・リーガーが三冠王を獲れるほど、日米のレベルの差は大きかったのだ。

 それ以外の外国人選手も、日本にやって来るのはほとんどマイナー・リーガーばかり。そんな彼らでも、NPBでは中心選手として活躍していたのだ。
 稀に実績充分のメジャー・リーガーが来日することもあったが、既に盛りを過ぎたロートルか、故障持ちで満足にプレーできない『トンだ一杯食わせ者』。彼らはハナから日本をナメ切っていたので、真面目に野球をする気もなく高い年俸と契約金を持ってドロンしていた。

 だが1987年、そんなNPBにも転機が訪れた。バリバリの現役メジャー・リーガー、ボブ・ホーナーの来日である。
 前年までアトランタ・ブレーブスで四番を打っていたホーナーは、まだ30歳と若くMLB通算215本塁打という申し分ない実績を引っ提げて、ヤクルト スワローズに入団した。かつて、一流かつ全盛期を迎えていたメジャー・リーガーのNPB入りは例が無かったのだ。

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