永島勝司さん、天国で大好きなレモンチューハイやホッピー飲んでますか?
今日は1記者として、初めてプロレスというジャンルに取材を挑みました。
大勢のレスラー、関係者、観客が来て良かったですね。
オープニングでは、DDT副社長兼現在は休養中のプロレスラー、高木三四郎氏が永島さんを追悼した。
永島さんと初めて出会ったのは、Uインターの取締役で旧キングダムの社長だった鈴木(健)さんの店、市屋苑(いちおくえん)でしたね。
25年前、まだ、30代前半のプロレス界では無名の自分を長州対大仁田戦とうい横浜アリーナの大舞台のバックステージに呼んでくれて、新設のベルトを一緒にマスコミに披露してくれました。
けたたましいフラッシュに、新日本というメジャーの取締役とはこんなにも影響力があるのか!
と、驚かされました。
中島勝彦選手は永島さんが発掘した選手でもピカ一のスター性あり。
試合後は、WJでデビューしたことなど永島さんに感謝を述べていた。
新橋の赤札屋をはじめとする、飲みの場では本当に楽しそうに飲んでいた印象です。
当時スターダムのGMだった風香さんを紹介して頂いたり、新人女子選手の売り出しや、興行の相談役になってもらったり、本当に公私共に助けていただきました。
昨年から体調を崩していたのは聞いていて、「酸素ボンベをつけている!」
と、言われていてとても心配していた矢先でした。
永田裕志選手は、永島さんが全日本プロレスの社長になる案があったことなど裏話を話す。
2024年の時点で、来年の6月26日世界格闘技の日に、猪木vs.アリ戦の特別な総合ルールで戦うという旨を伝えていて、アントニオ猪木の側近といえる同氏は、その試合の立ち合い人になってもらうことを承諾してくれていました。
追悼プロレスには、空手道場まで長州・永島両氏でスカウトに行ったという現GREATの王者中島(勝彦)選手が感謝を述べ、永田裕志選手は、Uインター対新日本を手掛けて、借金をチャラにした永島氏の功績を本当に称えていました。
「ゼア!」のポーズで決まる永田選手。その前にはチラシを散乱させて、ご迷惑をおかけい致しました。
メイン終了後は、遺影を持った奥様と娘さんらを囲みながら全選手が記念撮影に収まり、まとまりを見せた。
しかしアクシデントが全くないといえば嘘で、今回は目立ちたくない記者は、顔をすっぽり隠すマスクを直用していたのだが、リングの上でメモを取っていたら、不意に強風に見舞われてチラシ類が10枚以上風に舞った挙句、トークライブ中の永田選手の足元に巻き散らかすとという醜態。おまけに、プロレスのカメラワークの慣れてない俺は、リングサイドに張り付きすぎてレスラーの強烈な踵蹴りを、モロ喰らってしまった。
これは自分の中では永島さんが天国から、「何してる! 目立て! 俺をうまく使えよ」と、言ってくれてるように感じた。
メインは激しい戦いが繰り広げられた。
最後は逆さ抑え込みでフィニッシュ。nwj軍が勝利した。
全試合終了後は、バトル・ニュースの伊藤さんの仲介で親族と話すことができ、6月26日の大会に永島さんの遺影を置かせていただく許可を取られせて頂いた。
天国の永島勝司さんへ届くかのように、奥様の手紙が読み上げられた。
年明け、自分が吉祥寺まで行って一緒にハーモニカ横丁で飲むことは叶わなかったけど、必ず、永島さんは天国でも立ち合い人として見ていてくれる。
「イリエマン! うまくやってくれよ~」
永島さんと最後に電話で話した声を鮮明に覚えている。
記者は万感の思いも胸に隠し、リングに上がる。
格闘技I記者 リングネーム 超人イリエマン
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