[ファイトクラブ]中田ちさとと永島勝司!異色の邂逅が紡いだプロレスとアイドルの“熱すぎる”絆

[週刊ファイト6月5日]期間 [ファイトクラブ]公開中

▼中田ちさとと永島勝司!異色の邂逅が紡いだプロレスとアイドルの“熱すぎる”絆
 (C)中田ちさと公式/編集部編
・AKB48の元メンバー中田ちさとゴマシオ追悼大会登場
・AKB48を支え続けた10年の軌跡──中田ちさとという静かなる情熱
・平成の仕掛け人、永島勝司の軌跡:プロレス界を動かした男の情熱と挑戦
・永島勝司追悼プロレス:平成の仕掛け人を偲ぶ池袋屋上の熱き闘い


▼永島勝司さん永遠に!池袋駅屋上DDTガンバレGLEAT追悼が大盛況

[ファイトクラブ]永島勝司さん永遠に!池袋駅屋上DDTガンバレGLEAT追悼が大盛況

AKB48の元メンバー中田ちさとゴマシオ追悼大会登場

中田ちさと 公式コメント
ラジオ共演でお世話になり
プロレスについてたくさん教えていただいた平成の仕掛け人!
永島勝司さんの追悼プロレス大会に
ゲスト出演させていただきました。
皆さんのお話を聞き、多くの方に愛されていた本当に素敵な人柄の方だったんだと感じました。
永島さん本当にありがとうございました!

 AKB48の元メンバー中田ちさとと、プロレス界の異端児にして伝説の仕掛け人・永島勝司の間に育まれた関係は、単なる番組共演者の枠を超えた“真剣勝負”であった。彼女と永島氏が出会ったのは、2011年から2012年にかけて新宿ネット局で配信されたウェブラジオ「雪崩式ブレーンバスターラジオ」である。AKB48という煌びやかなアイドルグループの一員でありながら、中田はこのラジオにレギュラー出演し、永島のプロレス愛と奇抜な言動に真正面から対峙した。そして、このコンビが見せた“まったく噛み合わないからこそ成立する”緊張感と間合いは、多くのリスナーにとって唯一無二のエンタメとして熱狂的な支持を得ていくのである。

 番組開始当初は、何を喋っても空回り気味な3人――中田、永島、進行役のMr.F――であったが、回を重ねるごとに中田はプロレスへの興味と知識を深め、やがてはサムライTV中継にてプロレス解説を務めるまでに至る。実際、2011年9月のユニオンプロレス新宿FACE大会では、初めて生観戦しながらも14試合をフルで実況し、AKB48のステージとは全く異なる、四方から観られるリングという環境の中で解説という大役を立派に果たした。さらに、試合の本質を的確に見抜いたコメントや、女子プロレスラーへの真摯なリスペクトの姿勢は、単なるゲスト枠ではなく、真のプロレス愛好者としての一歩を示すものであった。

 永島氏にとっても、中田の存在は単なる“アイドル”を超えた刺激と可能性の象徴だった。彼はラジオ内で「ちー坊」と名付けて呼び、中田を北朝鮮に連れて行って「North Korea48」を結成するというぶっ飛んだ構想まで語っていた。これはもちろん冗談半分ではあったものの、そこにはアイドルとプロレスの融合による全く新しいエンタメの可能性を本気で模索していた、永島ならではの夢と野望が確かに存在していた。

 そしてその永島氏が亡くなった後、中田が追悼興行に参加したことは、彼の遺志を継ぐという意味でも極めて象徴的であった。単なるゲストや付き合いで参加したのではなく、かつて自らの人生に濃厚な影響を与えた“プロレス界の父”とも言うべき存在への敬意を表す行為だったのだ。中田ちさとは、永島勝司という一筋縄ではいかない男を通して、プロレスという文化の奥深さと、人生の不条理すら呑み込むエンターテイメントの力を身をもって体験した。その経験は、きっと彼女の今後の人生にも、かけがえのない“プロレス的思考”として刻まれていくだろう。

 AKB48とプロレス、一見すれば交わることのない二つの世界。その架け橋となった永島勝司の型破りな発想力と、それを受け止めようとした中田ちさとの柔軟性と覚悟が生んだこの関係性は、誰にも真似できない、唯一無二のエンターテインメントの形であった。永島が生み出したこの熱狂と、そこに真剣に向き合った中田の誠実さは、これからも語り継がれるべきプロレスとアイドル文化の交差点として、プロレス史の傍流に煌めき続けるに違いない。

AKB48を支え続けた10年の軌跡──中田ちさとという静かなる情熱

 中田ちさとは、AKB48の4期生として2007年に加入し、2017年に卒業するまでの約10年間、グループの中核を支え続けた存在である。彼女の活動は、派手なセンターやメディア選抜とは異なるが、劇場公演やチーム活動において欠かせない存在であり、まさに「縁の下の力持ち」としての役割を果たしてきた。

 中田ちさとは、2006年にAKB48の2期生および3期生のオーディションに挑戦するも、いずれも不合格となった。しかし、彼女は諦めることなく努力を重ね、2007年5月27日に4期研究生としてAKB48に加入した。この「三度目の正直」での合格は、彼女の強い意志と忍耐力の証であり、後の活動においてもその姿勢は一貫していた。

 2008年10月19日、研究生から正規メンバーへの昇格が発表され、チームAに所属することとなった。彼女は、劇場公演において安定したパフォーマンスを披露し、チームの信頼を獲得した。特に、他メンバーのアンダーとしても活躍し、急な代役にも柔軟に対応できる能力は、スタッフやメンバーから高く評価されていた。

 2012年の第4回AKB48選抜総選挙では、37位にランクインし、ネクストガールズとして活動することとなった。また、同年の第3回じゃんけん大会では16位に入り、初のシングル表題曲選抜入りを果たした。これらの成果は、彼女の地道な努力とファンからの支持の賜物であり、派手さはないものの確かな実力を示すものであった。

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