[週刊ファイト5月8日]期間 [ファイトクラブ]公開中
▼新間寿さんお通夜盛大に 遺族&佐山総監囲み取材 あらためての足跡
by タダシ☆タナカ
・新宿の感通寺にはNHK番組タイガーマスク誕生ブームの仕掛け人が
・「皆さんの喜んでる顔を見て、自分も喜ぶ」仕掛け人の素顔が語られた
・MSGでのWWFジュニア戴冠以降、メキシコ読みカンピオンの藤波辰爾
・「プロレス愛した熱い人」 訃報にパーキンソン失語症になった佐山総監
・昭和100年記念週の訃報 本当に昭和プロレスが終わった運命なのか
・ダイアモンド原石を輝かしてきた意味から戒名「金剛院信定日寿居士」
4月29日、90歳で永眠された新間寿さんのお通夜が盛大に行われた。藤波辰爾、前田日明、新日本プロレスから菅林直樹会長、永田裕志以下、プロレス関係者や選手は無論のこと、各界からも大勢(発表によると380人)が集っていた。ストロングスタイルプロレスの社葬になるため、平井代表らの尽力にまず感謝したい。
新宿の感通寺にはNHK番組タイガーマスク誕生ブームの仕掛け人が
取材があるので早めに新宿の感通寺に入ると、まずは大きなテレビにNHKが放送した『タイガーマスク』アナザーストーリー番組回が流されていた。記者が撮ったのは冒頭の、ちょうど「誕生秘話・仕掛け人」の箇所である。
▼追悼〝過激な仕掛け人〟新間寿さん天国へ旅立ち
▼過激な仕掛け人vs.平成の仕掛け人! アントニオ猪木の正妻争い
父親が僧侶だった新間家の墓も感通寺にあった。お通夜が始まる前、マスコミ向けに奥方様の新間陽子さん、長女の野尻千種さんが取材に応じた。
「皆さんの喜んでる顔を見て、自分も喜ぶ」仕掛け人の素顔が語られた
3月25日、コロナに感染した際は年齢だけに医師から「五分五分と思って下さい」と告げられたという。ところが無事に退院。いったんは元気を取り戻したそうだ。
4月21日、朝の2時頃から5時まで長女の野尻千種さんと語りあった。写真にガッツポーズしている絵があるが、「パラオにもう一度行きたい!」と、ガッツポーズをしたんだそうだ。それから眠りについて昼頃に起きてきたという。しかし、夕方になって「お腹が痛い」と言い出し、さらに大きな腹痛が来たようで、母の手を取って「さすってくれ」となり、脈が止まるまでずっとさすっていたものの、18時47分に息を引き取った。
自宅で妻の陽子さん、長男の寿恒さん、千種さん、そして7人の孫が見守った大往生だった。
陽子さんは「仕事一筋の人だった」と。「やさしかったし、夫婦に喧嘩はなかった」と言う。最後も「ノロケじゃないけど、大好きだよ、愛している」と繰り返した。但し、「4月14日の結婚記念日は忘れていた」そうで、退院して自宅に戻っても体調は良くなかったようだ。
「話が上手だった」、「皆さんの喜んでる顔を見て、自分も喜ぶ」仕掛け人の素顔を話し出した陽子夫人によれば、「怒らせると元気になる」そうで、小学3年の孫の通信簿を見せて叱らせると元気になったとのこと。また、意外にもペットを可愛がったそうで、カルロスだのチャーリーだのの名前はそこかららしい。よってペットロスは強かったようだ。
アントニオ猪木については、以前から新間さんが話したように、「アントニオ猪木は大好きだが、猪木完至は嫌い。人に対する思いやりがなかった」となる。
本が好きだったので山本周五郎だの『三国志』など、重いのをベッドに持ってこさせたそうだが、それらは棺に入れられたそうだ。
MSGでのWWFジュニア戴冠以降、メキシコ読みカンピオンの藤波辰爾
記者にとって、新間さんにくっついてアチコチ回るようになっていた時期があり、親父のような存在でもあったが、その当時から藤波辰巳(現・辰爾)の呼び方はメキシコ読みの” カンピオン”だった。なにかにつけて、「カンピオン、なんかやれよ」だったのは記者も真横に居てずっと耳にこびりついているのだが、やはりこの場でも、「カンピオンがもう聞けない」と話していたのが印象的だった。
国民民主党の榛葉賀津也参議院議員は、名称がリアルジャパン・プロレスだった時代のコミショーナーでもある。最近は幹事長としてTVのニュースに出てくることも多い。今回はそっちのマスコミも取材に来ていて、囲み取材までやっていた。
もっともその内容は、「昭和のプロレスは良かったねぇ。今は皆が入場曲だけど、昔はジョージ高野でさえ・・・」とか、「グレート・アントニオ戦の時は・・・」と、記者的には「?」だったのだが、結構長い時間、プロレス話をやっていた。
本誌・格闘技I記者によると山田邦子も来ていたとか言われたんだが、あまりにも大勢だったので気がつかなかった。そのリアルジャパンを辞めてDDTに行った納谷幸男は来ていたが、中嶋勝彦の姿はなかったと思う。