本誌・ルーツ鐘中さんが突然に亡くなり。残された者は途方に暮れている。
自宅で亡くなっていることを発見したのは警察であり、兄弟に連絡が入ったのだが、そこからようやく我々に連絡が入り、呆然となった経緯である。なにしろ、連絡を受ける前日までスタッフ向けメールは入れており、返事がないままだったが、その週に原稿を予定してない場合、特に個別の反応がなくとも不自然ではなかったからだ。
2月2日、世の中は節分で恵方巻にかぶりつくとかやっていたのだが、この日は生きておればルーツ鐘中さんの59歳の誕生日である。すでに親族だけで葬式とかは終わっていたので、この日を忍ぶ会にしようとなって、ボク(タダシ☆タナカ)は東京から、さらに関西のみぶ真也、大島慶山が仏壇のある弟夫婦のアパートに集まった。
なお、写真は形見わけということだが、三島由紀夫のDVD、ヒクソン・グレイシーのCHOKEは、キム夫人の箇所でタナカが映っているため昔、進呈したタイトルだったから。さらに貴重なモンキーズの日本盤LDボックスセットは、大島慶山が持って帰ることになった。他にも映画タイトルの一部が形見として持ち帰ることになったが、述べるまでもなく我々のプロレス・格闘技を除く共通項は映画やロック音楽趣味なのだった。また、上記にある国際プロレスのパーカー、大映株式会社制作のトートバックも故人の遺品になる。
ルーツ鐘中さんのコンピューター頭脳
by みぶ真也
去年の十月から、ぼくは毎月一人芝居を上演しているのだが、毎回観に来てくれたライターのルーツ鐘中さん。
前回は映画とプロレスのDVD、そしてプロレスイベントのパンフを「みぶさんが好きだろうと思って……」と会場でプレゼントしてくれた。(もちろん大好きです)
新年一月の芝居の告知メールを送った直後、義妹さんから来たのはいきなりの訃報。
直後にヤマモさんからも連絡をいただき、九歳年下の彼の死に全く実感もわかないまま、ご家族との偲ぶ会にお邪魔した。
彼との付き合いは一年にもならないが、その濃密さは十年以上の知己に匹敵する。そもそもぼくが初対面と思った一年前の出会いの際にも、彼からは「二十年前のプロレス・イベントでお目にかかりましたね」とい言われて面食らったほど。
ルーツさんの優秀なコンピューター頭脳には、初めての出会いがインプットされていたのだ。
「ぼくはコレクターじゃありませんよ」
レアなDVDなどを持っていながら、興味のある知り合いには惜しげもなくプレゼントする彼の頭脳には、一度観た作品や試合は即座にダウンロードされているのだろうなと思った。
彼から贈られたパンフを開くと、バラバラと挟まれた写真が落ちてきた。
見ると、巌流島で行われた猪木・斎藤の観客不在デスマッチの生写真だ。
入手の経路も、ルーツさんが何の目的でぼくに渡すプレゼントに潜ませていたのかも判らない。
ただ、この“お互いの意地だけがルールの試合”、我々は写真と活字とダイジェスト動画を通してしか観ることの出来ない試合こそ、ルーツさんが愛した“自分の想像力だけが構成する試合”にふさわしかったのではないかと今になって理解出来る。
写真右:行きつけの酒場、後ろで両手を上げてる赤い服は空牙選手。マスクマンなのでご了承願い。
聞けば、熱烈なロック・ファンだった彼だが、ライブ会場には決して足を運ばなかったという。
その点でも、ルーツさんは自己の頭脳という天才コンピューターの内部で創造したもの以上のものを現実には見いだせなかったのかも知れない。
昨年十二月を待たずしてマイティ井上さんの訃報を知り、もう関係者の不幸は続かないで欲しいと思った矢先のルーツ鐘中さんの死。
「新参者ですが……」
控えめな彼が天国のプロレス界にそう言って足を踏み入れた際、
「俺も来て間がないけど、遠慮せずにおいでおいで!」
と井上さんが暖かく声をかけてくださってる姿が目に浮かぶ。
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