2006年夏サイト運営企画設立からの本誌・ルーツ鐘中さん訃報の報告

 本日、本誌のルーツ鐘中さんが亡くなったことを親族から知らされた。「去る1月14日に58歳にて永眠いたしました」とのこと。呆然として、なにもする気になれなかったが、なにか出すべしと促されたので報告させていただく。

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 筆者タダシ☆タナカとは、1979-1981年の同志社プロレス同盟(DWA)発行によるWRESTLING DIGEST誌の熱心な読者だったことから始まる。なにしろ、世界で初めてやる側・作る側のライターが活字にする評論媒体だったので、中身の衝撃は極めて大きく、未だ交流が続いている方が各界にいるのだから影響は計り知れない。

 2006年夏、夕刊タブロイド紙の週刊ファイトが無くなることを知り、真っ先にI編集長こと井上義啓先生宅に「後続媒体をやらせて欲しい」と一緒に伺ったのもルーツ鐘中だった。

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   写真: 喫茶店ranzan 桂川川岸 嵐山小説の舞台・小倉山
古都・嵐山~「活字プロレス」魂の聖地来訪記

 以降、サイトは同年12月1日にオープン。特に初期はレトロ狂時代、ルーツ鐘中、さらには無記名の記事も多いため、一般の読者には知られてないかもだが、現在の”週刊ファイト!ミルホンネット”は彼抜きには存在してないし、継続もしていないことは間違いない。

第2回大阪ヤマモ会!矢継早やにでるプロレスマニア話の宴に心は酔いしれて

 ”シュート活字委員会”名義による「今週の肝」とか「今週の要」の対談記事は、タナカが一人で自作自演しているわけではない。ただ、実際に喫茶店で収録した回もあるが、大半はその週に読者からの質問を含む内部者とのeメールやりとりを、そのままコピペして構成している。ルーツ鐘中さんが聞き手・相手役の最多登場者なのだった。また、現ライターの西尾智幸、藤井敏之ら大勢の人材をリクルートしたのも彼なのである。このように、近年は黒子役に回ることが多かったが、間違いなく、現体制の週刊ファイト・屋台骨を支えてくれた同志であった。
 謹んでご冥福をお祈り申し上げます。


 必殺技?アイアン・メイデン文責:タダシ☆タナカ、みぶ真也、大島慶山