[週刊ファイト10月10日]期間 [ファイトクラブ]公開中
[Fightドキュメンタリー劇場60] I編集長の喫茶店トーク
▼1980年ブローディ新日マット急襲か!ハンセンとMSGタッグ出場?
by Favorite Cafe 管理人
・「編集長、凄いヤツがいます」海外特派員フランク井上記者スクープ
・言うちゃ悪いけど、週刊ファイトは2年も前から「ブローディ」
・今に続く元祖カタカナ表記死守 「記者はそれぐらいへそ曲がりで良い」
・1980年ブローディ、新日マット登場か?MSGタッグで台風コンビ
・ミスターポーゴ著『評伝ブルーザー・ブロディ 超獣の真実~暁に蘇れ』
・馬場「してやったりと、ニヤリ」ハンセン・ブローディ組、全日マット
・新日からの働きかけがあったのか?火の無いところに煙は立たず
・ブローディ、遂に新日マット登場、スッパ抜いたのは「週刊ファイト」
・比較検証、「週刊ゴング」「週刊プロレス」はどう伝えていたか
・独占スクープ圧勝!海外特派員派遣・元祖週刊ファイトI編集長の功績
■ 闘いのワンダーランド #078(1997.3.24放送)「I編集長の喫茶店トーク」より
I編集長・井上義啓)1979年(昭和54年)に、なんとハンセンとブローディとが揃って新日本プロレスのマットを急襲する。こういう話が、ニューヨークの特派員から入ってきたんです。「エーッ?」ということになりますよね。ブローディというのはみなさんもご存知のように、初来日の時からビッグスターでした。この年、昭和54年1月の全日プロ「新春ジャイアントシリーズ」で初めて日本のファンの前に姿を現しましたね。
I編集長)初来日ですから普通は「バーッ」と人気が沸騰すること自体、おかしいんですよね。もちろんブローディが、バーン・ガニアを破ったAWA王者とか、ハーリー・レイスからNWAを奪った男とかなら別ですよ。しかしブローディはハッキリ言えば、まだまだ駆け出しの「ペーペー」のレスラーだったんですね。それが日本に来て爆発的な人気を博したんです、コレ。これにはブローディ自身も驚いていましたね。「オレには初めての日本だし、ビッグタイトルも取ってはいない。それなのに、これだけの人気、ファンの注目度、なんでファンが色紙を持って、こんなオレのところにサインをねだりに来るのか、不思議だ」と言っていました。
「編集長、凄いヤツがいますよ」 海外特派員F井上記者スクープ
I編集長)当時の全日プロのトップレスラーには、ファンクスとかアブドーラ・ザ・ブッチャーなどが名を連ねていましたが、ブローディは彼らに引けをとらない人気ぶりだったんです。このブローディ人気を巻き起こした理由のひとつが何かと言いますと「週刊ファイト」の記事なんです。来日する1年以上前から、アメリカにブローディという凄い男がおると何度も書き立てていたんです。
I編集長)週刊ファイトで私が編集長を務めておった当時、アメリカには海外特派員を出しておりました。現在(1997年)、週刊ファイトの編集長をしています「F・井上記者」ですけどね。このF記者が「編集長、凄い奴がおりますよ」と電話をかけてきたんです。「キングコング・フランク・ブローディです」って言うんですよね。たしか当時はそんなリングネームだったと記憶しています。「迫力もパワーも素晴らしい。風貌も凄いし、レスリングセンスもある。無名だが必ずビッグネームになるレスラーです」と、大変な入れ込みようだったんです。だから「今のうちから週刊ファイトで推すべきですよ」と言うんです。
I編集長)このF記者はレスラーのことをあんまり褒めることはしない男だったんですよ。良い試合でも、ベタ褒めすることはまず無いしね。だからこのF記者の話を聞いておると、どのレスラーもいまいち、どの試合もあまり良くなかったというような風に受け止めてしまうぐらいですよ。あとでその試合のビデオを見たりすると、凄い試合だったりするんですね。
それは記者席から見ているのと、テレビの映像から伝わる試合のイメージとの違いはありますよ。記者席からジッとみておれば、あらが見えてくる場合でも、テレビはグワーッとズームアップして迫力のある撮り方をしますからね。アナウンス、解説も付きますしね。だからどうしてもテレビ中継の方が、迫力があるのは確かなんですよ。そういうことを割り引いてみても、F記者だけは辛口なんです。あそこがダメだった、あの動きが良くないとボロクソに言うんです。非常に厳しい目でプロレスを見るF記者がですね、「凄いレスラーがいる」と言ってきた以上は間違いないと思いましたね。
▼“読み手研鑽”『評伝ブルーザー・ブロディ 超獣の真実~暁に蘇れ』
史実では読み取れない“真実”の叫び!
I編集長)だからすぐに写真とかインタビューを送ってもらって、週刊ファイトにジャンジャン書いたわけですよ。余談ですけども、私はいつまでも「ブローディ」と書いたんですよ。週刊ファイトの読者の皆さんは気づいておられると思います。しかし全日本プロレスの表記は「ブロディ」なんですよね。まあ、それが正式な表記なんでしょうけど、週刊ファイトではブローディが来日する1年も2年も前から彼を取り上げていたんですよ。
私は最初からずーっと「ブローディ」と書いておった訳ですよ。だから初来日で全日本プロレスが「ブロディ来日と発表したから、ファイトさんも『ブロディ』と書いて下さい」と言われたんですけども、こちらは「カチーン」ときますわね。ウチが「ブローディ」と書いて最初に注目したんだから、他の雑誌がブロディと書いても、週刊ファイトは「ブローディ」と書くんだと言ったんです。だからいつまで経ってもファイトは「ブローディ」なんですよね。
I編集長)これは「ホーガン・ハンマー」でも同じようなことがありましてね。ハッキリ言いますとね、新間さんと私が話をしてね、ホーガンに新しい必殺技を身につけさせようということになったんです。それが「ホーガン・ハンマー」と名付けた技だったんですよ。だからホーガン・ハンマーとして活字にもしたし、テレビ中継でも何度か言っていた筈なんです。この技がだんだんファンの間に知られるようになってきたときに、ワールドプロレスリングの放送とかで、「ホーガン・ハンマー」と言わなくなってしまったんですね。アックス・ボンバーとか斧爆弾とか言うようになったんです。でも私はね、最初に新間さんと話して決めた名前だから、いつまで経っても「ホーガン・ハンマー」と書き続けたんですよ。
今に続く元祖カタカナ表記死守 「記者はそれぐらいへそ曲がりで良い」
I編集長)そしたらファンからも新日本プロレスの広報の方からも、「他のマスコミがみんなアックス・ボンバーと言っているんだから、週刊ファイトさんもそう書いて下さい」と言われるようになったんですね。ウチの記者からもですよ。「そう書いた方が良いですよ」と。でも私は頑固に「ウチが最初にホーガン・ハンマーと言ったんだから、いまさら誰が付けたか分からない技の名前で書けるか!(怒)」と言ったんです。へそ曲がりの編集長ですからね。それでもウチの記者が何度も「ホーガン・ハンマーというのはやめましょうよ」と言ってくるんですよ。それで仕方なくアックス・ボンバーでOKを出したんです。
I編集長)私は今でも「ブローディ」ですよ。ブロディとは絶対に書かない。新聞記者はそれぐらいへそ曲がりでも良いと思いますよ。団体がどう言おうが、解説者がどう言おうが、俺は俺なんだというね、そういうところがあっても良いんですよ。私には私のプロレスがある。A記者にはA記者のプロレスがあるべきなんですよ。そういう所は猪木にもありましたね。だから猪木はこれほど確立したステータスを身につけることが出来たんですよ。
▼5・25〜6・2「超獣コンビ結成50周年記念展」開催!