藤井敏之、ビリー・ライレー・ジム松並修代表
[週刊ファイト5月30-6月6日号]収録 [ファイトクラブ]公開中
▼新日本プロレス黎明期の救世主「タイガー・ジェット・シンの真実」講演録
編集部編
“タイガー・ジエット・シンの真実”90分3本勝負
1本目 インドの狂虎との恐怖体験
2本目 シン来日前~アントニオ猪木との点と線
3本目 3度の訪問記/シンの慈善活動
さる5月18日(土)、京都はホホホ座・浄土寺店にて開催中のタイガー・ジェット・シン展において週刊ファイト藤井敏之によるトーク・イベントが開催された。遠くは東京、名古屋から来たという昭和プロレス好きのファンで満員であった。今年は開催前にタイガー・ジェット・シンが日本国より旭日双光章という素晴らしい賞を受賞されたニュースを聞きつけ、より多くの人が関心を寄せてイベントは盛り上がりを見せた。
一部では藤井記者の、これまでシンとの遭遇で起こった恐怖体験が語られた。昭和49年6月26日の大阪府立体育会館、いつもと違う異常に殺伐とした雰囲気、その中でアントニオ猪木がタイガー・ジェット・シンの右腕を脱臼させる究極のエンデイング。
当時、1973年後半の世界最強タッグ決定戦(アントニオ猪木&坂口征二vs. ルー・テーズ&カール・ゴッチ)から徐々に新日本プロレス人気が上昇。しかしながら東京のカードに比べ大阪のカードが弱い時代、ストレスが爆発しそうなタイミングで、6月20日の蔵前国技館でのNWF世界戦と大阪での2連戦は久々のベストカードゆえ、この試合はより盛り上がった。
▼伝説の腕折り事件!凄まじき猪木に“クレイジー”シンも震え上がった
▼新日本プロレス★旗揚げから発展期への東京と大阪のカード格差考察
そう、一気にこの試合を見て浪速のファンはストレスを吹き飛ばしたのだ。それほどキラー猪木が全面にでた、そして「燃える闘魂」というキャッチフレーズがまさに確定したような試合だった。
その他、個人的な恐怖体験が次々と述べられ、当時のシンの恐ろしさを痛感した。
1976年8月5日のポスター ファイト誌、伝説のシン特集(表記は1980年正月号)