日本プロレス界の空洞化は、もはや避けられないのか!?

 2月24日、オカダ・カズチカが新日本プロレスでの最後の試合を終えた。しかし、これは日本プロレス界の終わりを意味するのか? 否! 始まりなのだ!
 と、言いたいところだが、本当にそうなのだろうか。ちなみに、これは『機動戦士ガンダム』に登場するジオン公国のギレン・ザビ総帥による演説のパクリである。
 ついでにもう一言、他人の言葉を借りれば、明るい未来が見えません!

 オカダのアメリカ進出は決定的だが、この原稿を書いている時点ではまだ移籍先は決まっていない。
 残念なのは、現在の日本プロレス界では最高レベルのスーパースターの去就が、一般的にはほとんど話題になっていないことだ。比較対象が相応しくないのかも知れないが、大谷翔平や山本由伸の移籍報道とは大違いである。

 今や日本のスポーツ界は、世界に目を向けなければ生き残れない時代。その意味で、オカダがアメリカへ活躍の場を求めるのは喜ばしいことだが、たとえばWWEの中邑真輔は一般的に知られていないのが現状だ。対照的にバスケットボールでは、八村塁がNBAで活躍することで日本でもバスケ人気が上がり、日本のバスケットもレベルアップして自力での五輪出場を決めた。
 日本のスーパースターが海外の団体に引き抜かれ、その活躍がプロレス・ファン以外に認知されないのであれば、日本のプロレス界は空洞化するばかりである。

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プロ野球の選手寿命が延びている理由

 大谷翔平や山本由伸の名前が出たが、最近のプロ野球は選手寿命が長くなっている。以前のプロ野球選手といえば、スターでも35歳前後で引退するケースが多かったが、現在では40歳過ぎでも活躍する選手が少なくない。なぜだか判るだろうか。
 それは、今の選手は練習熱心だからである。なあんだ、と思うかも知れないが、これは非常に重要なことなのだ。

 2月といえばキャンプの季節だが、2月1日のキャンプ・インの時には、1月中の自主トレによりほとんどの選手は体が出来上がっている。昔はキャンプ前の1月に『合同自主トレ』という奇妙な名の事実上のキャンプが行われていたが(キャンプとの違いは、合同自主トレではユニフォームを着ていないこと。ユニフォームを着ると協約違反になる)、それでも2月のキャンプ・イン時点では動ける体になっていない選手が多かったのだ。

 1988年から、12月と1月は新人選手を除いて指導者付きの練習が禁じられた。理由は、球団と選手の契約期間は2月から11月までの10ヵ月間で、契約期間に含まれない12月と1月に球団から練習を強制されるのはおかしい、と発足したばかりの労働組合選手会が主張したからだ。
 球団による合同自主トレが禁止された当初は、キャンプで故障する選手が続出するのではないかと懸念されたが、強制されない練習が却って選手たちの自覚を促し、今や完全に定着した。

 練習熱心なのは自主トレやキャンプ中だけではない。シーズン中でも、昔の選手は試合が終わると酒を呑みに行くか麻雀するかだったが、現在の選手は翌日に備えて居残り練習をする。
 プロ野球出身のジャイアント馬場は「野球ではヘトヘトになるまでやるのが猛練習だったが、プロレスの練習はヘトヘトになってから始まる」と語っていたが、今ではプロレスラーがプロ野球選手のハードなトレーニングを見てビックリする時代である。もっとも、馬場の頃のプロレス練習は、合理的とは言えなかったが。

 ではなぜ、今のプロ野球選手は練習熱心なのか? 答えは簡単で、年俸が高いからである。いくらメジャー・リーグとの年俸格差があるとは言っても、他の日本のプロ・スポーツと比べると、プロ野球選手の年俸は圧倒的に高い。
 レギュラーになれば年俸が数千万円にはすぐ手が届くし、レギュラーに定着して何年かすれば年俸1億円にもなる。チームの中心選手になったり、タイトルを獲ったりすれば数億円だ。しかも、日本で活躍すればメジャーから声が掛かり、破格のドルを手にすることもできる。

 その代わり、昔に比べて競争が激しいので、結果を残せなければすぐに二軍へ落とされ、場合によっては戦力外になって引退せざるを得ない。そうならないためにも、怪我しないようにコンディションを整え、常に体調を万全にしておく必要がある。
 また、引退すると待っているのは不況が長引く日本社会だ。選手時代の高年俸など望めるわけもないので、1日でも長く現役を続けたいのが人情だろう。練習熱心になるのは当然なのだ。

▼読売ジャイアンツの宮崎キャンプ。練習前の風景

プロレスラーの収入はなぜ低くなったのか

 プロ野球選手は推定年俸が公表されるが、プロレスラーのそれは非公表である。したがって、オカダ・カズチカの年収は知る由もない。
 しかし、現在36歳で何度もチャンピオンになったことがあるオカダの年収は、弱冠24歳の東京ヤクルト スワローズの村上宗隆(推定年俸6億円)とは比べ物にならないほど低いだろう。おそらくオカダの年収は、プロ野球で言えばようやくレギュラーとなった選手程度ではないか。

 それでも、日本でオカダほどの年収を貰えるプロレスラーはほんの一握り。多くのプロレスラーは、メインに度々登場する選手であってもプロ野球選手の一軍半程度だろう。それ以下のレスラーとなると推して知るべしだ。
 ブシロードという企業が親会社になっている業界最大手の新日本プロレスですらそうなのだから、他団体のレスラーの年収はもっと低いと思われる。

 かつては長者番付というものがあって、年収が多い人物の納税額が新聞紙上で発表されていた。プロレス黄金時代と言われた1980年前後、アントニオ猪木は長者番付の常連で、スポーツ部門では常にトップテン入りしていたのだ。1983年には、スポーツ部門で堂々の1位に輝いている。
 もっとも、これにはカラクリがあって、本誌ライターである井上譲二氏の著書『「つくりごと」の世界に生きて』(宝島社)には、新日本プロレスの営業本部長だった新間寿氏が会社のカネを猪木に付ける形で年収を水増ししていた、と明かされていた。つまり、プロレスラーの年収はプロ野球など他のプロ・スポーツに比べて遜色ない、とアピールする狙いがあったのだ。

 とはいえ、猪木やジャイアント馬場の年収が他のスポーツ選手に引けを取らなかったのは事実だろう。2人ともプロレス団体のオーナーだったという点に加えて、バックにテレビ局が付いていたことが大きい。
 当時はゴールデン・タイムでプロレスを定期放送していたので、莫大な放映権料がプロレス団体に入っていたのだ。そのおかげで、プロレス団体が猪木や馬場の『個人商店』だった時代でも、トップ・レスラーには高額のギャラを支払えたのである。

 ところが、現在の大手プロレス団体では『個人商店』形態が消え、他企業の支援を受ける形になっても、プロレスラーの年収は他のプロ・スポーツに比べて大きく水を開けられるようになってしまった。年間約100試合も行い、危険度も考慮すれば割に合わない商売と言える。
 いくら2010年代の新日本プロレスがV字回復し、売り上げが過去最高になったと言っても、プロレスラーの年収は頭打ち。『プロレス・ブーム再来!』といくら叫んでも、一般社会では注目されていないのが実情だ。

 その原因の一つに、日本ではプロレス団体があまりにも多くなり過ぎたこともあるだろう。各団体がバラバラで、1つの力になれていない。
 猪木が長者番付スポーツ部門1位になった頃は、男子プロレスは2団体しかなく競争の原理が働いていたが、これだけ団体数が多いと競争と言ってもコップの中の嵐である。

無秩序状態に陥り、ヒエラルキーが構築されなくなったプロレス界

 ところで、日本野球の最高峰組織は何かご存知だろうか。「そんなん、プロ野球(NPB)に決まってるやん」と多くの人は答えるだろうが、そうではないのだ。
 NPBが日本野球の最高峰である、なんてことはどこにも書かれていない。NPBに加盟しているのは僅か12球団で(今年から他に2球団が二軍戦に参加)、そんな少ないチームの中で争われる日本シリーズ覇者を、日本一強い野球チームでございとNPBが勝手に決めているだけだ。

 日本の野球にはNPBの他に社会人野球や学生野球(大学野球と高校野球)、2000年代に登場した各地域の独立リーグがあるが、これらのチームはNPBの球団と公式戦で戦うことはない。サッカーの天皇杯のような、同じ土俵で試合をする大会がないのだ。

 NPB(日本野球機構)が発足したのは戦前の1936年で、当時は日本職業野球連盟という名称だった。だが、その頃からあった社会人野球にとっては、プロ野球など商売敵でしかない。カネで選手を引き抜かれ、また興行面でも都市対抗の客がプロ野球に奪われるのは死活問題だったのだ。
 当時、最も人気があった野球は東京六大学で、学生野球の重鎮は「球遊びで金儲けする旅芸人」とプロ野球を見下していた。しかも、東京六大学のレベルはプロ野球と遜色なかったのである。

 戦後になり、1947年には第二のプロ野球リーグとして国民野球連盟(国民リーグ)が発足。だが、NPBとの差は如何ともし難く、またNPBの妨害工作もあって国民リーグは僅か1年で解散した。
 NPB球団による社会人野球選手の強引な引き抜きも問題化し、プロとアマは断絶状態に陥る。元プロ野球選手の受け入れを、アマチュア側は拒否するようになった。

 そんな中でも、NPBが発展するにつれ徐々にルールが整えられる。高卒で3年間、大卒で2年間は社会人野球選手をプロ球団に入団させることはできなくなった。そして、アマチュア側もNPBのレベルの高さを認めざるを得なくなり、プロへ選手を輩出することがステータスとなったのだ。
 現在ではプロとアマが歩み寄るようになり、また独立リーグという名のプロ野球が各地に設立される。独立リーグはかつての国民リーグと違い、NPBに対抗するのではなくNPBへ選手を供給する、あるいは選手にとって野球を続ける受け皿になることが目的だ。

 こうして、日本野球はNPBを頂点とするヒエラルキーが自然に出来上がった。NPBが日本野球の最高峰と規則で決められなくても、誰もがそう認めるようになったのだ。

 一方、1980年代以前の日本プロレス界は野球界と同じく特に決まりがなくても、秩序は守られていた。一時的に4,5団体ぐらいに増えても、自然淘汰の原理が働いて男子プロレスの場合は多くても3団体ぐらいに絞られるようになっていたのだ。日本のプロレスが最も栄えていた1980年代前半は国際プロレスや第一次UWF、ジャパン・プロレスがあったとはいえ、事実上では新日本プロレスと全日本プロレスの2団体のみが本格的に活動していたのである。
 だが、プロレスの定期放送がゴールデン・タイムから撤退した1990年代、この秩序は崩壊した。多団体時代を迎え、プロレス団体は離合集散を繰り返し、あるいはレスラーは自分の主張が通らないと安易に独立するようになったのである。

 それと同時に、プロレスラーの収入は他のプロ・スポーツよりも格安になってしまったのだ。メガネスーパーが親会社となったSWSが発足した時には、プロレスラーの待遇も向上するかと思われたが、マスコミを含むプロレス界はよってたかってSWSを潰しにかかったのである。
 そして、それは日米格差にも繋がった。本誌が何度も指摘しているように、21世紀以降の日本プロレス界はアメリカに千倍もの差を付けられたのだ。

 日本プロレス界にカネの雨を降らせるはずだったオカダ・カズチカは、日本を離れることが決定的になった。昨年の暮れに発足した日本プロレスリング連盟も、今のところは何の動きも見えてこない。
 日本のプロレスは、本当にこのまま空洞化してしまうのだろうか?


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’24年03月07日号 RIZIN今成正和 EliminationChamber 国内空洞化 オレイ・アンダーソン追悼