[Fightドキュメンタリー劇場 44]新日ブルーノ・サンマルチノ戦実現なのか? 1978年のアントニオ猪木

ブルーノ・サンマルチノとWWWFヘビー級ベルト
[週刊ファイト10月27日号]収録 [ファイトクラブ]公開中

▼[Fightドキュメンタリー劇場 44] 井上義啓の喫茶店トーク
 新日ブルーノ・サンマルチノ戦実現なのか? 1978年のアントニオ猪木
 by Favorite Cafe 管理人

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 1978年当時、WWWFが提携していた日本の団体はアントニオ猪木率いる新日本プロレス。この頃からWWWFの強豪が続々と新日プロに来日している。ついにブルーノ・サンマルチノが、猪木と闘うことになるのか。サンマルチノ答えは・・・。

■ 闘いのワンダーランド #057(1997.02.21放送)「I編集長の喫茶店トーク」
 1978.12.14 大阪府立体育会館
  国際プロレス吉原社長あいさつ、日本選手権参戦表明
  WWWF認定ヘビー級選手権試合
  アントニオ猪木 vs. ボブ・バックランド

(I編集長) 今日の放送は猪木vs.ボブ・バックランドの名勝負の一つですね。昭和53年当時、新日本プロレスが提携していたのがWWWFです。今日はWWWFの強豪ブルーノ・サンマルチノと王者ボブ・バックランドにまつわる話題です。当時は、ボブ・バックランドがWWWFヘビー級チャンピオン、藤波がWWWFのジュニアヘビー級チャンピオンでした。実はこの二人を闘わせようと言う案が、マクマホン側にありました。そして新日プロ・猪木の側にもあったんですね。ヘビー級の王者とジュニアヘビー級の王者を闘わせる企画は、注目も集まるので、新間さんとか猪木あたりも非常に力を入れて考えていたんです。しかし結局バックランドと藤波がチャンピオンの時には、残念ながら実現しませんでしたけども、のちには新日プロのリングで藤波とバックランドは闘いましたね。

階級を超えた王者同士の闘いが期待されたが・・・

(I編集長) この他にバックランドがらみでは、ピーター・メイビアと組ませてWWWFのタッグ王座を獲らせようという話が海の向こうから伝わってきたことがありました。これは実はとんでもない話なんですよ。というのは、向こうでは日本と違いまして、もうほとんど毎日がタイトルマッチなんですね。NWA世界ヘビー級チャンピオンなんていうのはもう、ハッキリ言って毎日タイトルマッチをやっているんです。WWWFのヘビー級チャンピオンだって、3日にいっぺんはタイトルマッチですよ。そうなってきますとですね、よしんば、ボブ・バックランドがタッグ王者になったとしても、シングルとタッグのタイトルマッチの両方をやるヒマなんて無いんですよ、これ。そんな無茶なことをキッチリ詰まっているスケジュールの中に、どうやって織り込んでいくんだ?となりますよ。

WWF王者とNWA王者の対戦も実現している

(I編集長) だからアメリカではシングルチャンピオンが、タッグも含めて二冠王というのはスケジュール的に無理なんですね。無理だと言うことを別にしても、今度はなぜ、メイビアに白羽の矢が当たったかということが全くもって不思議なんです。ビンス・マクマホンとしては、ダスティ・ローデスとか、グラハムとか、そういった連中にタッグパートナーとしての当たりをつけていたんですね。しかし、みんなに「ノー」と断られたんです、これ。彼らはMSGで闘ってはいましたけど、常連じゃ無かったんです。彼らはNWAやAWAのそうそうたるメンバーですからね。それが助っ人的にニューヨークのリングでも闘っていたんです。だからこれも無理な話ですけども、彼らをバックランドと組ませてタッグチャンピオンにするのなら、まだわかるんです。

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ダスティ・ローデスといえば壮絶な流血戦も記憶に残る

(I編集長) ところがパートナー候補がピーター・メイビアということでしょ。まあ、メイビアという選手をご存じない方もいらっしゃるかも知れませんけどね。そんなにはトップレスラーとは言えないレスラーですよ。当時この話が聞こえてきたときに相棒候補がピーター・メイビアだったので「これは何だよ」という事になりましたよ。私もそう思ったし、猪木も新間さんあたりも「ボブとメイビアと組ませてもしょうもないタッグチームだよ」と言っていましたね。

ピーター・メイビアvs.ビリー・グラハム

(I編集長) 当時はベビーフェイスとヒールとをタッグを組ませる訳にはイカン時代ですからね、ベビーフェイスはベビーフェイス同士で組まないといけない。当時はサンマルチノにしても、ボブ・バックランドにしても、ベビーフェイスの看板レスラーだから、ヒールのチャレンジャーは沢山おりました。逆にベビーフェイスのレスラーが少なかったんですね。ベビーフェイスを探してみると、先ほど言った助っ人的なローデスとか、そうじゃなければアンドレとかになってしまう。アンドレはタッグチャンピオンなんかになるレスラーではないですからね、だからタッグを組ませようがなかったんですよね。そういったことで人選に四苦八苦して、しょうが無いから、メイビアと組ませようかと言うことになったんでしょう。それが日本に伝わってきて、「何だよ、コレ」となったんです。結局この案も実現していませんけどね。

▼[Fightドキュメンタリー劇場 37]井上義啓の喫茶店トーク
 謎の“マクマホン指令”WWWFヘビー級戦 猪木vs.バックランド1978年

[Fightドキュメンタリー劇場 37] 謎の“マクマホン指令”WWWFヘビー級戦 猪木vs.バックランド1978

(I編集長) この頃、セミリタイア状態だったサンマルチノが本格カムバックしてるんですよ。ただ、ビンス・マクマホンは「サンマルチノはもう、シングル王座につくことはない」と断言していたんです。サンマルチノはピッツバーグとかそういう地域のプロモーターとして忙しかったですから。ウチの特派員がマクマホンに「サンマルチノはWWWFヘビー級王座にカムバックするのか?」と聞いたら、「いや、それは絶対ない。確かにボブは地味だし人気が無い。強いんだけども観客動員力を持たない。ズバリ言うと本当はグラハムとかローデスとか、そういった連中をチャンピオンにしたい。しかし、そうもいかないんだ」と言ったんですね。

1978年に本格的にカムバック(週刊ファイト1978年11月21日号より)

(I編集長) 実際、サンマルチノがWWWF王座に復帰することを望むファンの声は多かったんです。しかしいろんな事情で王座にカムバックさせることが出来なかったんですね。だったらサンマルチノをタッグの方の王者にしたら良いじゃないかと、誰だってそう思う、みなさんだってそう思うでしょう。だから私はウチの特派員に「サンマルチノをタッグ王者にする案はあるのか?」と尋ねてみると、これも何か知らんけど特派員の歯切れが悪い。どういうことなんだと理由を聞いてみると「サンマルチノがシングルなり、タッグのチャンピオンになってしまうと、彼の発言力が増してしまう」と言うんですね。ビンス・マクマホンはサンマルチノがチャンピオンの時代にはサンマルチノの言いなりで、その状況に辟易していたんです。サンマルチノの言いたい放題にさせるしか無かったんですね。だからピッツバーグあたりのプロモート権を任せるようになったのもそれなんです。
 ホントはそういうことをさせたくはなかったんだけども、サンマルチノに「この興行は俺がやる」と言われたら、マクマホンは「イエス」と言わざるを得なかったんですね。WWWFとしてはサンマルチノにいなくなられたら困りますからね。だから今度サンマルチノをタッグチャンピオンにしたら、また発言権が増大する。そうなるとマクマホンとしては非常にやりにくいと、そういうことがあったんじゃないかと、私はそう見てるんです。これは私の推測ですけどね。

▼ブルーノ・サンマルチノ 格下の対戦相手に「ありがとう」と言える人格者だった
 

[ファイトクラブ]ブルーノ・サンマルチノ 格下の対戦相手に「ありがとう」と言える人格者だった


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