[ファイトクラブ]新日本プロレスの夜明けから50周年~記念企画展訪問記・大阪

[週刊ファイト7月21日号]収録 [ファイトクラブ]公開中

▼新日本プロレスの夜明けから50周年~記念企画展訪問記・大阪
 photo & text by 藤井敏之
・1972年のアントニオ猪木『オープニング第2弾シリーズ』大阪
・新日本プロレス50年★歴史の至宝が大阪難波に集結


 新日本プロレス50周年記念エキシビション“シンニチイズム~NJPW izm~”が2022年7月2日から17日まで、なんばスカイオで開催されると聞き訪問した。
 振り返れば昭和46年12月9日、日本プロレスワールドチャンピオンシリーズ開催中の大阪府立体育会館前に「おわび」の張り紙を見た瞬間、夢のドリー・ファンク・ジュニアとアントニオ猪木のダブル(NWA&UN)世界戦が夢のもくずと消え去ったショックと12月13日、日本プロレス芳の里代表より会社乗っ取りの主犯者としてアントニオ猪木の除名、追放なる記事を読んだ時の不安と絶望の記憶は今でも忘れない。
 アントニオ猪木のファイトが見らないならプロレスを見る気力も魅力も失せかけていた。だが、年が明け猪木は日本プロレスに対して反撃を開始、第三勢力の旗揚げの記事を見て少し光明が見えた。しかし外国人の弱体化した旗揚げシリーズを雑誌で見て、これまでNWAの強豪外人を相手に戦う猪木を見て来たので落胆のショックの方が大きいのは確かである。

 プロレスを卒業するかどうか決める為、最後の判断材料として日本プロレスが誇る『第8回ゴールデンシリーズ』の大阪大会(6月1日開催)と、待望の新日本プロレス大阪旗揚げ『オープニング第2弾シリーズ』(5月11日)を見て自分なりに決断しようとした。
 参加する外人選手の発表を楽しみにするが、新日本プロレスにおいては第1弾シリーズに参加したカール・ゴッチの参加もなく、ザ・ラキッド・ラシアンズA&Bを筆頭にジョン・ハイドマン、ジョージ・グラント、ティンカー・トッド、ボブ・ボイヤーというネームバリューのない選手ばかりであった。老舗の日本プロレスは猪木の縁から新日本プロレスのリングに上がることを懸念して、猪木の最大のライバルであるジョニー・バレンタインを筆頭に人気者のミル・マスカラス、ミスター・レスリング、アール・メイナード、ボビー・ダンカン、バック・ロブレイ、前UN王者のキング・クロー、さらには後半戦にはボボ・ブラジルの参加と、豪華絢爛さで新日本プロレスを圧倒した。

 本来なら、日本プロレスのリング上でジャイアント馬場とボボ・ブラジルのインター・ナショナル選手権試合やアントニオ猪木対ジョニー・バレンタインのユナイテッドナショナル選手権試合、さらにはBI砲のインターナショナル・タッグ選手権試合が1枚のチケットでもって各土地の満員の大会場で見れたのであるが、馬場と猪木の試合を見るには2枚のチケットが必要になるという最悪の状況になる。中学生にとっては厳しい現実であり、今後は選択しなければならないのである。

 5月11日、新日本プロレス大阪大会に久々トキメキながら会場に行く。最初に感じたのはリング上の暗さである、そうテレビ放送が無いので以前のような輝きがないのである。試合数もバトルロイヤル含め6試合である。そんな状況においても暗い館内でマイクを取って挨拶する猪木、猪木の援軍として参加した豊登の往年の怪力ファイト、ハツラツとした藤波や浜田のファイト、試合を締める山本小鉄のラッシング・ファイトなど日本陣営も手薄だ。外人も名もなき選手たちの参加の中、みんなが力を合わせて必死なファイトぶり。そして年末からストレスもあったろうが仕上げて来た各選手達の肉体、そして未来を見つめたアントニオ猪木のファイトを見て久々トキメキ、まだまだ山あり谷ありではあるが新日本プロレスの将来に期待感を持てた大会であった。

   リング上での挨拶      控室でサインサービス    縄跳びでのトレーニング

山本小鉄の試合前トレ    
豊登がラシアンBを背骨折り  

猪木&柴田のコンビ 対ジョージ・ハイドマン&ボブ・ボイヤー組

久々のアントニオ猪木のファイトに浪速のファンは興奮した

▼新日本プロレス夜明け前~初の大阪大会を振り返って1972

[ファイトクラブ]新日本プロレス夜明け前~初の大阪大会を振り返って1972

関西旗揚げでますますの人気の新日本プロレス 

旗揚げのポスター、パンフ、チケット

 それを証明知るかの如く、招待客も多数いたのだが主催者発表で5200人の観衆で館内は埋まっていたのである。日本プロレスの全盛期と比較すれば約半分の入りであるが、みんな猪木と新日本プロレスを応援する温かい空気に包まれていた。一方、老舗の日本プロレスにおいては猪木が居なくなった大きなハンデイを背負い、これだけの外人を投入してメインの馬場とジョニー・バレンタインのインター・ナショナル選手権試合をもってしても観客は6000人と、全盛期に比べ大きく減少。メインでは馬場が猪木の最大のライバルから快勝するという皮肉たっぷりの大会となる。やはり外人を揃えても、日本側に魅力ある選手がいなければ興奮も感動も薄れるという結論に達したのは筆者だけではあるまい。しばらくは会場に行かないで受験に専念、影からアントニオ率いる新日本プロレスを応援しようと心決めたものである。

 あれから50年、今回この企画展において、新日本プロレスの山あり谷ありの50年という歴史を振り返りながらも、自らのヒストリーにつなぎ合わせて懐かしい気持ちが蘇ってきた。アントニオ猪木全盛期から闘魂三銃士~暗黒の時代~レインメーカーショック・新時代へと長年続いていたその歴史は、サプライズの連続であった。その歴史を語る貴重品の数々を見てゆこう。

新日本プロレス50年★歴史の至宝が大阪難波に集結

 入場ゲートからすぐの道場コーナーでは猪木対アリ戦で有名になったコシティやプッシュアッパー、写真でよく見た道場訓が目を引く。どうしても昭和コーナーで時間を費やしてしまう。IWGP設立の為封印されたNWF北米ヘビー級,NWA北米タッグ、新日本バージョンのアジア・シングル&タッグのベルト。これらを掛けた試合に熱狂していたファンにとっては血と汗にまみれて来たそのベルトの歴史に感動すら覚える。ジャイアント馬場が率いる全日本プロレスに対抗する為に新日本は主たるNWAの後ろ盾も無いのに、各タイトルを日・米で奪還したりまた新設したりした、まさに全日本・新日本が対抗していた時代の貴重な証拠品である。

★道場にあった貴重なトレーニング用具     ★北米ヘビー級チャンピオンベルト他

★新日本プロレス旗揚げの猪木対カール・ゴッチ戦   ★北米タッグ王者(坂口&小林)

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