[ファイトクラブ]新日本プロレス夜明け前~初の大阪大会を振り返って1972

[週刊ファイト6月25日号]収録 [ファイトクラブ]公開中

▼新日本プロレス夜明け前~初の大阪大会を振り返って1972
 by 藤井敏之
・アントニオ猪木、日プロ除名~Bブラジル、現役王者Pモラレス参戦
・新日プロ旗揚げも発表された外人レスラーには馴染みの無い名前ばかり
・日本プロはハーリー・レイスとブルドック・ブラワーの2強を呼び対抗
・”猪木ゴッチにフォール負け、旗上げ大盛況”、主催者発表=観衆5000人
・ジョニー・バレンタインら日本プロは『第8回ゴールデンシリーズ』発表
・貴重写真満載で解析する新日プロ創立後の初の大阪大会(5月11日)
・急な復帰の豊登、山本小鉄、藤波辰巳19歳、魁勝司、木戸修、柴田勝久
・6・1『第8回ゴールデンシリーズ』馬場Jバレンタイン、ミル・マスカラス
・大いなる創造の境地:輝ける星空が導き出す余りにも美しく壮大な歴史絵巻


 1971年12月13日、外部から見ると順調にプロレス街道を歩んでいるように見えたアントニオ猪木 (以下猪木) は、日本プロレス協会より会社乗っ取りを策したとして除名処分された。ファンが知らないところで日本プロレス界において大きな事件が進行していたのだ。あまりにも急すぎて落胆は大きすぎた。もう少し御互いが将来のプロレスを考え和解できるラインで話しあって欲しかった。私自身、翌年は高校受験が待っていたが勉学に力が入らぬぐらいショックだった。

 当時、既に専門誌紙においては12月31日に開幕する『新春チャンピオン・シリーズ』に特別参加として現NWA認定USヘビー級チャンピオンの“黒い魔人”ボボ・ブラジルが2年ぶりに5度目の来日。さらに現WWWFヘビー級チャンピオンの“魔豹”ペドロ・モラレスが6年ぶりに特別参加することが決定した事を早々と報道していた。1月5日の名古屋・愛知県体育館では猪木のユナイテッド・ナショナルヘビー級王座に現役のWWWFチャンピオンであるペドロ・モラレスをぶつけ、翌日の大阪府立体育館においてはジャイアント馬場 (以下馬場) のインターナショナル王座には因縁のボボ・ブラジルを当てるという青写真まで既に組まれていた。
 アントニオ猪木は前年のNWA王者ドリー・ファンクJrとのダブル世界戦(NWA&ユナイテッドナショナル王座)に続き、もう一方の雄であるアメリカ東部の世界チャンピオンであるペドロ・モラレスとの連続防衛戦が決まり、防衛してそのベルトの価値を上げ、インターナショナルベルトに匹敵させる最高のチャンスでもあった。

 既に大阪大会のチケットを購入し、馬場のインター戦、“ミル・マスカラスの実弟“エル・サイコデリコの初来日、タッグながら猪木とモラレスの攻防を楽しみにしていたが。その夢は猪木の除名処分により途絶えた。会場に足を運んで驚いた事は、あれだけ我が世の春を謳歌していた日本プロレスの会場が6割ほどの入りなのだ。この2年から3年は超満員の観客で体育館は埋まり、その観客の熱気がリング上まで届く夢空間を見てきた私にとっては非常に複雑な気持ちであった。
 浪速においては、”若獅子“猪木の根強いファンが多いのだが、彼らは、猪木のいない日本プロレスに、足を運んでも魅力は無しとハッキリと判断していたのである。ミル・マスカラスの弟と期待していたエル・サイコデリコのキャリア不足のファイトぶりに落胆し、アントニオ猪木のいない会場に魅力が見つけられないリング上では馬場がボボ・ブラジルを相手にインターを防衛して観客の声援に手をあげていた。ちなみに、この大会で篠原リング・リングアナウンサーのあらぬ行為を子供心に見てしまい、もうプロレスファンを卒業しようかなと真剣に思った嫌な記憶が蘇ります。1-1の後の決勝ラウンドが始ると篠原さんが机上の小さな紙飛行機を掴み、リングの沖識名に向け投げたのを目撃したから。1度目は失敗したが2度目は成功。それをレフリーが拾って手に取るやいなや馬場がラッシュ! 32文ドロップ・キックでブラジルをロープで逆さ吊りにしてリングアウトに葬った。かなりショックでしたよ。
 
 いったいマット界はどうなって行くんだろうと疑心暗鬼の中、1月13日、猪木は自らを代表取締役とした登記手続きを済ませ、1月24日に新宿は京王プラザホテルで新日本プロレス設立を発表した。その後、2月21日の記者会見で3月6日に東京・大田区体育館にて旗揚げ興行を行うことも発表された。除名されてから約3カ月という短期間での旗揚げ戦開催には大いに驚いた。振り返れば、1966年1月5日、日本プロレスの社長を解任された豊登は新団体設立 (東京プロレス) を表明し、ハワイにて猪木に説得工作を行い(太平洋の略奪事件)、彼を団体のエースとして(10月12日:蔵前国技館至 幻の名勝負:猪木対ジョニー・バレンタイン戦)旗揚げ戦を行うのにも9カ月もかかったのに、今回は猪木本人が主体となり新会社設立へと迅速なスピードであった。
 プロレスラーとして体力的にも頂点に昇りつつある猪木にとっては、少しでも早くファンの前でファイトしたかったのだろう。ただ、発表された外人レスラーには馴染みの無い名前ばかりで一抹の不安を感じたが、猪木のファイトが見られる事に純粋に拍手を送った。残念ながら、旗揚げシリーズは関東、四国地方の巡業となっていたので生観戦は早々にあきらめた。

 老舗の日本プロレスは“美獣”ハンサム・ハーリーレイスと“猛犬”ブルドック・ブラワーの2強を呼び、早々と新団体を牽制してきた。2月29日には同じ大田区体育館で馬場のインターナショナル王者にブルドック・ブラワー戦をぶつけてきたのだ。子供心に大人の世界はえげつないなあと感心したが、挑戦者であるブラワーはこれまでの挑戦者からしたら一枚落ちるから新日本プロレスの旗揚げには影響しないと自分を納得させたものだ。試合は大乱闘から馬場が貫録で9度目の防衛を果たした。観衆は発表で4000人。
 いよいよ猪木のファイトが観られる! ある雑誌のコメントにおいて猪木は最高の試合を見せられる相手はドリー・ファンクしかいないと動いた事を自白されているが、この時の状況では現役NWA王者招待など絶対無理。とにかく師であるカール・ゴッチとの試合で今後の猪木が目標するプロレスを観せて欲しいと願った。


記事の全文を表示するにはファイトクラブ会員登録が必要です。
会費は月払999円、年払だと2ヶ月分お得な10,000円です。
すでに会員の方はログインして続きをご覧ください。

ログイン