[ファイトクラブ]追悼・青柳政司~七夕の前夜に星になった空手家

[週刊ファイト7月14日号]収録 [ファイトクラブ]公開中

▼追悼・青柳政司~七夕の前夜に星になった空手家
 by 大島慶山

 近年親しくしている空手家の友人から、青柳館長の訃報が届いた。思わず、喉を潤していたコーラを飲む手が止まった。普段は、甘酸っぱい味と喉越しの炭酸も何故かほろ苦く、味が変わったように感じた。
 青柳館長の功績、経歴は、様々なネット情報や雑誌やスポーツ新聞や、各関係者のSNSとかで、記載されるであろうから、ここでは深くは取り上げない。様々な空手家が、日本のプロレス界で、世界のプロレス界で、ある時はプロレスラーの敵として反対側コーナーに立ち、またある時は助っ人として同じコーナーに立った。
 その空手家の中でも、ナンバーワンの功績なのは間違いない。松永光弘、齋藤彰俊という優秀な人材を育てあげ、その道標を示し、プロレスのマットに送り込んだことも、日本マット界への貢献度は高い。

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▼青柳館長が東久邇宮文化褒賞を受賞 11・3記念興行に”誠心会館トップ3”青柳政司&齋藤彰俊&松永光弘が揃い踏み!

青柳館長が東久邇宮文化褒賞を受賞 11・3記念興行に”誠心会館トップ3”青柳政司&齋藤彰俊&松永光弘が揃い踏み!初代タイガーマスク&タイガー・シャークとの”師弟コンビ対決”が実現!

 青柳館長の試合会場でお話できたことは何度もあるが、特に印象に残っているのは3回ある。大阪と、熊本と、名古屋だ。
 大阪は2013年11月3日、羽曳野コロセアムで開催された夢の祭典、『闘宝伝笑CHAKURIKI.ファイティングカーニバル』での試合の時である。
 青柳館長は弟子である齋藤彰俊を従え、先日、観戦した「修斗」の創始者でもある初代タイガーマスクとタイガーシャーク組との試合を行っている。セコンドには松永光弘がついた。誠心会館の師弟3人の揃い踏みが実現した時だ。

 のちに巣鴨の闘道館での3人揃ってのトークショーは実現しているが、リングで揃ったのはこの時が最後になってしまった。
 この大会ではスペル・デルフィン&スカルリーパー・エイジという市会議員タッグが実現し、アレクサンダー大塚&冨宅飛駈というUWFの流れを汲む2人との試合が実現している。
 お騒がせ男イリエマンとコラボ興行を開催し、自らもファイターとしてリングにあがる武士正も、大逆転で若翔洋から大金星をあげている。もう10年も前になるけど、館長の激しい突きや蹴りはフラッシュバックし、眼と脳裏にしっかりと焼き付いている。

 オフでの朗らかな笑顔も、リング上とは全く違い、とても優しい人柄だ。その次に、青柳館長に出会ったのは4年後の2017年8月6日に熊本県合志市総合センターユーパレス弁天内特設会場で開催された、A-TEAMの特別興行の時だ。
 その時は、まだバイク事故の後遺症で杖をついた身体なのに、越中詩郎&AKIRAのかつての平成維震軍のリユニオンチームを場外乱闘時に加勢して、見事に鈴木鼓太郎&FUJITA&HASEGAWAのトリオを下す手助けをした。

 まだ痛む足ながら、「かつての仲間のピンチにいてもたってもいられずに、ついつい手を出してしまった。いや、足か(笑)」と、試合後、ジョークを交えながら苦笑しながら、筆者に語ってくれた。

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