[週刊ファイト3月3日号]収録 [ファイトクラブ]公開中
▼AEW革命PPV仕度ReDragon浮上 MJF迫真 バディ・マシューズ契約
photo by George Napolitano 編集部編
■ AEW Dynamite
日時:2月23日(現地放送時間)
会場:米コネティカット州ブリッジポート ウェブスターバンク・アリーナ
AEWがWWE本社のあるコネティカットに侵攻。ロシア軍のウクライナ侵攻からしたら、ちっぽけな世界の事件に過ぎないが、マット界全体では大きな殴り込みになる。本誌はジョージ・ナポリターノ記者を派遣、現場発ならでは独自レポートをお届けする。
番組はジュラスティック・エクスプレスが保持するAEWタッグ王座に挑戦するチームを決定するバトルロイヤルということで、10組20名がリング狭しとゴング鳴った時点では混み合い過ぎてやや過剰にも見えた。まぁAEWは確かに「優秀なタッグチーム」が豊富に揃ってるとのアピールはともかく、正直、どういうルールなのか当初はよくわからなかった。終わってみれば普通のバトルロイヤルのようで、最後に1名残った選手のいるチームに3・6『REVOLUTION』PPV大会での挑戦権が与えられるんだと。
サンタナとトレント・バレッタの派手な殴り合いに会場が湧いて大きく反応してたのが印象に残るが、最後の4選手カイル・オライリー、ダッシュ・ハーウッド、ジョン・シルバー、マット・ジャクソンが残った辺りから、日本から視聴する記者も、なにをしようとしているのかようやく見えてきた。
結局はアダム・コールを介してスーパークリック同盟のヤングバックス兄弟と、元アンディスピューティド・エラのReDragonが残ることになり、カイル・オライリーの勝利に。これでマット・ジャクソンは「騙したなぁ」と揉めることになるのだが、そのタイミングで王者ハングマン・ペイジもリングインとなり、花道にはアダム・コールが登場することになる。
乱闘になりかけて、アダム・コール目掛けてのバックショット・ラリアットは不発に終わるんだが、バトルロイヤルで勝利したばかりのカイル・オライリーには命中となるのだ。
アダム・コールの方はROH時代からの芸名なんだが、なにしろ奇しくも名前がハングマン・アダム・ペイジであり、”アダム・ペイジ・ベイ・ベイ”とからかうことに。3・6『REVOLUTION』PPV大会でいよいよこのカードが実現する。
マイクの時間だけで銭が取れる男MJFの今宵の演説は、マット界で世界最高峰のしゃべりとの評価をさらに磨くかのような、長く記憶に残るリアルな実人生体験を応用した炎のスピーチになりウルウルさせてくれた。
なんでも2007年、まだ11歳のMJF少年はADHD、注意欠如・多動症だった。つまり年齢あるいは発達に不相応に、不注意、落ちつきのなさ、衝動性などの問題が、生活や学業に悪影響を及ぼしていたそうだ。唯一、フットボールだけは上手かったからチームに入れて貰えた(ラインバッカー)ものの、そこで「やっとトモダチが出来た!」と思ったのもつかの間、廊下で仲間だと思ったチームの学友にモノを投げつけられたりしていじめに合う。なんか人気TVドラマ『Glee』でも、極彩色のペイントを廊下でぶっかけられたりして、いじめられる場面を思い出したのは記者だけではあるまい。
That was the hardest moment of my life.
Thank you.
— Maxwell Jacob Friedman™️ (@The_MJF) February 24, 2022
Be your own hero. pic.twitter.com/iZqt4kwpe0
— 💜 Angie 💜 (@TwilightPalms) February 24, 2022
そんなひどい目にあったまさにその金曜日の夜、MJF少年はWWEを見に行き、憧れのCMパンクと一緒に写真を撮った1枚というのが、先週のDynamiteでCMパンクが持ち出したまさにそれだったんだと。どうやらこれはガチ話のようで、いかにMJF少年がCMパンクに憧れてきたかや、にもかかわらず2014年に急に辞めてしまって裏切られたと感じた件など、皆さんが感情移入したのではなかろうか。
また、プロレスファンを喜ばせたのは、「結局俺はフットボールなんかよりプロレスが好きだったんだ」と、これまたリアルな叫びを発したことだろう。なにしろミュージカルとかにも子供の頃が出ていて、TV番組『ロージー・オドネル・ショー』に出演した際も、「将来なんになりたい?」と聞かれて、「プロレスラーになりたい」と真面目に答えたことは映像が残っている。本当の話なのである。
CMパンクが出てきて、SAVE FERRISのTシャツ姿なんだが、なんとカタカナで「フェリスを救え」と大書してあるのはこれまで見たことがなかった。これはシカゴで撮影された1986年の映画『フェリスはある朝突然に』からである。MJF少年との写真背景エピソードについて「その話は本当か?」とやっていたが、MJFはなにも答えずに帰っていくのだった。
マット界のプロモの中でも、歴史に残るというか、記憶に強く訴えたセグメントであり、ある意味では試合よりも今宵のハイライトだったかも知れない。