[ファイトクラブ]公開中 [週刊ファイト1月27日号]収録
▼4・27“藤原祭り”が8年ぶり後楽園ホール復活!79年の藤原敏男
by 藤井敏之
一昨年の6月25日、キックボクサーであったシンサック・ソーシリパン氏が都内でひっそりお亡くなりになったというニュースを聞いた時、ボクサーからキックボクサーに転向した西城正三戦、日本を代表する沢村忠戦などテレビで見た思い出や、プロレス界を席巻したUWFの前田日明、高田延彦、山崎一夫、安生洋二、またパンクラスの船木誠勝、柳澤龍志らを指導したことでも有名であったので彼のその名前がうっすらと記憶に残っていた。
そこで鮮明に思い出したのが、昭和54年2月6日大阪府立体育会館において行われた格闘技世界一決定戦、アントニオ猪木対ミスターX戦のセミファイナルとして、新格闘術ジュニアライト級チャンピオン藤原敏男と彼の対戦である。
格闘技戦の大阪大会ポスター 当日のパンフレット対戦カード
館内は熱気が満々と立ち込め超満員札止め、レフェリーは山本小鉄が裁いた記憶がある。3分10ラウンドでの1本目から藤原はまわし蹴りを得意とするシンサックに対しローキックで動きを止め、キックとパンチのコンビーネーションから最後は左右の強烈なパンチにてわずか1R2分42秒でKO勝ちをおさめた試合を生で見て、藤原敏男のその実力の凄さを実感したものだ。
彼の実績はすばらしく、キック界において“キックの神様”と呼ばれた。特に日本中にその名前が広がったのは、ボクシング界のシンデレラボーイこと元WBA世界フェザー級王者・西城正三が1971年9月2日、アントニオ・ゴメスに敗れ6度目の防衛に失敗するも、キックボクシング界に転向し連戦連勝を続ける中、その前に立ちはだかったのが、当時全日本キックボクシング連盟のライト級チャンピオンであった藤原敏男である。
二人のスーパースターの対戦が決まり日本中の格闘技ファンは色めきたった。試合はボクシングを得意とする西城の単純な攻めをかいくぐりながら、藤原はパンチと蹴りを上手く使い徐々に西城を攻めてゆき、最後は一方的に攻められ続ける西城に戦意喪失を感じたセコンド陣がリングにタオルを投げ込み、藤原のTKO勝ちとなる。
その後、大怪我をするも復帰後はさらに飛躍し、アウェーである本場タイで現役ライト級王者、チャラポン・ソータイを初めて外国人が破るという快挙を成し遂げる。
そして1979年には黒崎健時が設立した“新格闘術”においてシープレイ・ギャッソンホップを破り世界ライト級の新王者にも君臨した。
2018年KNOCK OUT10・7後楽園より、孫弟子・森井洋介のピンチに堪らずインターバルのリングに上がって気合いを入れた藤原敏男御大は、試合後にも闘魂注入棒一閃!
1983年に引退され、2003年の12月7日に藤原敏男のキックボクシング35周年を記念し、第1回の『藤原祭』が全日本キックボクシング連盟主催により後楽園ホールで開催されたのをきっかけに、2010年からはM-1 MCの主催に変わり、2014年の後楽園大会が最後の藤原祭となっていた。
今回、2015年より日本で独自の格闘技興行をスタートしたドージョーチャクリキ(甘井代表)と藤原実行委員会がタッグを組み、8年ぶりに藤原祭りが復活する。
1・14新春特別TalkLive”キックの神様”藤原敏男x細田昌志チャクリキ夜話
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