[週刊ファイト9月30日号]収録 [ファイトクラブ]公開中
[Fightドキュメンタリー劇場⑪] 井上義啓の喫茶店トーク
▼“クレイジー” シン I編集長が語るエピソード続編
by Favorite Cafe 管理人
42年前の週刊ファイトの記事で「シンとI編集長の“12.4 焼き肉和解”の夜」を検証。さらに喫茶店トークは、シンがベンガル虎に噛みつかれたエピソードの続編。タイガー・ジェット・シンのプロレスラーとしてのルーツが明らかに!
後半のトークは、猪木vs.小林の再戦。猪木との初戦に敗退して海外で出直したストロング小林は、リベンジマッチで闘いのテーマをクリアできたのか?
週刊ファイト1979年12月18日号
■ 週刊ファイト1979年12月18日号
「12.4大阪決戦の夜」の記事より抜粋
山下)編集長、今夜の試合のあとでシンを招待しようと思うんですが・・・・。
井田)シンを? あれだけ特集号に協力してくれたんだから異論は無いがね。
山下)スキ焼きパーティなんかどうでしょう。高橋さんから、シンの好物だと聞いています。
井田は浮かぬ顔だった。半年前の長岡での一件を思い出さざるをえない。ホテルのロビーでやにわにシンにやられたのである。竹刀で力まかせに突かれたのだが、瞬間的に身をかわしたので、竹刀の切っ先はベルトの上に突き立って終わった。
この日のシンとバックランドの一戦は、ターバンでバックランドの首を締め上げたシンがビール瓶で突きまくり、チェーンをぶん回して荒れた。・・・・(中略)・・・・
驚いたことにシンは長岡での井田を覚えていた。高橋レフリーに「あの時は試合が終わってすぐだから気が高ぶっていた。今夜は試合が早く終わったし、二時間もたっている。私はこの通り冷静だ。あの編集長にそう言ってくれ」と伝えていた。
井田はこの夜、初めてシンの人となりを知った。謙虚で礼節をわきまえた、鉄の意思を持った男だとわかってきたのである。
食事が終わった。
一足遅れてレストランから出てきた井田の姿を見たシンが車を停めさせたのである。シンはわざわざ車から降りて井田に歩み寄った。手をさしのべるシン。
「アリガトウ」
二分前に済ませたはずの礼を、シンはもう一度した。
———————————————
「井田」とはドキュメンタリー劇場に登場するI編集長であることは、読者の皆さんならご存じでしょう。喫茶店トークでI編集長は「焼き肉」と言っていましたが、当時の記事を読むと「スキ焼き」だったんですね。長岡のビジネスホテルでの一件もトークで語られていた内容そのままです。
そして小見出しには「シンはほとんど飲まなかった」と書かれています。「節制しているシンはスゴイですよ。毎日毎日、あれだけの試合をするというのはね、普通のレスラーじゃ出来ないですよ」というコメントがこれまでの喫茶店トークの中にありました。
▼タイガー・ジェット・シンに見た、アントニオ猪木のコンプレックスと挫折
ここからは、いつもの闘いのワンダーランド「喫茶店トーク」から、ベンガル虎の傷跡の一件の続編です。実はタイガー・ジェット・シンの師匠はフレッド・アトキンスだけではなかった。
■ 闘いのワンダーランド #012(1996.12.17放送)「I編集長の喫茶店トーク」
1975.03.13 広島県立体育館
アントニオ猪木 vs. タイガー・ジェット・シン
この試合はNWF本部が、選手権試合の挑戦者としてタイガー・ジェット・シンを指名したことに対して、新日本プロレスサイドと見解の相違があったことから、猪木が不服としてNWFタイトルを返上。あらためて王座決定戦として決行された試合である。試合はシンがそれまで見せたこの無かった大技“ブレーンバスター”を繰り出し、最後はナックルパンチで猪木を倒して3カウントのフォールを奪った。シンがNWF王座を戴冠した記念すべき試合である。
———————————————
(I編集長) 猪木vs.シンとなるとね、マンネリ化とかなんとか言われてましたけどもね。やっぱり毎試合、舞台背景、背負ってるものが違っていましたでしょ。ですからね、同じ試合を繰り返しても、僕らはのめり込んでいきましたよ。そういったところが、シンの凄さですよ。シンというのはやっぱり、単なるクレイジーファイターじゃないと言うことですね。プロレスも立派に出来るし、もういろんな展開を読んで、こういう時はこうで、この時はこうだという役割をちゃんと心得ていると言うかね。非常に頭のいい人ですよ、シンというのは。
何度闘ってもマンネリ化しない猪木vs.シン(1978年)
(I編集長) シンと猪木のNWF世界ヘビー級戦というのは14回やってるはずですよ。それがね、何回繰り返しても、いずれも名勝負、とまではいかないけどね、つまらん駄作というのはひとつも無いですね、これ。だから14回繰り返しても、しっかり魅せたところは、猪木も凄いんだろうけども、やっぱりシンがレスラーとしての基本というか、そういったものを「ピシッ」とわきまえている、身につけている、そういったレスラーだからということですね。
(I編集長) 先日の喫茶店トークのコーナーでお話した、シンがベンガル虎に噛まれた話はちょっと訂正がありましてね。確かこの前の放送で「右腕を噛まれた」と言うようなことを申し上げたと思うんですけど、後で調べてみたら、左肘なんですよ。肘のところね。当時の週刊ファイトなんかをひっくり返してみますと、ベンガル虎の牙で引っかけられたという、そういった記事がありますよ。これね、詳しい話をさせていただきますと、シンは8歳の時にインドに住んでまして、父親と一緒にハンティングに出かけたんですよね。その時にベンガル虎に襲われてるんです。「ガーッ」とやられたんですね。シンの話だと半年ほど高熱を出して生死の境をさまよったと言いますよ。
そうか、そう言う由来で「タイガー」というリングネームをつけたのかと思って、シンに「虎に噛まれたから、虎と闘った傷跡があるから、だからそういった名前を付けたのか?」と聞いたら、「そうじゃない」と。プロレス的には本当はその方が面白いんだけどね、ベンガル虎と闘ったことがあるから、「タイガー」とリングネームを付けたんだ、伊達や酔狂で付けたんじゃ無い、そういう話の方がいいんですけども、本当は。
カナダにあるシンの邸宅。リビングの敷物は「ベンガル虎」ではなく、「熊」でした
(I編集長) 実はシンが16歳の時、最初にインドでプロレスの修行した時の師匠が、「タイガー・ジョギンダー・シン」なんですよね、これ。タイガー・ジョギンダーというのは、力道山時代に日本に来たインドの名・・・?、名レスラーでしょうね。この人の元に弟子入りしてプロレスのイロハから教えてもらったと言うことなんです。
(画像出典Wikiwand:https://www.wikiwand.com/en/Tiger_Joginder_Singh)
(I編集長) 「タイガー」の名前の由来がベンガル虎の一件では無いのなら、師匠のリングネームのタイガー・ジョギンダーからもらって「タイガー」と付けたんだろう。もう一人の師匠であるフレッド・アトキンスよりもタイガー・ジョギンダーの方を師匠格として上に置いて、だからリングネームをもらったんだろう、と言う風にも僕は考えましたよ。
これもシンに聞いてみますと、これまた違うと言うんですよね。結局「インドのレスラーはみんな“タイガー”と付けるんだ」ということなんですね。インドで強さの象徴と言えば“ベンガル虎”なんですね。だから「インドのレスラーはみんな“タイガー”なんだ。そう付けるものなんだ」と言ってましたね。なんだ、そういうことか、と・・・。
ベンガル虎に噛みつかれたからでも無く、師匠の名前をもらったのでも無かった。ちょっと肩すかしだったけれども、それでもそこら辺の話、いろいろ「タイガー」に因縁があるっていうのが、僕は非常に面白いなと思った記憶がありますね。
(I編集長) この時にシンが言っていたのは、「私は初代の師匠タイガー・ジョギンダーよりも、フレッド・アトキンスのことを自分の師だと思っている」ということなんですね。フレッド・アトキンスというのはジャイアント馬場も鍛えているしね。もの凄いハードトレーニングなんですよ。だからシンは「何度もアトキンスを殺してやろうかと思った」と言ってましたよ。「このやろう、こんなことをさせやがってと思ったけども、今になって思うとやっぱりあれがあったからこそ、今日のオレがある」とも。そういった意味ではフレッド・アトキンスこそが師であるというね、そういった話、考え方というのがシンの真面目さなんでしょうね。
馬場の米修行時代のアトキンス(真ん中)
▼昭和プロレス偉人伝TJシン宅 / カリフラワーアレイクラブ藤波辰爾40周年
▼『美城丈二の“80’s・プロレス黄金狂時代』Act⑩【T・J・シンの光芒】
(右 東スポ紙面より)
■ 闘いのワンダーランド #010(1996.12.13放送)「I編集長の喫茶店トーク」
1974.12.12 NWF世界ヘビー級選手権試合 アントニオ猪木 vs. ストロング小林(再戦)