[週刊ファイト10月19日号]収録 [ファイトクラブ]公開中
▼タイガー・ジェット・シンに見た、アントニオ猪木のコンプレックスと挫折
Text by 安威川敏樹
・狂気の世界に生きたジェントル・タイガー
・浮き彫りになる猪木のコンプレックス
・力道山の影を追った猪木
・毎日新聞では、病院送りのアントニオ猪木よりもグレート草津!?
・一般紙のスポーツ面で報じられたタイガー・ジェット・シン
週刊ファイトなのに、いきなりこんなことを書くのも気が引けるのだが、筆者はプロレス記事を書くことが実は苦手なのである。いたって常識的な人間なので、リング上では悪役レスラーが凶器を使って反則攻撃を繰り返し、選手が顔面血だらけになるような光景に、どうも馴染めないのだ。
そもそも今の日本は、北からミサイルが飛んで来るわ、まもなく衆議院選挙が行われるわで、プロレス記事どころではないはずだ。
我が国の総理は「国難突破解散」などとモリカケを隠すためとしか思えない理由で衆議院を強引に解散し、某都知事の厚化粧オバちゃんが希望の無さそうな新党を立ち上げ、数年前は政権与党を勝ち取った政党が解体されて得体の知れない新党に与するという、意味不明の混迷状態に陥っているのである。
国会議員の中には「このハゲーーーーー!!!」などと他人を罵る、大阪の新世界にたむろするオッサンよりも下品な女性もいる。ある意味では、現在の日本政界にはベビーフェイスがいない、ヒールばかりの状態に成り下がっているのかも知れない。
こんな日本を少しでも良くしようと筆者は、週刊ファイトの編集部に「衆議院も解散したし、少しは政治ネタも書いてみましょうか……?」と打診したら、
「バカヤロー!お前はチョーマイヨミか!?」
と怒鳴られた(スミマセン、全て大ウソです)。
てなわけで今週号もプロレスネタを書くのだが(そりゃそうだろ)、「タイガー・ジェット・シン基金」がカナダのチャリティー基金コンペで1位となる7500ドルを獲得したという。この資金は恵まれない子供におもちゃを配るために使われるそうだ。
▼タイガー・ジェット・シン基金(TJSF)が7500㌦獲得!年末のチャリティーに使用
タイガー・ジェット・シンといえば悪役として、ところ構わずサーベルを振り回して悪の限りを尽くしていたレスラー。史上最悪の大ヒールがチャリティー活動とは、まるで娑婆に出たムショ帰りの極悪人が立派に更生したようで、感動すら覚える。
もっとも素顔のシンは実業家で、リング上のシンは世を忍ぶ仮の姿だ。シンを知る人の誰もが「プロレスラーであんな紳士はいない」と異口同音に語る。
日本の政治家も、少しはタイガー・ジェット・シンの爪の垢でも煎じて飲んで欲しいものだ。
狂気の世界に生きたジェントル・タイガー
紳士的で地元でも名士として知られるシンが、リングに上がると一転してクレイジー・タイガーに豹変する。いや、この表現は正しくない。なぜなら地元のカナダなどでは、シンはベビーフェイスだったからだ。つまり、シンが狂虎だったのは日本だけである。
しかも日本では、リングを降りてからもずっとヒールを演じていたのだから、シンは日本にいる間だけ狂ったトラになっていたのだ。シンのことを「悪いヤツ」とイメージしているのは日本人だけかも知れない。
シンをジェントル・タイガーからクレイジー・タイガーに仕立て上げたのは、言うまでもなくアントニオ猪木だ。
シンは1973年、設立間もない新日本プロレスに初来日した。5月4日の川崎市立体育館で、試合中の山本小鉄を突如襲うという衝撃デビューである。
これを新日は「契約もしていないレスラーが急に襲ってきた」としてシンを売り出した。「とんでもない無法者のヒール」というイメージをファンに植え付けたのだ。
実際には契約の手違いで2ヵ月早くシンが来日してしまったので、川崎市立体育館にシンを招待しただけだったのだが。
その後、シンは今までにはないヒールとして大ブレイク。ライバルの全日本プロレスに、NWAルートの有名外国人レスラーを抑えられていた新日本プロレスにとって、シンの登場は一気に差を縮める起爆剤となった。そして初来日から半年後、あの大事件を起こす。
猪木夫妻・新宿襲撃事件である。
浮き彫りになる猪木のコンプレックス
1973年11月5日、東京・新宿の伊勢丹前で猪木が当時の夫人だった倍賞美津子と買い物をしていたところ、シンが他の外国人レスラーを引き連れて猪木を襲った。猪木は大流血、警察が駆け付ける大騒ぎとなったのである。
ベテランのプロレス記者・鈴木庄一氏は「世に悪役の数は多いがシンとブッチャー、この二人は商売用の悪役ではなく、心から人間を呪っている悪魔だ」と語った。と書いているのは漫画「プロレススーパースター列伝(原作:梶原一騎、作画:原田久仁信)」なので、信憑性は定かではないが……(週に1回は「列伝」ネタを放り込んでしまう、僕の悪いクセ)。
後に新日レフェリー、ミスター高橋の自著「流血の魔術 最強の演技(講談社)」などによって、この襲撃事件はヤラセであったことが内部者からも明らかになったが、たとえ仕組まれた襲撃であっても実際に都会のド真ん中で実現させてしまうというのは、プロレス界にとって歴史的な大事件と言える。
発案した猪木も大したものだが、それもシンというキャラクターがいたからこそ為せる業だろう。シンも日本で大ヒールとして生き抜くことに必死だったに違いない。
だが、猪木にも誤算があった。ミスター高橋の同書には「この襲撃事件は一般紙にも大々的に報じられた。これぞまさしく猪木さんが狙っていたアングルだった」と書かれているが、それは少し違うようだ。
中には報じた一般紙もあったかも知れないが、ほとんどは無視されたようで、大々的に報じたのは例によって東京スポーツのみだったという・・・。