[ファイトクラブ]赤なのに白覆面テキサスレッドなぜに日本の知名度低?

[週刊ファイト8月19日号]収録 [ファイトクラブ]公開中

▼赤なのに白覆面テキサスレッドなぜに日本の知名度低?
 by 猫山文楽拳
・カーニバルレスラーからトップへ
・人気を博した白覆面コンビ時代
・引退後プロレスラーOB会の会長に就任


 8月11日は、赤毛の悪魔レッド・バスチェンの命日。
 覆面レスラー、テキサスレッドとして1977年ザ・デストロイヤーとタッグを組み全日本プロレス世界オープンタッグに参戦、大暴れして人気を博した。
 「レッド」なのになぜ「白覆面」?という素朴な疑問が浮かんだことを記憶している。
 今回8月11日に死去したプロレスラーということで改めて調べてみたが、全日本プロレス以外にも国際プロレスにも参戦、対戦相手もキラー・コワルスキーから大木金太郎、チャボ・ゲレロまで輝かしい戦歴にもかかわらず、知名度が低いがためにデーターがあまり現存していない。

カーニバルレスラーからトップへ
 レッド・バスチェンは1953年にプロレスデビュー、この人どうして知名度低いのかと思うほどのタイトル歴、輝かしい戦歴が出るわ出るわ。
 もともとサーカスの前座を務めるカーニバル。レスラーだったが、朝鮮戦争後にプロに転向した。
 記者は朝鮮戦争というワードを、ずいぶん久しぶりに打った気がする。

 サーカスあがりというでもなかろうが、空中技を得意とし1960年には「“フライング”レッド・バスチェン」のリングネームで異父兄弟のルー・バスチェンと組んで「バスチェン・ブラザーズ」として、NWAノースイースト地区のキャピトル・レスリング・コーポレーション(WWWFの前身)に参戦しUSタッグ王座に挑戦するなど活躍、コンビ解消後19667年には、活動の場をオーストラリアに移して、イタリアはトリエステ出身のマリオ・ミラノとのタッグでキラー・コワルスキー&スカル・マーフィーとの抗争を展開、世界王座を争った。

 1968年4月30日フロリダでジョニー・バレンタインからNWAフロリダ・ヘビー級王座を奪い、同年9月日本プロレスに初来日、初来日にして10月10日広島県福山においてバディ・モレノとのタッグでなんと火の玉小僧吉村道明、大木金太郎のアジアタッグ王座に挑戦している。

▼力道山、G馬場、猪木を支えた日本プロレス草創期の闘将 火の玉小僧吉村道明

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