[ファイトクラブ]秘蔵写真で綴る浪速のアントニオ猪木#17(1967年8・14馬場キニスキー)

シリーズのパンフレット(上)、当時の日本プロレスのチケットは金の刻印が押され収集の価値がある優れものであった。
[週刊ファイト8月19日号]収録 [ファイトクラブ]公開中

▼秘蔵写真で綴る浪速のアントニオ猪木#17(1967年8・14馬場キニスキー)
 by 藤井敏之
・アントニオ猪木が単独で日本プロレスに復帰した昭和42年夏
・大阪夏の陣レスリング・ウォー日本プロレスvs.国際プロレス
・馬場の「生涯最高のベスト・バウト」ジーン・キニスキー戦
・次のダイヤモンド・シリーズ日本最強タッグであるBI砲が遂に誕生
・日本プロレス第二の黄金期:インター戦のゲスト解説は猪木
・若き上田馬之助、大木金太郎の貴重写真に唖然!?


 アントニオ猪木が単独で日本プロレスに復帰した昭和42年夏、日本プロレスは対抗団体である国際プロレスの侵攻を睨んでNWAチャンピオン“荒法師”ジン・キニスキーの特別参加2試合(8月10日 東京・田園コロシアム、8月14日 大阪・大阪球場)、並びに両試合ともジャイアント馬場のインターナショナルヘビー級選手権試合である事を発表した。
 時の状況として、国際プロレスは元・東京プロレスの豊登の入団を発表、同じ14日にはなんば(大阪)球場とは100メートルは離れた大阪府立体育会館において、エースであるヒロ・マツダが元NWA世界タッグ王者のサム・スティムボードと組み、ビル・ドロモ&ロジャー・カービー組と対戦するタッグマッチをメインとし、セミファイナルでは豊登対デニス・ホールのシングルマッチを用意して対抗してきた。

 実力はあるがネームバリューが落ちる外人勢では勢いのあるBI砲を擁する日本プロレスに観客数で勝てないのは目に見えていたが、近々テレビが付くまでなんとか頑張ろうとする国際プロレスの意地が垣間見えた。
 日本プロレスも現役のNWA王者であるジン・キニスキーが来日するのであるから、なんとしても力道山がルー・テーズのNWA王者に挑戦して以来、10年ぶりに馬場がNWAとインター両チャンピオンベルトを賭けたWタイトルマッチの2連戦を実現したがったが、残念ながら王者キニスキーの来日を前に来日したNWA会長サム・マソニックより「どちらのチャンピオンベルトの価値を落とさない為にも、また馬場のホームグランドである日本なので馬場に敬意を表し、NWA王者キニスキーが馬場に挑戦するインターナショナル選手権試合にする」と提言。
 この図式は1970年第46代NWA王者ドリー・ファンク・ジュニアが来日した時も同じ理由で、馬場のNWA挑戦は実現しなかった。もう一つ注目すべきは、日本プロレスがまだこの時点でNWAの正式メンバーでなかったことも摩訶不思議であり、8月12日から3日間のNWA総会(ラスベガス開催)でようやく承認されていることも注目に値する。

     選手権試合を予告するチラシ NWA会長Sマソニック&キニスキー

 試合当日、大阪夏の陣と呼ばれたレスリング・ウォーの結果は予想通りで、大阪球場には2万人の観客が動員されたが、片や国際プロレスは2千人という館内に閑古鳥が鳴くありさまであった。試合内容は良かったのだがタイトルマッチも組めず完敗。猪木、豊登、ヒロ・マツダといずれも東京プロレスがらみの人間模様において、その夜は胸に去来する思いは違ったであろうが、猪木の選択はその時点では正しかったように思えた一夜であった。

     試合前のアントニオ猪木のスナップ写真   大観衆で埋め尽くされたなんば球場

             国際プロレスが開催された大阪府立体育会館前の状況

 ただ猪木にとっても、日本プロレスに復帰したことは正しい選択であったが、メインイベントにおいてNWAが認可する二大王者が選手権を争い、多くの観客がエキサイトする状況を間近に見て、会社が一丸となりバックアップする王者・馬場に対し、一時は日本プロレスに反旗を振りかざし出戻った自分の立場にかなりのジレンマがあったに違いない。ただ、前年の第8回ワールド大リーグ戦にすんなりと凱旋帰国していたとしても、やはり馬場の後塵を拝する立場であったろう。
 常にナンバー2の立場で保持するタイトルもアジアタッグタイトルのみ。看板タイトルはすべて馬場さんが保持するという現状を打破しようと、日々全力で戦っていた。

 この日も、馬場の露払い払い的なセミファイナルの試合に登場。アントニオ猪木、吉村道明のアジアタッグ選手権保持者コンビにジェス・オルテガ、アート・マハリックの45分3本勝負が組まれた。ファン心理は非常なもので、当時においてはまさにジャイアント馬場の時代で、早く馬場対キニスキーの選手権試合が見たくてしかたない中、セミファイナルのゴングが鳴る。

 外人チームは最初から勝負を度外視した反則技を繰り出してくるのに対し、猪木は得意のグランド技にオルテガを持ち込みアーム・ロックで腕を攻め、足に移行するとリバース・インディアン・デスロックでオルテガが反則攻撃できないよう攻めていくが、百戦錬磨のベテランのオルテガは急所打ちで不利な形勢を打開するや場外にもつれ込ませ大乱闘の末、両者リングアウトとなる(16分4秒)。

 さあ2本目が開始されると猪木はハイスピードでオルテガに空手チョップを乱れ打ち、ダウンしたところに再びリバース・インディアン・デスロックを仕掛ける。観客は猪木が後方へ受け身をしながら締め上げる度に大歓声が巻き起こる。猪木の馬場には無いファイト・スタイルに大阪のファンは呼応する。最後は吉村がマハリックにドロップキック3連発を決め2-1で勝利した。
 バタ臭くラテン系ハンサムっぽいアントニオ猪木は徐々にファンの心を掴みつつ、心中では馬場に闘志を燃やしながら先を見つめ、日本プロレスでのエースになることを目指していた。

アート・マハリックの腕を決める猪木  猪木独特の戦闘態勢、しびれるなあ 

             当夜の猪木の貴重なファイト写真が残っていました。

 当夜のインターナショナル選手権試合は60分フルタイム戦い。時間切れのドローからレフェリーの判断により5分延長したが非常のゴングが鳴る。まさに真夏の大死闘であり、馬場ここにありをファンに見せつけた名勝負であった。馬場自身もこの試合が生涯最高のベスト・バウトと述べている。

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