[ファイトクラブ]力道山、G馬場、猪木を支えた日本プロレス草創期の闘将 火の玉小僧吉村道明

[週刊ファイト2月18日号]収録 [ファイトクラブ]公開中

▼火の玉小僧吉村道明
 by 猫山文楽拳
・東大阪市民から忘れ去られた東大阪市出身の日本プロレス草創期を支えた闘将
・いつも捕まる、いつもやられる、そしていつも血だらけになる そんな吉村が大嫌いだった
・引き立て役のプロフェッショナル
・カール・ゴッチも某ヒール選手も絶賛した必殺技、回転エビ固め
・ベールに包まれた引退後の人生
・幕引きに映った男の美学 引退直前に詠んだ和歌に込められた思いとは


 1998年4月4日東京ドーム。
 アントニオ猪木の引退試合で、田中ケロリングアナが特別来賓を順々に紹介していくなか、その名がコールされたとき、客席がざわついた。
  
 吉村道明
 
 潔い幕引きが印象的で、逆に余韻引いたプロレスラー。
 1973年3月3日に引退して以後、プロレスの一切から手を引き表舞台に姿を現すことがなかったその吉村が、猪木の引退を見届けるために客席に姿を現した。

 
 外人選手に捕まっては流血、血だるまになって闘う凄惨な姿からメディアが付けた呼び名が、火の玉小僧。
 ファイトスタイルは、とにかく、捕まる。タッグのしんがりとして出ていって敵方に捕まって、コーナーでボコボコにされ血を流す。
 観客のフラストレーションがピークを迎えたころあいで、選手交代。待ってましたとばかり真打がリングイン、大暴れして外人組を成敗し、観客熱狂、大団円。
 そう、吉村選手は引き立て役のプロフェッショナルだっだのだが、子どもはそんなこと理解できなかったから、見ていてイライラするばかりだった。
 吉村選手が現役で活躍されたいた頃の記者は若干幼稚園児であったから、血だるまになって奮闘していた選手の名前も当時は知らず、ゴッチさんをフォールしたという伝説の試合のこともだいぶあとになって知った。
 今回思い立って吉村選手のことを調べてみたのだが、吉村道明を知らずして日本プロレス史を語ること不可能と言って過言でない戦歴のプロレスラーであったことがわかってきた。
 まず意外というか驚いたのが吉村選手ゆかりの地が東大阪市だったということ。なにを隠そう記者は昨年末まで関西在住で、東大阪市の職場で働いていたにもかかわらず同僚もプロレスファンの知人も、地元が生んで地元で引退興行を開催、引退後近畿大学でレスリングの指導に尽力した彼の功績はおろかその名も誰一人知らずじまいだった。そのことを関西を離れてから知ったというのがなによりもショックだった。

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