[Fightドキュメンタリー劇場⑤]正直な話、猪木が追放された時の写真で“乾杯”ってやったのは坂口

控え室の猪木と坂口(1983年5月15日 後楽園ホール)
[週刊ファイト8月19日号]収録 [ファイトクラブ]公開中

▼[Fightドキュメンタリー劇場⑤] 井上義啓の喫茶店トーク
 正直な話、猪木が追放された時の写真で“乾杯”ってやったのは坂口
 by Favorite Cafe 管理人


 1973年4月に坂口征二が日本プロレスから合流。NETテレビ(現テレビ朝日)の放送も開始された。「当時、新日本プロレスは1億円以上の赤字を抱えていた。それを正直に打ち明けたら、坂口さんは二の足を踏んだだろう。私はそれを伏せて交渉を進めた。坂口さんがNETを背負った格好で入団してくれて、新日プロは救われた。あれが三ヶ月遅れていたら、新日本プロレスは崩壊していた」と新間氏は語っている。当時の坂口征二のエピソード、とりまく人間模様をI編集長喫茶店トークで紐解いていく。

(I編集長) だからもう当時(1974年)もそうだし、非常に話題になった試合なんですよ。なにせ猪木と坂口が初めてやるというね。だからワールドリーグ戦がなんで盛り上がったかというとね、そこにあったんですよ。カール・クラップなんていうのはハッキリ言ってね、猪木とやったところでインパクトは無いんですよね。だからファンもね、そんなに「青銅の爪」がどうのこうのって騒がなかったはずですよ。我々もあんまり猪木vs.クラップなんていうのは「目ではない」といったら怒られるけどね、そういった目で見てましたよね。
 やっぱり猪木vs.坂口っていうのが初対決。で広島で実現したんですか、この試合は。結局引き分けてしまったと。だからそういった点では、ファンも満足した試合だったはずですよ。坂口がいい試合しましたしね。

■ 闘いのワンダーランド #006 (1996.12.09放送)
1974.04.26 広島県立体育館 アントニオ猪木 vs. 坂口征二

(I編集長) 当時の坂口なんて言うのは、もう絶好調だったですからね。力も強かったし。そんなに技師(わざし)じゃない方だけれども、ある程度技も切れたしね。まあ、今見ていただいた試合というのは初対決ということもあって非常に僕らも注目した試合でね、結局はまあなんか、途中切れだったんでしょあれ、テレビでは。
この試合が猪木vs.坂口のベストマッチでしょう。(ベストマッチとしては)最初にして最後と言っても良いんじゃないですか。

(I編集長) (話は日プロ時代にワープ・・・)坂口がプロレス入りする時にですね、我々はもう知ってたんですよね。知ってたけれども、もうねぇ、箝口令が敷かれてましたよ。それであのとどのつまりまで、隠して隠して隠してね、明日記者会見という時に「パッ」と出したんですよね。だから明大の関係者にしたって怒ったはずですよ。それはもう当時そういったプロレス入りするというのはね、けしからんということだったですからね。だから、そういった事がわかっておったから、坂口も非常に苦労したんですよね、これ。隠して隠して。
始めから言ってしまうと完全にシャットアウトされてしまいますからね。だからもう、いよいよ記者会見だという時まで隠して、「実は」ということでね。だからそういった経緯(いきさつ)があったんですよ。で、結局まあ日プロであそこまで行ったんだけれども。

 

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