井上譲二の『週刊ファイト』メモリアル第55回 体もデカイが度量も大きかった新日社長時代の坂口征ニ氏

[週刊ファイト8月29日号]収録 [ファイトクラブ]公開中

▼井上譲二の『週刊ファイト』メモリアル第55回
 体もデカイが度量も大きかった新日社長時代の坂口征ニ氏
・1983年から翌84年にかけて超ド級の騒動が相次いで起きた新日本プロレス
・坂口氏が人間不信に陥った騒動はこの時点で序の口
・長州はのうのうと新日プロにUターンしている
・本来、怒りっぽい坂口氏だが、言葉や態度に現れるのはそのときだけ



8・6帝国ホテルで行われた『新間寿氏WWE殿堂入りを祝う会』での坂口征二新日本プロレス相談役

 1983年から翌84年にかけて超ド級の騒動が相次いで起きた新日本プロレス。いずれの騒動も衝撃的で、あれから35年が経った現在もマット界のスキャンダルを売りにするプロレス・ムック本の格好のネタになっている。一般企業ではあり得ない露骨な裏切りの連続。それらに耐え抜いて新日プロを建て直したのはアントニオ猪木ではなく、坂口征ニという一本気な男である。

 83年6月2日、東京・蔵前国技館で行われた『IWGP決勝リーグ』優勝戦で起きた「アントニオ猪木舌出し失神事件」。プロスポーツ界のスーパースター、猪木が試合会場から病院に救急車で搬送されたとあって一般紙の記者や芸能リポーターも入院先に駆け付けるほどの騒動になったが、当時の新日プロ幹部たちは翌朝まで猪木の“独り芝居”であることに気付かなかったという。

 わずかにレフェリーのミスター高橋には「何か(異変が)あっても慌てるなよ」とそれとなく伝えていた猪木だが、側近の坂口征ニ副社長(当時)や新間寿営業本部長(同)に対してもケーフェイを貫いたのだ。

 10年も前から猪木とともに新日プロを運営し発展させてきた坂口、新間両氏にしてみれば「オレたちまで騙すとは水くさ過ぎる」となる。とりわけ、マッチメークに携わっていた坂口氏の精神的ダメージは大きく、「人間不信」と走り書きした紙を自らの机に置き残しハワイへ“傷心旅行”している。


猪木と二人三脚で新日黄金時代を築いた坂口征ニ

 だが、坂口氏が人間不信に陥った騒動はこの時点で序の口。その後、83年8月から84年9月にかけてクーデター未遂騒動、第1次UWFへの選手流出、ジャパン・プロレスへの長州力らの集団移籍など負の連鎖が続いたのは周知の通り。

 長年に渡って一緒に新日プロを支えてきた山本小鉄氏らからの退陣要求。UWFが動き出したときには前田日明、高田延彦、R・木村らの移籍の黒幕は身内の猪木と言われ、同団体にフジテレビのレギュラー放送が付いた暁には猪木もUWFに移るという怪情報も飛び交った。


長州力

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