野望MAX夢幻大!プロレスラー藤永幸司22年目の告白

 6・26神戸メリケンプロレスハーバーファイト開催を控え、1999年OPEN今年創業22年となるプロレスカフェバー・リングソウル(神戸市中央区元町高架通2-151)で、リングソウルのオーナーであり神戸メリケンプロレス主宰者にしてプロレスラー藤永幸司が、彼が愛してやまない街神戸で22年の年を重ねてようやく花開こうとしている壮大な夢について語ってくれた。
 またウイキぺディアなきプロレスラー藤永幸司の謎に包まれた半生を、記者が単独インタビューで聞き出すことに成功した。

 少年時代テレビで見たアントニオ猪木のプロレスに憧れを抱き小学4年生にしてプロレスラーを志した藤永にデビューのチャンスが巡ってきたのは2008年。選手としてではなくプロデューサーとして関わっていた新宿カス野郎プロレスという団体の12回目の興行で、山本小鉄さんの指導の下プロレスラーデビューを果たした。デビュー戦の対戦相手はTARUだった。
 だが首の怪我が悪化し選手としての活動を休止、プロデューサー業に専念する時代がその後長らく続いた。

ープロデューサーとしては、どのような企画をされていらしたんですか?

藤永 かつてドラゴンゲートに存在していたヒールユニットCRAZY-MAXのグッズのデザインをして商品開発にあたっていたのは僕なんです。あと全日本プロレスの主力選手大量離脱直後に、あらゆるメディアからの取材申し込みをすべて拒否されていらした馬場元子さんのトークショーを開催しました。

ーええっ?元子さんあの頃一切取材受けつけなかったと聞いていますが。

藤永 はい。だから僕もダメもとでオファーしてみたんですが、たまたま元子さんの出身が同郷(明石市)で、それで心を開いて受けてくださったようでした。

ーラッキーだったということですか?

藤永 そうです。でもこのイベント、一般のお客さんよりプロレスマスコミの人たちのが多かったです(笑)。

ーなるほどー(笑)。藤永さんのプロレス興行のマッチメークが絶妙なのはそうしたプロデューサー業務の経験がおありだからなんですかね。

藤永 ファン目線でファンの方が喜ぶマッチメークを常に意識して考えています。

 リングソウルでインタビュー取材を敢行した日の5月29日は、緊急事態宣言発令中につき店の営業時間を20時までとし酒類の販売も中止していた。にも拘わらずお客さんは途切れることがなかった。
 なかに20代の女性の姿があった。店に来て藤永選手を知り常連客と親しくなりついには親元を離れて、なんと神戸に引っ越して来てひとり暮らしを始めてしまったという。彼女は一人娘で、初めての一人暮らしを心配したご両親が藤永の元に挨拶に訪れたという。

 記者は昨年末家族の仕事の都合により関西を離れて岡山県の山間部に移住したのだが、それまでプロレス繋がりで親切に接してくださっていた方から、こっちには来ないで欲しかったと逆に引かれた。冷水を浴びせられるような苦い経験をしたので、藤永にダメ押しの確認をしてしまった。

ー自分を慕って引っ越して来られるということに抵抗は特にないということですか?

藤永 抵抗なんかあるわけない。むしろ引っ越して来いって言ったの僕だし(笑)、それで本当に引っ越してくるなんてね、本当に嬉しかったですよ。それに、みんなに言ってるんですよ。神戸に引っ越して来いって。だって本当に良いところなんだから。
 自分を慕って神戸にやってきて、この子のご両親が店に挨拶に来たんですよー
くったくなく笑顔で話す藤永の懐の深さ、大きさに驚かされたと共に、このお客さんが記者とは360度真逆の熱い歓迎を受けた理由がのみこめた。
 藤永はその根底に揺るがぬ深い郷土愛があって、それゆえごく自然体で神戸に人を招きいれようとする。へだてのないウエルカム姿勢を貫けるのだと感じた。
 藤永に惚れてプロレスが好きになった人間は幸せだ。好きな場所を好きだと言えて、誰に遠慮することもなく胸いっぱいにその思いを感じながら深呼吸が出来るのだから。実際そのお客さんの去り際の笑顔が忘れられない。
 コロナ禍に新団体を設立し、あらゆるイベント関係に逆風が吹き荒れる厳しい状況の中神戸市の後援が決まったのも、市の担当者がこの男のまっすぐな熱意に心を動かされたとしか考えられない。
 残念ながら5月のメリケンパークの野外フェスは中止となってしまったが藤永は少しもあきらめておらずすでに次なるアクションに向かって動き出しているという。とにかくポジティブで、言動にブレがない。だから人が付いて来るのだ。

 これまでの22年間すべての歳月順風満帆で来れたはずもなく、リングソウルの店舗も立ち退き要請のたびに移転を3度繰り返した。それでも彼は、そのことさえも楽しんでいる向きがある。

藤永 神戸をプロレスの街にしたいんです。

コロナ禍にあえて新団体を設立したのも理由があったという。

藤永 戦後日本人は、力道山のプロレスに自らを重ね合わせて元気を貰った。東日本大震災のあとも、プロレス団体はいち早く被災地に行ってプロレスで被災された人々を励ました。いまコロナで大変なことになってますけど、こういうときこそプロレスが街や人びとの前向きになるきっかけになってくれたら良いなと思うんです。

 この男の夢が、時間がかかりながらも費えることなく確実に実現に向かって進み続ける理由がわかった気がした。
 自己満足で完結していないからだ。
 ごく限られた身内だけが楽しければ良いとか、自己の承認欲求を満たしたいがためというのではなしに、常に大衆の気持ちに寄り添って、多くの人々の喜びをプロレスで叶えようとしているのだ。
 神戸メリケンプロレスは屋内と屋外のプロレスでアプローチを変えているという。

藤永 野外では、老若男女すべての世代に予備知識なくても楽しんでもらえる明快なプロレスを、屋内では、マニアック度を強めたコアなプロレスを見せたい。リングの上でプロレスの持っている可能性のすべてを発揮したいんです。
 
 6月26日は屋内の会場(ハーバースタジオ)での開催なので、マニア好みのプロレス展開となるようか。
 藤永は音楽とプロレスのコラボレーションにも力を注いでいる。

藤永 音楽の中でもレゲエミュージックには尖ったメッセージ性が在って、表現の仕方とかプロレスとの共通項がたくさんあると感じます。

 当日は団体のテーマソングを歌うミュージシャンのパフォーマンスも、リング上で披露される。

■ KOBEメリケンプロレス神戸大会 ハーバーファイトVol.1
日時:2021年6月26日(土)19:00
会場:神戸ハーバースタジオ

 
 インタビュー詳細はファイトクラブ公開、拡大版は週刊ファイト6月10日号に収録。


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▼BADMAXカス野郎藤永幸司異色の経歴と知られざる偉業

[ファイトクラブ]BADMAXカス野郎藤永幸司異色の経歴と知られざる偉業

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’21年06月10日号ノア AEW チャクリキ JapanKick ねわざワールド Ken片谷 藤永幸司