[週刊ファイト7月23日号]収録 [ファイトクラブ]公開中
▼井上譲二の『週刊ファイト』メモリアル第75回
ストロング小林 初対面のとき、吉原社長を気持ち悪がったワケ
・とにかく、退団のタイミングが悪すぎた
・苦楽を共にしてきた仲間たちが激怒したのは当然だ
・新日プロの誘いがある以前から退団を考えていたに違いない
・昔も今も、マット界のウワサは信用できないということか!?
1974年3月19日、超満員に膨れ上がった東京・蔵前国技館でA・猪木と日本マット史に残る名勝負を繰り広げたストロング小林も今年1月で78歳。レスラー生活17年、新日プロ在籍年数も9年という短さだったが、彼も昭和のプロレスファンの脳裏に焼きついている名レスラーの1人である。今号の連載ではS・小林の国際プロレス離脱、プライベートでの“あのウワサ”を再検証してみた。
国際プロレスの主力選手の大半はすでに他界しているが、在命中の元所属選手は今でもS・小林を快く思っていない。とりわけ、マイティ井上氏はS・小林についてボロクソ。こちらがS・小林の名前を出さなくても悪口を言い始めるときもある。
S・小林の国際プロ離脱から46年という長い歳月が流れていても恨みは消えないらしい。
私は当事者ではないが、M・井上氏の気持ちも分らなくはない。
ストロング小林とマイティ井上
とにかく、退団のタイミングが悪すぎた。S・小林は団体の命綱であるTBSのレギュラー放送の打ち切りが決定した時点で辞表を提出。引退するならともかく、好条件で新日プロに転出したのだから苦楽を共にしてきた仲間たちが激怒したのは当然だ。
新日プロ側の交渉人は新間寿営業本部長で彼がS・小林の代理人に提示したのは大幅なギャラアップだけではなかった。
取締役就任と、米マットで最も稼げるテリトリー、WWFへのブッキングも約束したのだ。
一方、テレビ打ち切り、エース離脱というダブルパンチを見舞われた国際プロの経営は一気に悪化。選手のギャラは下がり、やがてギャラ遅配も始まった。
さらに、団体崩壊後はプロレスで食って行くために肩身の狭い思いをしながら新日マットや全日マットで闘っている。
自分さえ良ければ仲間はどうなってもかまわないのか! その思いだけは、口にしないだけでラッシャー木村やアニマル浜口、寺西勇も同じだった。
ただ、R・木村などがほとんど気付いていないことがあり、それも離脱の原因だった。
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井上譲二の『週刊ファイト』メモリアル第33回 温厚なストロング小林が血相を変えて怒った「あんた、言い過ぎなんだよ」
[ファイトクラブ]井上譲二の『週刊ファイト』メモリアル第33回 温厚なストロング小林が血相を変えて怒った「あんた、言い過ぎなんだよ」