[ファイトクラブ]井上譲二の『週刊ファイト』メモリアル第33回 温厚なストロング小林が血相を変えて怒った「あんた、言い過ぎなんだよ」

[週刊ファイト3月月1号]収録 [ファイトクラブ]公開中

▼井上譲二の『週刊ファイト』メモリアル 第33回
 温厚なストロング小林が血相を変えて怒った「あんた、言い過ぎなんだよ」


 皆さん、自らの親切が徒(あだ)になり、「俺は絶対に悪くない!」と叫びたくなった苦い経験はありませんか? 私は多々あります。

 プロレス記者生活の中では感謝されなかったばかりか逆に怒られたり不快感を示されたことがありました。相手は新日プロ在籍時のストロング小林(のちのストロング金剛)とパット・パターソンという外国人レスラー。ともに好人物ながら、私がからかったと思い違いをしたようで・・・。


▲1980年8月9日ニューヨーク・シェアスタジアム大会 井上譲二、タダシ☆タナカ記者の姿も……

 米マットの取材でアメリカ国内を飛び回っていた頃、レスラーなどからよく頼まれたのが「△△に会ったらよろしく伝えてもらいたい」というメッセージ。もちろん、私は二つ返事をしていた。
 ところが、ある時、私はミネアポリスの試合会場で会ったレイ・スチーブンスにタチの悪いイタズラをされる。
 彼は私にこう言ってきた。

 「キミ、このあとニューヨークに行くのならパット・パターソンにこう伝えてくれないか。ルイがよろしく言っていた、と」

 スチーブンス自身ではなく間接的な伝言。ちょっと変だなと思いつつもパターソンに「ルイがよろしくと言っていた」と伝えられると、彼は不快感をあらわにしてその場から立ち去ってしまった。

 それ以来、私を無視するようになったパターソン。一体、何が気に食わなかったのか?


1980年8・9シェイ・スタジアム一塁側ベンチのパット・パターソン、故ルイ・ダンデロ(税理士としても、多くの選手の申告を手助けした)、のちの女子王者スーザン・セクストン、大巨人アンドレ
photo by タダシ☆タナカ

 理由が判明したのは1年以上経ってから。なんと、ルイはゲイであるパターソンのパートナーで2人は同棲していた。

 一緒に暮らしている男が「よろしく」と言うはずがない。パターソンは私がおちょくったと思ったのだ。

 彼の心情は嫌というほどわかる。だからこそ誤解をといて以前の良好な関係に戻したかったのだが、パターソンと再会する機会に恵まれないまま現在に至っている。

キラー・カーンvs.トニー・アトラスの3度目決着戦はレフェリーが2名!ゴリラ・モンスーン(左)とパット・パターソン(右)が務めた。MSG定期戦より。

 そして2度目の災難は、WWEの会場で私に話し掛けてきた「ショーン」と名乗る女性ファンから託されたストロング小林への伝言である。


新日本プロレスで戦うストロング小林:1973年3月19日の蔵前国技館大会vs.アントニオ猪木戦(上)、1980年3月28日の久留米県立体育館大会、怪力ベアハッグをエル・グレコに極める(下)

記事の全文を表示するにはファイトクラブ会員登録が必要です。
会費は月払999円、年払だと2ヶ月分お得な10,000円です。
すでに会員の方はログインして続きをご覧ください。

ログイン