6月はプロレスにとって特異月。猪木イズムはまだ残っているか?

 プロ野球が無観客ながら約3ヵ月遅れで開幕した。全く歓声のない中でのプロ野球は、やはり異様な雰囲気である。
 ベンチからの掛け声や打球音、そして投球の際の捕球音がよく響く。明治神宮球場などはファウル・グラウンドにブルペンがあるので、何人かのリリーフ投手が準備を始めると、試合での捕球音の他に両軍ブルペンからの捕球音が入り乱れて、バシバシと却ってうるさいぐらいだ。
 そして、7月10日からは有観客での試合を実施するという。とはいえ、当面は5千人を上限とする予定だ。4万人も入るスタジアムに、たった5千人とはかなり寂しいスタンド風景となるだろう。もっとも昔のパシフィック・リーグは、そんな試合ばかりだったが……。

 プロレス界では、既にDDTプロレスリングなどDDTグループが有観客試合を始めているが、業界最大手の新日本プロレスが7月11日の大阪城ホール大会から有観客試合に踏み切る。入場者数は3分の1程度に抑える方針で、野球場よりキャパシティが小さいのでまだマシだが、やはり寂しさは拭えないに違いない。
 だが、人数が少ないとはいえ客の前でプロレスができるのだ。レスラーは嬉しいだろうし、ファンにとっても生観戦ができるのは喜びもひとしおだろう。

 ところが、日本から赤道を軸にして反転させたような場所にあるニュージーランドでは、既に有観客でのスーパーラグビーが再開された。しかも客同士の間引きなど全くなく、コロナ前と同じように満員の観衆がマスクなしで大歓声をあげている。『三密』なんて関係ない。
 人口規模が違うとはいえ、日本と似たような島国でのこの光景は、まるで別世界だ。羨ましい限りで、日本ではいつこのような状態が戻るのだろうか?

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プロレスに喜びを見出せなかったグレート草津

 ラグビーの話が出たが、先日発売されたラグビーマガジン(ベースボール・マガジン社)の今月号(8月号)にはグレート草津の名前が出ていた。巻頭の『DAI HEART』という連載コラムで、執筆者はJ SPORTSのラグビー解説者でお馴染みの藤島大氏。
 もっとも、内容はプロレスラーのグレート草津ではなく、ラガーマンとしての草津正武について書かれていたのだが。草津が亡くなったのは、今から12年前の2008年6月21日だった。

 藤島氏とは5年ほど前にお会いしたことがある。大阪・天満の居酒屋で他の人達と一緒に呑んだのだが、その数ヵ月後に藤島氏からメールが届いた。内容は、草津正武について原稿を書く際にグレート草津のことも調べていたら『安威川敏樹』さんが書いた記事を発見したので参考にさせていただきました、と。思わぬところで藤島氏の記事に貢献できて嬉しかったのを憶えている。
 ラグビーのみならず、ボクシング記事なども執筆するスポーツ・ライターの藤島氏だが、プロレスについては疎かったようだ。そもそも、プロレス記事を書くのは専門ライターがほとんどで、スポーツ・ライターがプロレスについて執筆することはあまりない。高田延彦の自伝的書物『泣き虫』を書いたサッカー・ライターの金子達仁氏などもいるが、金子氏の場合は敢えてプロレス・ライター以外ということで白羽の矢が立ったのだろう。

 藤島氏が書いたラグマガ今月号のコラムの内容は、草津がラグビーを辞めたのは高卒ゆえに出世の見込みがないことや、海外への憧れがあったためで、引退後にプロレスラーへ転身したのだが、後になってもう6、7年はラグビーをやりたかった、と後悔していたということだ。そして、レスラーを引退してからも、ラグビーのグラウンドでスパイクの紐を結ぼうとしてもなかなか結べず、フィフティーンの輪の中に入れない夢を何度も見たという。
 草津は国際プロレスのエースとして期待されながら、檜舞台でルー・テーズのバックドロップにより失神KO負けするなど、思うようなレスラー人生を歩めなかった。残念ながら草津は、プロレスに喜びを見出せなかったのだろう。

 1983年6月3日の毎日新聞朝刊(東京版)に、草津のインタビュー記事が掲載されていた。この2年前にプロレスを引退した草津は、こう語っている。
「わし、いまもレスラーとは思っとらん。ラガーマンよ」
 奇しくもこの前日、アントニオ猪木がハルク・ホーガンのアックス・ボンバーにより、病院送りにされ世間が騒然となった……。

6月になるとスキャンダラスな事件を起こしていたアントニオ猪木

 筆者は6月のことを『プロレスの特異月』と呼んでいる。もう少し突っ込んで言えば『アントニオ猪木の特異月』だ。不思議なことに6月はプロレス、特に猪木絡みの事件が多い。
 それら主な“事件”を列挙してみる。

①1976年6月26日、アントニオ猪木vs.モハメド・アリの異種格闘技戦
②1981年6月24日、レスリング元五輪選手で大型新人の谷津嘉章が、国内デビュー戦でアントニオ猪木とタッグを組んだが、スタン・ハンセンとアブドーラ・ザ・ブッチャーにフルボッコ
③1983年6月2日、第1回IWGP決勝でアントニオ猪木がハルク・ホーガンに失神KO負け
④1984年6月14日、第2回IWGP決勝のアントニオ猪木vs.ハルク・ホーガンは、長州力の無意味な乱入により不透明決着となり、ファンが大暴動
⑤1989年6月20日、アントニオ猪木が参議院議員通常選挙に出馬を表明

 このうち筆者は、④のファン大暴動と⑤の参院選出馬以外は、今年の6月に本誌で記事を書いている。そして②の谷津嘉章フルボッコ事件を除き、普段はプロレスなど無視している一般新聞がこれらの事件を報道したのだ。それも批判的ならばまだマシだが、半ば茶化したような内容で。

 ①の猪木vs.アリは、サンケイ(現:産経)新聞の当日の夕刊が「24億円、寝ころんだままがっぽり」と、濡れ手で粟のボロ儲けのような見出しを打っている。そして記事では、試合前にアリが女子大生の売り子アルバイトに抱き付いてキスした、という試合に関係のない、いかにもアリが試合に本気で挑んではいないようなことを書いていた。
 ③の猪木KOについて、日本経済新聞の翌日での朝刊の社会面では「“燃える闘魂”入院」という、なぜかキャッチフレーズを見出しにして、内容も「関係者の話を総合すると」と、まるで試合を見ていないかのように書いている。日経の記者がプロレスを見るのは恥だと思ったのか?
 ④のファン大暴動に関しては、朝日新聞が翌日の朝刊の社会面で、十代後半から二十代前半の若者が「もっとすっきりした形の試合を見に来たのに、これではインチキだ」などと一斉に暴れ出した、と報じていた。ただし、写真なしのベタ記事である。

 これらに共通しているのは、猪木が『すかし』をやったことだ。つまり、プロレスの予定調和を崩して、世間の目を引こうという作戦である。当たり前のことをやっても、一般社会はプロレスに振り向いてくれない。だったら、常識はずれのことをやってやろうという魂胆である。猪木の思惑通り、世間はプロレスに振り向いてくれたが、参院選当選以外の反応は最悪だった。
 ちなみに『すかし』というのは、お笑い用語でもある。たとえば、普通ならツッコミを入れるところをスルーするなどして、基本を無視し笑わせるというテクニックだ。
 つまり、猪木はプロレスに『お笑い』の要素を採り入れたのである。もっとも猪木自身は、そんなつもりなどなかっただろうが。

プロレスにコンプレックスがなかった馬場と、持っていた猪木

 アントニオ猪木とは正反対のプロレスラーがいた。ジャイアント馬場だ。馬場はプロレスが世間からどう思われようと気にせず、マイペースで自分のプロレス道を邁進した。
 一般紙でプロレスが報道されなくても気にしない。当時のプロレス界で最高権威だったNWAとガッチリ手を組み、プロレス内での頂点に着くことに尽力していた。日本人で初めてNWA世界ヘビー級王者に輝くという偉業を成し遂げたにもかかわらず、プロレス関係者以外に騒がれることもない。プロボクサーなら、軽量級でも世界王者になると世間から一斉に称えられるのに、である。それでも、馬場は平気の平左だ。あくまでも馬場は、プロレス界での最高峰を目指す。
 しかし猪木は、プロレス界で№1になっても、それでは飽き足らない。プロレスの世界王者でございと威張っても、世間から無視されたままだからだ。

 俳優の奥田瑛二は、デビュー作でヒーロー物の『円盤戦争バンキッド』という子供向けドラマに主演した。ところが、新人でいきなり主役を張ったにもかかわらず、その後は鳴かず飛ばず、全く売れない。ドラマや映画のオーディションを受けたとき、経歴を訊かれ「『円盤戦争バンキッド』で主役を演じました」と言っても、制作者や演出家、監督からはバカにされるだけである。
 今でこそ『仮面ライダー』シリーズはスター俳優への闘龍門のようになっているが、当時のヒーロー物なんて主役でもその程度の扱いだった。まあ『円盤戦争バンキッド』というネーミングが悪すぎたのかも知れないが……。
 この頃のヒーロー物ドラマとプロレスは、よく似ている。いくらプロレスで世界チャンピオンになっても、一般紙で報じられるわけでもなく、世間的にも認められない。
 猪木は、そんな扱いに我慢できなかったが、馬場は受け入れていた。この違いは、両者の成功体験にあるのではないか。

 馬場は若手時代にアメリカ遠征し、メインを張って多額のドルを稼いだ。プロ野球時代は大き過ぎる体が足枷となって成功せず、それがコンプレックスとなっていたが、プロレスでは並外れた体が財産となった。プロレスという職業が、馬場にとって大きな誇りとなったのである。
 一方の猪木は、同期入門の馬場に後れをとり(同期入門と言っても、5歳も年下なのだから当たり前だが)、師匠である力道山の死後にようやくアメリカ遠征したものの、成功したとは言い難い。猪木はアメリカ遠征中、プロレスラーであることに誇りを持てなかったと述懐している。

 つまり、馬場にとってのプロレスラーとは『誇るべき職業』であり、猪木にとっては『誇りにできない職業』だった。帰国した猪木は、東京プロレスの若きエース社長になったものの、あっという間に東プロは崩壊。その後は日本プロレスに出戻って馬場に次ぐ第二エースとなったが、その人気とは裏腹に一般社会には認知されないままだった。
 そして、女優の倍賞美津子と結婚する際には、1億円挙式を敢行する。もちろん、世間の目を引くためだ。しかし、週刊誌の見出しは『アントニオ猪木と倍賞美津子が結婚』ではなく『倍賞美津子とアントニオ猪木が結婚』である。当時はまだスター女優とは言えなかった『倍賞美津子』の名前が、プロレス界№2の『アントニオ猪木』よりも上だったのだ。

 馬場はアメリカでの体験から、充分にスター気分を味わっていたが、猪木はいくらプロレス・ファンにもてはやされても物足りない。世間に認知されなければ無意味と思っていたのである。猪木が事業に精を出し、国会議員にまでなったのも、プロレス界に満足できなかったからだろう。

 今回、新日本プロレスを定期放送するBS朝日『ワールドプロレスリング リターンズ』で、34年ぶりに生放送を敢行するという。

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 地上波ではないとはいえ、無料全国放送での生中継だ。狙いはもちろん、世間にプロレスを浸透させようということである。
 猪木の時代は当たり前だったプロレスの地上波ゴールデン放送、今では夢また夢のような話になっているが、猪木イズムがまだ新日本プロレスに残っているのだろうか?


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